学問は底の知れざる技芸なり
憂鬱は花を忘れし病なり
牧野富太郎
今月の言葉は、植物学者の牧野富太郎(1862~1957)のことばです。というか、9月末までNHKテレビ朝の連続ドラマ「らんまん」の主人公、槙野万太郎のモデルと言った方がわかりやすいでしょうか。わかりやすいでしょうか、と書きましたが、恥ずかしながら私などは、ドラマを視るまで、そんな好人物がおられたのを知らなかったけれど、知人のお医者様は「小学生の時に、牧野富太郎の植物図鑑を見て、科学の面白さを知った」というから、テレビドラマ以前から、著名な方であったのです。
いつも旬のことばを見つけてくる(と思っている)私としては、ドラマ放映後での登場となりました。膨大な仕事を残された博士の著作を追いかけるのに気おくれしていたところ、いつも重宝に使わせていただいてる、坪内稔典著『四季の名言』(平凡社新書)に載っているのをたまたま見つけたという次第です。まっこと偶然に見つけるというのは、紙の本だからできる技です。目的をピンポイントで検索してくれる、デジタルではできない術です。坪内稔典著『四季の名言』から次のように引用して、今月の言葉の出典と背景とします。
名言として挙げた言葉は、九十二歳の時のエッセイ「花と私ー半生の記」(自伝に収録=花岡注『牧野富太郎自叙伝』)に出ている。そこには以下のようにも書かれている。「花に対すれぽ常に心が愉快でかつ美なる心情を感ずる。故に独りを楽しむことが出来、あえて他によりすがる必要を感じない。故に仮りに世人から憎まれて一人ボッチになっても、決して寂寞を覚えない。実に植物の世界は私にとっての天国でありまた極楽である」。憂欝などとは無縁に、好きな花(植物)に没頭しているのだが、このように学問の出来た彼は、まさに「極楽」のような日々を生きたのだろう。
七十年以上前のエッセイに「ボッチ」なる言葉がでてきてにんまりするけれど、牧野博士の言葉はいまでも新鮮です。それを取りあげるのが少しばかり遅れて、テレビドラマの放映後の登場となりました。こんなふうに、朝ドラの話ばかり書いていると、「いいよな!住職は。朝のそんな時間にテレビを視ていて。こちとらは。その時間、通勤電車の中だぜ」。そんな憂鬱なお叱りが聞こえてきます。お許しを。
「許して!」と言いながら、もう少し、朝ドラの話を続けます。「らんまん」の次作のタイトルは「ブギウギ」だという。笠置シズ子をモデルにした物語です。実はヒットソング、「東京ブギウギ」は、禅と関係がある。そのことは既に、昨夏(平成4年8月)のこの欄で紹介しています。つまり、「東京ブギウギ」の作詞は、鈴木アラン勝人、つまり、「ZEN」という表記で禅をかけます世界へひろめた鈴木大拙博士の養子だったのです。
この話、今年(令和5年)正月号の『法光』という禅の雑誌にも書いたら、アランが亡くなった後の鎌倉での秘話を教えてくれた禅僧がおられました。知られていない内緒の話は、近いうちに書きましょうか(書いちゃっていいのかなぁーともったいぶって。それほどの話ではないです)。