武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

湯水のごとく

2011年08月31日 | Weblog
県版画展の審査があった。一日かかってしまった。・・・・と言ってもみなさんの力作を粗末にできない。帰ってきて賞状を用意した。

写真は松本の街角でパチリ。松本にはこういう湧き水場所が整備され・・・観光のスポットにもなっているようだ。これらを巡る方もおるそうだ。
日本には「湯水のごとく」と言う言葉がある。コンコンとわく水をすくって飲む。こんなことのできる国はそう多くはないそうだ。コンコンというほど湧かないし、色もにごってる国が多いそうだ。コンコンと湧くのは、ある本によれば日本、ハワイ、アメリカ大陸太平洋岸くらいだそうだ。・・・多分、それ以外に国には「湯水のごとく」などと言う言葉はない。

不可能立体への挑戦

2011年08月30日 | Weblog
写真はオランダの版画家・エッシャーである。
とてもついていけない思考の画家だ。まねごとはできる。

塔を作ってみた。どうってことない・・・と思われるのもしゃくだ。塔のまわりの階段は無限階段・・・・・つまり、いつまでも昇り続ける階段なのだ。
簡単に図式すると、こうなのだ。
これは人間の目の錯覚を利用して、いつもと違う感覚を味わう・・・・お遊びのひとつなのである?。

あの頃チャンネル(2007年08月26日~2007年09月01日)

2011年08月29日 | Weblog
あの頃チャンネル(2007年08月26日~2007年09月01日)


この頃と言えばブログを始めた頃だ。
そういえば干ぴょうを作った夏もあった。

昔、野山には大きな昆虫がいた。最近小型化してしまった・・・・のか、こちらが子どもだったので大きく見えたかも・・・・・・

畑で獲れた野菜も小型だった気がする。化学肥料のせいもあるのかな。
昔のは実がつまってる気がする。

我、畑ではオクラが堅くなって空に向かって剣のように伸びている。

視覚に訴えろ

2011年08月28日 | Weblog
ま、物は見方を変えると異なる視点があるのである。
よくがんばったと言う人もいれば、何にもしてないと言う人もいる。人間社会には裏と表がある。世間では評判が良いのに、仲間内では評判が低い候補もいる。言ってることへの説明のつかない人もいる。
インチキキューブを作ってみた。これの本物の創始者はハンガリーの方だとか。違うかな?

あれやこれやと・・・

2011年08月27日 | Weblog
松本NHKの版画教室があった。・・・・数回を数えているが、あいかわらず受講者は2名・・・・・・すごく熱心で色をあわせる段階でも、すこしのズレも許さない姿勢でやっておられる。そういう姿勢は私はとっくの昔どっかに行ってしまった。
依頼があったワークショップの見本を作ってみた。ちょい懲りすぎで無理かナーーー

器用貧乏・・・

2011年08月26日 | Weblog
動物レリーフ


8月25日、東シナ海航行中海賊におそわれ・・・その後嵐におそわれ・・・琉球に避難しようとしたら、着いたところは種子島であった。
しかし、売買するものがないので抑留の身になってしまった。
事態が好転したのは持っていた火縄銃であった。見たこともない火縄銃に殿様は興味を示したのだ。
しかし、この鉄の玉を打ち出す仕組みは殿様の理解をはるかに越えていたらしい・・・・・・・と言うことであるが、これが鉄砲が日本に伝わってきた最初である。

このポルトガル人が5ヶ月後、島を離れる時火縄銃が610丁以上作られていたと言う。

これにはポルトガル人も日本人の器用さにびっくりしたそうだ。ペーパーレリーフの本を購入した。着いて知ったのは全部横文字だった。しかし掲載してある作品は理解できたが、中味はたいしたことなかった(?)。こういう細かい細工は日本人の方が得意かもしれない。

お地蔵さん

2011年08月25日 | Weblog
お地蔵さんの信仰は全国的だ。村はずれでニコニコしてる・・・・童謡の場面に出てきそうだ。こどもの事故があった場所に小さな地蔵さんが建てられている・・・・特にこどもを守ってくれる仏さんだ。
この地蔵さんの眉は、柳のようにスーときれいだ。こうゆう眉を「地動まゆ」と言う・・・・・・・でも今は書いたり、すったりで・・・・・親からもらったものをいじっているので「人工まゆ」だ。

8月24日は「地蔵盆」と言ってお菓子や果物を沿える。・・・・・こういう季節の節目の行事は消えて、なにかと花火ばかりがあがってる。それが季節の行事だ。

作品は一枚の紙から切りおこして立体にする・・・・「切りおこし」とか呼ばれるものです。一応、カメレオン。

ゴッホの下宿

2011年08月24日 | Weblog



この赤い家はゴッホが下宿していた家だ。牧師を志し宗教書や哲学書を読みふけったころである。まだ画家という話はでてこない。
どこを工夫してあるかと言えば・・・・・赤い家はへこんでいる。そこがこの絵のトリックだ。・・・・・・もう少しナントカならねえか・・・と言うトリックです。

独裁国家

2011年08月23日 | Weblog



独裁はいずれ倒れる。
しかし、40年は長い。何度人民の血を流したのだろうか。
近くにも独裁国家が存在する。・・・それに近い国もある。こういう国は秘密警察や密告制度が横行し、声は声なきものとして消される。日本もそういう時代があったのだ。だんだん気持ちが落ちていく・・・・・・・。

雨降って・・・パン

2011年08月22日 | Weblog


雨が降らないと、雨恋し。降れば降るとうっとしい。
この写真は我が家のパンであるが・・・・・・店屋のパンもやや値上がりしてるらしい。小麦粉の影響だろうか。

日本のパンと言えばアンパンが秀逸だ。
ジャムパンなどもある。クリームパンもある。

このクリームパンは我穂高生まれの相馬愛蔵の発案だそうだ。奥さんは黒光と言い・・・・東京から穂高に嫁入りしてきた。都会の新しい感覚を持った黒光に影響を受け後に彫刻家として名をはせたのが荻原碌山であった。

穂高にある碌山館の建設されてかなりたつが・・・・・学校でひとり1円づつ出した覚えがある。地元の碌山の美術館建設にに子どもも参加してもらおうとした流れだったと思う。