馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
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〓おまQ〓724号肥前へgo!その39

2014-01-19 21:55:11 | 旅行
【Q】唐津城の麓に中学・高校がある。
何大学の学校か?

イ)早稲田
ロ)慶應義塾
ハ)同志社

答えは一番下↓

≪肥前へgo唐津城≫

2013年5月01日(水)

3日目。唐津市
        佐賀城
────┬─┬───■
    ↑二↓学校
時   ↑の↓↑
の太鼓櫓↑堀↓↑
→→→→┼──┼東城内
↑唐津 二女
↑神社 の史
└↑  門像
┌役場┐
└──肥後堀
国道=↑===
─┐↑   
 ↓↑
 ↓↑
 ↓↑佐賀銀行
 ↓↑
#[唐津駅]######



唐津城下探索中!


交差点を右に行けば「柳堀辰巳櫓」←後で行きます
辰巳は巽、南東の方角にある櫓のことです。

交差点をまっすぐ行けば「唐津城」です。

この交差点は
「二の門」

三の丸に住んでた藩士達はここから二の丸→本丸へ登城します


「北城内児童公園」


漆喰?の塀と冠木門の中に櫓が見える


「時の太鼓櫓」


毎時0分にカラクリ時計が動く

今は07時52分、

8時まで少し時間があるのでちょこっと付近を散策


「二の門堀」

現在、松浦川の河口はお城の東側にあるが、本来は城の西側に流れて海に注いでた
城を造る時に流れを変えた。
その本来の松浦川河口を堀にした、これが二の門堀。

この付近桜の名所のようです


余談ですが、我がひこにゃん城の南に芹川が流れて琵琶湖に注いでる。
これも城を造る時に流れを変えたのです。
本来の芹川は現在のJR東海道の線路の下で、佐和山城の麓を松原内湖に注いでました。


堀の突き当たりまで行き、再び二の門交差点に戻ってきた


「奥邨五百子女史像」


おくむらいおこ。
唐津の寺院に生まれ、幕末尊王攘夷運動に加わり、明治時代になると朝鮮に渡り学校建設。
後に北京にも行き、帰国後は愛国婦人会を創設した。

八重の桜の八重さんのように女傑だったようですな

ふーん…

と、感心してたら、
交差点の反対側のカラクリ時計が動き始めた

8時にはまだ3分あるのに早いやんか!
信号は赤で渡れない

仕方ないので遠くから見上げた

我がデジカメは光学10倍ズームなのでなんとか撮影できたが、交差点の反対側だから往来の車が邪魔する

カラクリが終わったのがちょうど8時!


くそー!

余談ですが、我が職場の社員食堂に一眼レフのデジカメを売りに来てた

最近は安くなってきた
でも、かさばるから旅に持っていきにくい
撮影が主目的じゃないし買わなかった

でも、欲しいな…


「東城内交差点」

向こうに唐津城が見えてます
本丸までもうすぐ!


右に行くと唐津年金事務所


父は満額もらってたが、我が輩は配偶者無しの独身だから年金少ない…



二の丸を歩く


網フェンスの向こうは学校の校庭グランド。

その向こうに城の天守閣があるので、怪しまれずに堂々と学校を撮影できる…


このまままっすぐお城に向かえばいいのですが、
我が輩は反転しもう少し城下を探索するのでした…

続く


‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡

本日の答え、
『早稲田大学』
早稲田といえば、創立者は大隈重信。
昨年の大河ドラマ八重の桜でも登場してましたね。
大隈といえば、佐賀県出身。
佐賀城探索で、大隈重信旧居に行ったことを〓おまQ〓で報告したが覚えてる人いるかな?

【佐賀城その3】動画
http://www.youtube.com/watch?v=kXhbrrA_eNI&sns=em

写真付ブログ
http://blog.goo.ne.jp/hakusiyu/0?guid=ON


Φ(*^馬^*)φ
駿河屋といえば練羊羹など和菓子メーカーとして有名。
京都伏見に鶴屋として創業、現在も京都工場がある。
紀州徳川家に仕えて和歌山で駿河屋となる。
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