ここは塩の道の一部である。昔はここにはなにもなくて石仏をまとめて塩の道の雰囲気を出そうと並べたようだ。
もう苔むして、昔からここにあったような風情である。ここから越後に入っていくが塩をつんだ牛がころげおちた位の急峻な道になるから、ハイキング気分では歩けない。
昔は、お盆になれば「盆道作り」と言って、道の草刈など村総出でおこなった。それはお盆に祖先が戻ってくる道であり、嫁いだ娘が帰ってくる道であり、出稼ぎの人が帰ってくる「里帰り」の道であった。昔の人は道について現代の人よりは確かに敬虔な気持ちをもっていたのだ。
もう苔むして、昔からここにあったような風情である。ここから越後に入っていくが塩をつんだ牛がころげおちた位の急峻な道になるから、ハイキング気分では歩けない。
昔は、お盆になれば「盆道作り」と言って、道の草刈など村総出でおこなった。それはお盆に祖先が戻ってくる道であり、嫁いだ娘が帰ってくる道であり、出稼ぎの人が帰ってくる「里帰り」の道であった。昔の人は道について現代の人よりは確かに敬虔な気持ちをもっていたのだ。