松岩寺伝道掲示板から 今月のことば(blog版)

ホームページ(shoganji.or.jp)では書ききれない「今月のことば」の背景です。一ヶ月にひとつの言葉を紹介します

福を求める欲心をだに捨つれば、福分は自然に満足すべし  夢窓国師

2019-01-01 | インポート

福を求めたいという欲心さえ捨てれば、それなりの福を得ることで満足できる  夢窓国師『夢中問答』第一段

       〈写真 千田完治〉

 福男に福女、福引きに福袋と新年はいつもにまして、目にすることの多い「福」の字ですが、「福」を辞書でひくと、「さいわい、しあわせ、幸福」と説明してくれます。わかったようでわからない説明です。ならば、「幸福」はというと、広辞苑は次のように定義します。
「心が満ち足りていること。また、そのさま。しあわせ」
「心が満ち足りている」なんてことはことめったにないですね。ほとんど不可能です。
不可能だからどうすればよいか。夢窓国師の『夢中問答』冒頭にある一節を新年の言葉としました。
『夢中問答』は、足利尊氏の弟、足利直義が禅について夢窓国師に質問したものを九十三段にまとめた問答集です。
禅僧の問答集というと、不親切な漢文の語録を想像してしまいますが、これはかんでふくめるように親切で、仮名書きで筆録されています。その第一段で  直義がたずねます。現代語訳は西村恵信著『夢中問答をよむ』(NHK出版「宗教の時間」テキスト)から借用いたしました。


「仏の教えのなかには、人間が福を求めることはいけないことだといましめてあるのは、いったいどういうことでしょう」
夢窓国師が答えます。
「世間の人間を見ていると、毎日あくせくと働いて身心共に苦労をレているようだが、それでいて皆満足するほどの幸福を得ていないようだ。なかには結構うまくいって、いちおうは楽しんでいる者もあるが、それとて火水の難に遭ったり、泥棒に取られたり、税金に持っていかれてしまったりする。たとえそういう難に遭わなくても、福を持って死んで行けるものでもない。幸せが大きければ、それだけ罪も深いわけで、来世は必ず三悪道(悪行によって歩まなければならない地獄・餓鬼・畜生という三つの道)に入るであろう。(中略)ということであれば、福を求めたいという欲心さえ捨てれば、それなりの福を得ることで満足することができるのだ。だから仏教では、いたずらに福を求めることを誠めているのである。福の追求を止めて、貧乏であれと言っているのではない」
 

 これって、知足(ちそく=足るを知る)というのではないの!そう言ってしまえば良いのに、丁寧に説明するとかえってわかりづらくなってしまう。知足といえば、少々嫌みな奥様がたの会話をみつけました。
 女流文学賞を受賞した須賀敦子(1929~1998)のエッセイ集『ミラノ 霧の風景』(河出文庫)に「チェデルナのミラノ、私のミラノ」という短文があります。そのなかで語られているエピソードです。
 昭和三十三年に二十九歳でイタリアへ留学した敦子は、二年後にイタリア人男性と結婚し、ミラノに住みます。ある日、「ミラノの古い家柄の女性たちと、内輪の晩餐の席をともにしたとき」です。彼女らが、ある新興ブルジョアの生活ぶりを批判します。

「あそこは始終(B)でお買物よ」
(B)というのは大聖堂ちかくのぎらぎらした貴金属店の名です。古い家柄の女性たちは、そんな店であたらしい貴金属など買わないのです。彼女らには先祖代々伝わったものがあるから、買う必要がないのです。あたらしいものを買うのは、ものがないからで、恥ずかしいこと。

 すこし嫌みな奥さまがたの会話だけど、これも「知足」というのでしょうか。 
 お屠蘇の頭には、長い解説になってしまいましたが、本年も皆さまのご多幸を祈ります。いやいや、多くの幸なんて求めてはいけないのでした。そこそこに。

〈蛇足〉どこで読んだのか、それとも聞いたのか忘れてしまったのですが、次のような冗談が記憶にあります。

夢窓国師のお像がまつられている寺をお参りした男性が感心した様子でいいました。「大したもんやな、禅宗は。麻雀の仏さままでいらっしゃる」。

野暮なネタバラシは、やめておきます。

 

 

 

 


