武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

死後と死語を考える

2012年09月30日 | Weblog


昔、生徒のことを先生が記録していたノートを「エンマ帳」と言っていた。・・・・・・現在は全くの死語だ。
エンマ様は死後の行き先を決めてくれるが、昔は「うそ」をつくとエンマ様に舌をぬかれる・・・・と「子どものしつけ」の言葉があった。
食後にすぐ横になると牛になる。・・・・それらの仲間だ。

死後数日たってる・・・などのニュ―スがある。いわゆる孤独死と言われる。さみしい話だ。こう暑い夏だと腐敗もはやいだろう。
酒飲みだった歌人若山牧水は、身体がほぼアルコ-ル漬けであったので、なかなか腐敗しなかったそうだ。・・・・・・・南無阿弥陀仏。

心は先先に・・・・

2012年09月29日 | Weblog
自民党の総裁が決まった。
大臣の顔ぶれは・・・・とうっかり思っていまった。自民党は野党な野田。
野田さんの党もしまりがなく、次は俺達だ俺だとと動き回っているらしい。
こんなことはどうでもいいのだ。我々の生活に密接なことを動かしてもらいたい・・・・・・・と思っているのが国民だろう。
ま、どっちにしろ。
アメリカも中国も韓国もトップ交替の時期で、そういうことが絡んでくるらしい。

新そばの時期だ。石臼の場面を彫ってみた。
そば好きには、まちどうしい季節だったろうが・・・・・関心ないのもさびしい。

まじめにやれば美女にあう・・・

2012年09月28日 | Weblog
晋の国の話である。
謝端という男がいた。幼い頃親を失い、親戚もなかった・・・隣家の人の養育された。きわめてまじめで・・・・・・あった。
ある日畑で大きなほら貝を見つけた。家に持ち帰り甕の中に入れておいた。
それから毎日仕事から帰ると、夕食や風呂の用意がされていた。隣家の人か、たずねるが違うという。
それが毎日続いた。
謝端ははやめに帰り、家の中をうかがった。ひとりの美女が夕食の用意をしていた。
「おまえさんは何者?」
「わたくしは天帝に命じられきたのです。あなたの実直な様子を見、十年のうちにあなたを富ませとの命でございます。」
「しかし、見つかっては帰らなくてはなりません。」
どうか、とどまってと説得しましたが、聞きいれられません。
「わたしの代わりにはら貝を残します。」

はら貝には、いつも米穀があふれ・・・・・やがて謝端の生活は豊かになり、身分も高くなり立派な人間になったのでした。

こういう話は日本にもありそうだ。しかし現実には「宝くじ」くらいにしか夢はない。夢は見ず、まじめにやればいいことある・・・・と言うことかな。

首飛ぶ女・・・

2012年09月27日 | Weblog
呉という国にある将軍がいた。
ひとりの女を雇った。・・・・どうも様子がおかしいと噂が出た。
夜になると首が飛ぶというのである。
将軍はこっそり夜の来るのをまって、のぞいて見た。・・・・うわさどおり女は胴体をい残しどこかへ飛んで行った。
その胴体に夜着をかぶせておくと、もどってきた首はもがき苦しみころげまわっていた。将軍はあわてて夜着をとると、首は元へもどった。
朝になれば女は普通どうり働いておった。

気持ち悪くなった将軍は、その女に暇を出した。

後に仲間の将軍と話すと南方ではこういう話をよく聞いたと答えた。噂によると南方には落頭民と言う人たちがおり、その女もそこの出身だろう・・・・という話であった。
そんなあらすじだ。別に恨みとか怨念があると言うでもない。
そこが日本の昔話とちがうかもしれない。
中国は広く多くの民族がおり、多くの不思議を秘めた国なので・・・・・もしや本当かもなーーーーと話が伝わったかもなーーーー



中国昔話・・・・

2012年09月26日 | Weblog


中国の色めかしいお話を読んで高校時代、ワクワクしたことを思い出す。
そういうわけでもないが話梅子と言う方の訳した「中国昔話大集」から西湖の話はいただいた。女体のがそうだ。昔、西湖はかって行ったこともある。観光客でにぎわっていた。遊覧船に乗ったが湖はどんより濁り・・・・・・人造湖と言われた?・・・ここと違うのかな。

