2018年5月12日(土)
前回まで寒い時に歩いてましたが、
今回は、五月晴れの良き日の歩きとなりました。
10時37分『石山駅』
まずは芭蕉翁にご挨拶。
電車も車もない時代に全国をよくもまあ歩いたものですな。
ホントに感心します。
石山商店街を南下。
左手に鳩のマークのスーパー。
※現在、店舗改修中のため別の場所に仮店舗があります。
完成は来年になる模様。
京阪電車の踏切をわたる
高架の上は国道1号線、
現代の東海道です。
大津栄町郵便局
10時57分、鳥居川交差点
交差点の向こうに長徳寺。
この先に御霊神社があるが、
またまた見逃してる。
5月の陽気にボーッとしてました。
情けない…。
そこで、先日、雨が降るなか
取材に行ってまいりました。
て、取材かい?
『御霊神社』
前回、幻住庵の帰りに立ち寄った北大路御霊神社と同じくこちらも大友皇子が祀られてます。
壬申の乱、最後の決戦地が瀬田唐橋でした。
大友皇子軍は瀬田川の西、
大海人皇子(天武天皇)軍は瀬田川の東に陣取、川の両側から弓で応戦した。
大友軍は橋の中ほどの板を外して敵を川に落とす作戦だったが、大海人皇子軍の1人の勇者がこのワナを見破り乗り越えて突撃し大友軍を敗走させた。
翌日、大友皇子は山崎で自害しました。25歳の若さでした。
山崎は天王山の山崎?
もしくは大津市内のどこかの山だとか?
よくわかりません。
大友宮の鳥居
で、この高麗門が膳所城遺構だと言われてます。
瓦は立葵紋か?
と思ったが、
違うようです。
参拝しました。
街道に戻ります
鳥居川交差点を左折すると
京阪電車『唐橋前駅』
さらに進むと
唐橋西詰交差点。
交差する国道422号線を南下すると石山寺から→甲賀→伊賀→伊勢→大台ヶ原の麓の太平洋岸紀北町へ行けます。
一度、車で走ってみたいものです。
『瀬田唐橋』を渡る。
瀬田橋、勢多橋、唐橋、長橋などの呼び方がある。
瀬田橋を制するものは天下を制すると言われるほどの戦略上重要な橋でした。
欄干を何色に塗るか、色々と検討されたが、確固たる史料がなくて
結局、この色に決まりました。
ホントは朱色にしていほしいという意見が多かったのですがね。
擬宝珠は、江戸時代のものや新しいものなど色々使われてます
瀬田川に屋形船
その35へ
前回まで寒い時に歩いてましたが、
今回は、五月晴れの良き日の歩きとなりました。
10時37分『石山駅』
まずは芭蕉翁にご挨拶。
電車も車もない時代に全国をよくもまあ歩いたものですな。
ホントに感心します。
石山商店街を南下。
左手に鳩のマークのスーパー。
※現在、店舗改修中のため別の場所に仮店舗があります。
完成は来年になる模様。
京阪電車の踏切をわたる
高架の上は国道1号線、
現代の東海道です。
大津栄町郵便局
10時57分、鳥居川交差点
交差点の向こうに長徳寺。
この先に御霊神社があるが、
またまた見逃してる。
5月の陽気にボーッとしてました。
情けない…。
そこで、先日、雨が降るなか
取材に行ってまいりました。
て、取材かい?
『御霊神社』
前回、幻住庵の帰りに立ち寄った北大路御霊神社と同じくこちらも大友皇子が祀られてます。
壬申の乱、最後の決戦地が瀬田唐橋でした。
大友皇子軍は瀬田川の西、
大海人皇子(天武天皇)軍は瀬田川の東に陣取、川の両側から弓で応戦した。
大友軍は橋の中ほどの板を外して敵を川に落とす作戦だったが、大海人皇子軍の1人の勇者がこのワナを見破り乗り越えて突撃し大友軍を敗走させた。
翌日、大友皇子は山崎で自害しました。25歳の若さでした。
山崎は天王山の山崎?
もしくは大津市内のどこかの山だとか?
よくわかりません。
大友宮の鳥居
で、この高麗門が膳所城遺構だと言われてます。
瓦は立葵紋か?
と思ったが、
違うようです。
参拝しました。
街道に戻ります
鳥居川交差点を左折すると
京阪電車『唐橋前駅』
さらに進むと
唐橋西詰交差点。
交差する国道422号線を南下すると石山寺から→甲賀→伊賀→伊勢→大台ヶ原の麓の太平洋岸紀北町へ行けます。
一度、車で走ってみたいものです。
『瀬田唐橋』を渡る。
瀬田橋、勢多橋、唐橋、長橋などの呼び方がある。
瀬田橋を制するものは天下を制すると言われるほどの戦略上重要な橋でした。
欄干を何色に塗るか、色々と検討されたが、確固たる史料がなくて
結局、この色に決まりました。
ホントは朱色にしていほしいという意見が多かったのですがね。
擬宝珠は、江戸時代のものや新しいものなど色々使われてます
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