行く年しかたないねていよう  渥美清句集『赤とんぼ』より

2018-12-01 | インポート

 おそらくこれから半年の間、「平成最後の何とか」というフレーズが世の中にあふれるでしょう。だからシンプルに書きます。平成30年12月のことばは、渥美清の俳句です。
渥美清といえば、「男はつらいよ」です。全部で48作がつくられたシリーズですが、私自身はほとんど見ていません。ほとんど見ていないのですが、本棚には、渥美清関係の書籍が何冊かあります。
たとえば、米田彰男著『寅さんとイエス』(筑摩書房)。著者はカトリックの神父さまです。あるいは、吉村英夫著『ヘタな人生論より寅さんのひと言』(河出文庫)。
そして、今回の俳句が載っている句集『赤とんぼ』(本阿弥書店)。句集のタイトルは「赤とんぼじっとしたまま明日どうする」からとったようです
「行く年しかたないねていよう」は昭和48年12月、45歳のときの作。その4年前に「男はつらいよ」の第1作が製作公開されているから、もうすでに大スターです。「しかたなくねている」暇もなかっただろうに、と思うのです。
ところで、渥美清の俳号をご存じですか。「風天」です。風天はインドの神さまの名前です。中村元『広説仏教大辞典』から引用すると「インドの風神で、福徳・子孫・長生を与える神。仏教に入って守護神となる。胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)外では老人のすがたで髪が白く、身は赤色。冠をいただき甲冑を着る」。というわけで、ずいぶんと勇ましい仏さま?神さま?なわけです。
 

 風天がでてくる禅の書物で有名なのは『臨済録』でしょうか。沖本克己先生の著作に、「瘋癲の時代」という一節があります。それをご紹介して、平成最後の師走の……。いやいや、平成30年師走のお勉強とします。

「風顛」という言葉がある。〈略〉風狂というのもその類語である。世間から逸脱して規律に縛られず、奇矯な行動をする者を指す。シナの古典では独特の価値観をもつ人物として評価されることも多いが、この語が頻出するのは『臨済録』のみである。とすれば、この「風顛」は『臨済録』を特色づけるキィワードの一つであり、臨済の家風の表現としても重要な意味をもつ、というこになる。そのことに留意しながら臨済の行実を見るならば、彼は大愚の下で大悟を果たし、その家風を身につけて再び黄檗にまみえる。ところが彼は昔の彼ならず、それまでの線の細い秀才が大愚の薫陶を受けて大きな変貌を遂げたのである。かくして一見すれば師を師とも思わぬ粗暴な振る舞いを繰り返したそんな臨済を評した黄檗の言葉がここにおける風顛の初出である。
『広灯録』および流布本によれば臨済はその後も黄檗下にある問は風顛漢を演じ続けたことになっている。では臨済の風顛時代はいつ頃なのであろうか。上で想定した行実に従うなら臨済は黄檗下に合計二十年居た。だから風顛謳は大愚の没後、黄檗に戻った時期でなければならない。先の想定では五十歳を優に超えていたはずである。
風顛的あり方は、時代や世相に反逆する若者の特権だと思われがちだが・そうした先入見は排さねばならない。後に見る普化の生き方や、お馴染みの寒山・拾得など、風顛的生き方を生涯にわたって貫いた先例には事欠かないからである。もっとも臨済の場合はそれが生涯続いた訳でもない。一つの極からそれとは全く異なる対極に針が大きく振れた後、中庸に戻るかのように臨済は黄檗と大愚の家風をともに受け継ぎ、それを止揚して独自の立場を鮮明にしていったのである。瘋癲時代はそのための通過儀礼であったのかも知れない。(『沖本克己 仏教学論集第三巻』山喜房)

 結論。難しい論文だけど、ようは臨済という禅僧は50歳を過ぎても「世間から逸脱して規律に縛られず、奇矯な行動をする者」だったということ。渥美清さんは68歳で亡くなっているけれど。映画の寅さんは何歳の設定だったのだろうか。臨済禅師の方が長く風天をしていたのか。あるいは寅さんのほうが先輩風天なのか。おもしろい

 


今、目の前にあることをしなさい。  森下典子

2018-11-01 | インポート

さあ、気持ちを切り替えるのよ。

今、目の前にあることをしなさい。

「今に」気持ちを集中するの   森下典子著『日日是好日』より

 