ま、そういうことで後の首飛ぶ女は岡本綺堂の「中国怪奇小説集」からいただいた。中国の昔の衣装がいまいちわからないので、かってに中国風にしてごまかした。
ここらへんが苦労のしどころだ。
話はちょい日本とちがうのがおもしろい。

嫁に行くなら・・・・・・

2012年09月24日 | Weblog


ま、そういうわけだ。
昔の林業は人力がものを言った。現在でも、そういうところがあるけど・・・・
あの仕事を人力でやったから、すごいことだ。
小さい頃、山の木を切り出しに岐阜の高山から山男が来ていた。大木をきりたおし「木ぞり」でひっぱっていた。そりの道は木がひきつめられ、そこに油を塗ってそりを走らせていた。谷間はワイヤーをはり運び、トラックの来れるとこまで運んでいた。
山男はたくましかった。
遊びに行くと暑い時はな、シャッの中に蛇いれると涼しいぞ・・・・と言ってシャッの中から蛇を出して見せてくれた。

・・・・・・・今考えると、子供をおどかすしかけだったのだろう。

文部省唱歌を考える

2012年09月23日 | Weblog

文部省唱歌・・・・・この言葉もなつかしい。
「ふいご」など現在のこどもは知らない。いい年齢の方も知らなかったりする。
「ゆだま」って何?
これは仕方ないことだ。
文部省などもない。

昔は村に一軒「がじやさん」がおり、鎌とかクワを焼直し、トテカンと打っていたのだ。これがないと百姓道具は再生しないのだ。

時代は変わった。文部省も文部科学省になり大臣もコロコロかわり、「ゆとり」だの学力不足など頭がグラグラ・・しもじもはたまらない。しもじもでは不祥事が報じられている。
教育委員会制度も破綻してると指摘を受けている。それも当たっている。
地球の気候もすっかり変わった。・・・・・世に不変なものはないのだ。

カマトト

2012年09月22日 | Weblog


かまぼこは魚のすり身で作られる。・・・・・
魚は別名トトと言う。
「へーーー、かまぼこは魚で作られるのだーーー」と知ってるのに、知らないふりして
言うところから「カマトト」は生まれた。
ま、一種のおとぼけだ。

隣の「不肖」の「肖」は、似てると言う意味だ。親に似ずおろかな者だ。・・・・・・・へりくだっている。内心はわからない・・・

日本のことばABC

2012年09月21日 | Weblog
文化庁の調査によると「一歳うえのことを一個うえ」というのが結構多いそうだ。ことばは時代によって変化する・・・・と言っても、言葉の変化も最近スピードがありそうだ。

「せっちん」・・・・便所のことだ。もともとはお寺で使われたらしい。「かわや」「はばかり」などの呼び名がある。今や便器も発達し、清潔を第一にしてる。
家の中にトイレが作られたのは・・・たしか室町時代とか。それまではというと持ち運びの便器みたいなものがあり、後で川で始末したとか。ま、身分によるが・・・・ま、外でやる人も多かったのでしょう。

私の生まれた頃は、尻ふくのは新聞紙であった。これをもんで柔らかして使っていた。
大学の同級生が山奥の学校に赴任し家庭訪問したら、トイレに縄があったといっていた。
ま、いろいろだ。
外でやる時は、フキの葉っぱでふくと、冷たくて気持ちいいのだ。「ふく」だから「ふき」なのだ。

隣は「雁のふろ」である。・・・・・話は後日。

秋には芳一を・・・・・

2012年09月20日 | Weblog
秋風が吹く。
萩が咲く野菊が風に揺れる・・・・・こういう季節は「芳一」の出番だ。

なぜこの話に引かれるかと言えば、物語の中味の豊富さだ。つまり絵にしたい場面がいっぱいあるのだ。
琵琶の音、虫の音・・・・・・音響もいいな。