馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
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〓おまQ〓671 号山形会津へgo !57

2013-05-06 22:00:29 | 日記
【Q】会津藩の江戸藩邸上屋敷はどこにあったか?

イ)港区東新橋
ロ)皇居外苑
ハ)港区三田

答えは一番下↓

≪南東北へgo会津≫

2012年5月4日(金)

#      本陣
#       8
#      6←5
#      7 4
若→→→→→1▲2飯
松      ↓3盛
駅      ↓山
#       ↓
#       ↓
七日↑     ↓
町駅15     ↓
#  ↑14    ↓
#  ↑     ↓
#  ↑  天寧寺町
#  ↑   10←9↓
#日新13┏北┓↓ |武
#館 12西■┃11 |家



14、『蒲生氏郷公の墓』

辞世の歌
「限りあれば
吹かねど花は
散るものを
心みじかき
春の山風」

秀吉は有能な黒田官兵衛を九州へ、氏郷を東北に移しそれぞれの地域を監視させた
あまりにも優秀なので足元をすくわれかねないので遠ざけたという説もある。

会津領主となってか5年、40歳の若さで京都で亡くなった

もっと長生きしてたらすごい業績をあげたかも?

と思えてきます


七重のお城




遺髪を五輪塔に収めた

若松城下の基礎をつくった氏郷公に
合掌〓!


再び国道に戻り、さらに西側の狭い商店街に移動。


八重の桜の旗


15時04分、

15、『野口英世像』

今歩いてるこの道は「野口英世青春通り」と呼ばれ、
この区画は
「野口英世青春広場」

会津若松は野口博士が青春時代を過ごした場所。

この広場の一番奥に銅像がある。
「忍耐」と書いてある。

我が輩、小さい頃に伝記を読んで痛く感動したものです。

青春広場には飲食店や土産物屋があり、街中休憩所になってます


もう時間が無いので休憩してる場合じゃない

広場の入口に花壇がある

「会津藩中屋敷石垣」

東京都営地下鉄汐留駅付近にあった会津藩中屋敷。
その船入場に用いられてた石垣を花壇に利用した


石垣を見ると見過ごせなくなってる最近の我が輩です…

続く〓


‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡


本日の答え、
『皇居外苑』
上屋敷は本邸で、和田倉噴水辺り。
中屋敷は藩主が登城しない時の居住屋敷。
下屋敷は三田藩邸と呼ばれ現在の港区三田~松坂町。
江戸城に近い場所が上屋敷となる。
中屋敷と下屋敷が実質的な行動場所だった

江戸は火災が多いので、緊急事態に対処できるように藩邸を分けたとか?

中屋敷があるのは大藩。


写真付ブログ
http://blog.goo.ne.jp/hakusiyu/0?guid=ON


Φ(*^馬^*)φ
長いような短いような

でもやっぱり短いような長い10連休が終わりました

休みは早いですな!

明日から毎日三時間残業が待ってます

この極端なシフト

なんとかならんのか?


うーん


だぜぇ~

馬〓ひでにゃん〓
(*⌒Q⌒*)
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