日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ (新潮文庫)
森下 典子
新潮社

今月のことばは平成三十年十月に封切られた映画、大(おお)森(もり)立(たつ)嗣(し)監督の「日日是好日」の原作、森下典子著『日日是好日』にある言葉です。この映画、ご存じのように助演女優の樹木希林さんが公開の一か月前に逝去したこともあって、話題になった作品でした。話題になって、しかもタイトルは禅語だから、見ないわけにはいかない。
 見ないわけにはいかないのですが、原作を読んでから見るか。見てから読むか。迷いました。原作は平成十四年に出版された、森下典子著『日日是好日』(飛鳥新社)です。今は新潮文庫で復刊されていて、長い期間にわたり静かに売れているようです。話題の本だけど、読んだことはありませんでした。
 だって、「日日是好日」というよく知られた禅語にまとわりつくのは、「晴れた日は晴れを愛し、雨の日は雨を愛す」的なノーテンキな解説が多いじゃないですか。実際、映画の公開にタイアップした文庫本の帯には、主演の黒木華さんと樹木希林さんのご両人が和服に身を包んだカラー写真があり、「毎日がよい日。雨の日は、雨を聴くこと。いま、この時を生きる歓び」といった文字が添えられています。
 副題に「お茶が教えてくれた15のしあわせ」とあることからもわかるように、エッセイスト・森下典子氏が大学三年のときに、従姉妹のミチコといっしょに、タダモノじゃない「武田のおばさん」からお茶を習いはじめた記録です。その稽古場の長押にある額が「日日是好日」でした。日本家屋の垂直の柱と柱をつなぐ、水平な柱にかけられた横額です。お茶を始めてから今までずうっと目にしている禅語が、いつのまにか、エッセイスト半生のテーマになったのでしょう。
 就職につまずき、結婚式二か月前の破談、そして突然の父の死。みずからの人生の季節をたどりながら、二十五年続けたお茶のお稽古からの気づきをつづったエッセイです。読んでみると、月並みな解釈ではないかと疑った禅坊主の予想なんて、見事にうらぎってくれました。
「まえがき」の次のフレーズを読んだだけで、いちおう禅の修行をしたことになっている筆者などはガツンと打ちのめされてしまう。云く、
「生きにくい時代を生きる時、真っ暗闇の中で自信を失った時、お茶は教えてくれる。長い目で、今を生きろと」
「今を生きろ」こそ、一千百年前に中国であの方がおっしゃった言葉の深意ではないか。森下典子もタダモノではないと、リスペクトしてしまうのです。
 一千百年前に「今を生きろ」といったのは雲)門文偃(うんもんぶんえん)(八六四~九四九)禅師です。ただし、「今を生きろ」、なんてわかりやすい言葉は使ってくれなかった。「日日是好日」とおっしゃった。どうして、「日日是好日」が「今を生きろ」という意味になるのか。それは、7月にも書いたし月刊『大法輪』誌に連載中の「暮らしに生かす禅ライフのすすめ」一月号にも書いたからそちらを読んで!

 


すぐに古びるがらくたは/我が山門に入るを許さず 茨木のり子

2018-10-01 | インポート

すぐに古びるがらくたは/我が山門に入るを許さず

10月のことばは詩人・茨木のり子(1926~2006)の詩集『椅りかからず』(筑摩書房)に収められている「時代おくれ」という詩の一節です。
行数にして36行余りで5頁にわたる長い詩のわすが2行を引っ張り出したから、わかりずらい。わかりずらいから、このフレーズの前をご紹介すると……。

 

時代おくれ

車がない
ワープロがない
ビデオデッキがない
ファックスがない
パソコン インターネット 見たこともない
けれど格別支障もない

 そんなに情報集めてどうするの
 そんなに急いで何をするの
 頭はからっぽのまま

すぐに古びるがらくたは
我が山門に入るを許さず
   (山門だって 木戸しかないのに)

「すぐに古びるがらくた」というのは、以前ご紹介した小泉信三氏の「すぐに役にたつものは、すぐに役にたたなくなる」と同じ意味でしょう。次の一節の「我が山門に入るを許さず」をみて、ニンマリする人もおられるのでは。
これには本歌(ほんか)があります。「葷酒(くんしゅ)、山門に入(い)るを許さず(不許葷酒入山門)」という言葉があります。江戸時代に日本にやって来た隱元禅師が、日本の僧が酒を飲む様子を見て驚き、戒めに石に刻み山門前に立てさせた言葉だといいます。
「葷(くん)」は、ニラやニンニクのような刺激の強い野菜のこと。酒や刺激のつよいものを食べて臭いやからは、寺の門から中には入ってくるのを禁ずるといった意味でしょうか。現代の禅寺にもこの文句を刻字した石碑がよく建てられています。
「不許葷酒入山門」の石碑は松岩寺には今のところありませんので、建てたいと思っています。何かよい書風の「不許葷酒入山門」はないかとさがしているところです。でも、そんなものを建てたら、「酒好きの住職はどうするの」なんて心配はご無用。
「葷は許さず(不許葷)、酒は山門に入れ(酒入山門)」と読んだのは西村恵信師です(『禅 あるがままに生きる』三笠書房)。
あるいは、「酒とニンニク臭いのは、裏門から入ってください」とは故松原哲明師の駄洒落でしたから。
洒落といえば、作者の茨木のり子さんは本歌が漢文体だから、それにならって、「すぐに古びるがらくたは/我が山門に入るを許さず」と11字づつの対句にピッタリおさめているのでしょう。
このフレーズの後はというと、エチケット違反だけど、全文を紹介すれば……。

 

はたから見れば嘲笑の時代おくれ/けれど進んで選びとった時代おくれ/もっともっと遅れたい
電話ひとつだって/おそるべき文明の利器で/ありがたがっているうちに/盗聴も自由とか/便利なものはたいてい不快な副作用をともなう/川のまんなかに小船を浮かべ/江戸時代のように密談しなければならない日がくるのかも
旧式の黒いダイアルを/ゆっくり廻していると/相手は出ない/むなしく呼び出し音の鳴るあいだ/ふっと/行ったこともないシッキムやブータンの子らの/襟足の匂いが風に乗って漂ってくる/どてらのような民族衣装/陽なたくさい枯草の匂い
何が起ろうと生き残れるのはあなたたち/まっとうとも思わずに/まっとうに生きているひとびとよ

 

結びの3行が災害続きの今には、ちときついけれど、まっとうに生きたいと、だれもが思う、秋の空です。


 

 


六十、七十は洟垂れ小僧 八十になって一人前 男盛りは百を過ぎてから 大西良慶

2018-09-01 | インポート

             写真/佐藤虹二

月17日は敬老の日、ハッピーマンデーとやらで毎年変動するようになってから、少しばかり存在感が薄れたのでは。敬老の日にちなんで今月の言葉は、京都・清水寺前貫主・大西良慶師のことばを森清範現貫首の著作『心に花を咲かそう』(講談社)から引用しました。良慶和上は昭和58年2月15日に百九歳で亡くなられています。2月15日といえば、釈尊涅槃と同じ日。やるな!という感じ。その辺の消息を森清範師の著作から引用しようと思ったのですが、清範師の本は購入可能だから、買って読んでください。
そのかわりに、あまり手に入らない写真集から良いお年寄りの顔と文章を拝借します。佐藤虹二(こうじ)氏撮影「父の顔」(東京都写真美術館蔵所蔵)です。虹二はペンネームで、お檀家です。8月のことばの1945年8月末の写真と二ヶ月続いての登場です。引用したのは『佐藤虹二の写真』からです。この写真集は限定600部の私家版だから、たぶん流通してないと思う!冒頭に掲げた写真への撮影者本人のコメントです。

父の顔、母の顔  1947(昭和22年)9月18日記
私の作品「父の顔、母の顔」が光画月刊復刊記念懸賞の最高位に入選した。もちろん自信のない作品ではなかったが凡そ懸賞向きといえぬあの写真が推薦となった事は私には望外だった。
私があのテーマを思い付いたのは、昭和20年8月14日即ち終戦前夜の熊谷空襲中に始まる。落下する焼夷弾と燃え盛る炎にあおられながら、父と私、母と妹達で混乱の中を別れた。時過ぎて母達は私達を案じ、父や私は母達を案じた。互に探し求めて打ち合わせてある場所から家の方へ戻る途中、バッタリと路上で会合した。母は私達の手を握り泣きじゃくった。父は'良かった、とたった一言いったきりだったが、両眼にはチラリと光るものがあった。私も胸にこみあげるものを感じながら母の手を夢中で握った。こうして罹災後、私は父の愛や母の愛を更に強く感じる様になった。
落着いて写真が写せる様になったら第一に両親の写真を撮ろう。気のすむ迄写させてもらおう。そうして絶えず私は母の姿や父の姿を追った。母はカメラの前に立てる事は容易であるが父は中々簡単にはうんといわぬ気性だった。
一言にしていえば野人的である父は、日常の言動から風貌までが何か彦六似た風格を持っていた。激しい気性で気むずかしい所もあるが物に動ぜぬオットリした所もある。本気で自分のいった事はあくまで通すといった気風がある。然しその反面には案外アッサリとしたあきらめ方で我々のいう事を承認する場合もある。ほとんどその一日を夏も冬も天候と水の条件が良ければ荒川へ漁に出かける父は漁師といっても立派に通る色をしている。「俺の色の黒いのは他の連中のよりつやがあってきれいだそうだ」。だれかにこんな事をいわれて、一人で喜んでいる子供っぽい所もあった。美男子という言葉は適当ではないが年齢が、作りあげた容貌は美しいという事が出来る。父の顔を見ていると野人的ではあるが立派な顔であると思う。年毎に口やかましく小言をいうので母などは恐ろしがっている。もちろ、私も苦手で40才に近い年でありながら未だにこの小言が恐ろしい気がする。
こうした父を、カメラの前に向けるという事は中々大変な事である。私はかなりの永い間チャンスをねらって父がそのままいながら撮影出来る日を待った。

 乾いた冷静な文章ってすごいと思う。そんなふうに書きたいと思うのですが、難しいのです。