松岩寺伝道掲示板から 今月のことば(blog版)

ホームページ(shoganji.or.jp)では書ききれない「今月のことば」の背景です。一ヶ月にひとつの言葉を紹介します

すぐに古びるがらくたは/我が山門に入るを許さず 茨木のり子

2018-10-01 | インポート

すぐに古びるがらくたは/我が山門に入るを許さず

10月のことばは詩人・茨木のり子(1926~2006)の詩集『椅りかからず』(筑摩書房)に収められている「時代おくれ」という詩の一節です。
行数にして36行余りで5頁にわたる長い詩のわすが2行を引っ張り出したから、わかりずらい。わかりずらいから、このフレーズの前をご紹介すると……。

 

時代おくれ

車がない
ワープロがない
ビデオデッキがない
ファックスがない
パソコン インターネット 見たこともない
けれど格別支障もない

 そんなに情報集めてどうするの
 そんなに急いで何をするの
 頭はからっぽのまま

すぐに古びるがらくたは
我が山門に入るを許さず
   (山門だって 木戸しかないのに)

「すぐに古びるがらくた」というのは、以前ご紹介した小泉信三氏の「すぐに役にたつものは、すぐに役にたたなくなる」と同じ意味でしょう。次の一節の「我が山門に入るを許さず」をみて、ニンマリする人もおられるのでは。
これには本歌(ほんか)があります。「葷酒(くんしゅ)、山門に入(い)るを許さず(不許葷酒入山門)」という言葉があります。江戸時代に日本にやって来た隱元禅師が、日本の僧が酒を飲む様子を見て驚き、戒めに石に刻み山門前に立てさせた言葉だといいます。
「葷(くん)」は、ニラやニンニクのような刺激の強い野菜のこと。酒や刺激のつよいものを食べて臭いやからは、寺の門から中には入ってくるのを禁ずるといった意味でしょうか。現代の禅寺にもこの文句を刻字した石碑がよく建てられています。
「不許葷酒入山門」の石碑は松岩寺には今のところありませんので、建てたいと思っています。何かよい書風の「不許葷酒入山門」はないかとさがしているところです。でも、そんなものを建てたら、「酒好きの住職はどうするの」なんて心配はご無用。
「葷は許さず(不許葷)、酒は山門に入れ(酒入山門)」と読んだのは西村恵信師です(『禅 あるがままに生きる』三笠書房)。
あるいは、「酒とニンニク臭いのは、裏門から入ってください」とは故松原哲明師の駄洒落でしたから。
洒落といえば、作者の茨木のり子さんは本歌が漢文体だから、それにならって、「すぐに古びるがらくたは/我が山門に入るを許さず」と11字づつの対句にピッタリおさめているのでしょう。
このフレーズの後はというと、エチケット違反だけど、全文を紹介すれば……。

 

はたから見れば嘲笑の時代おくれ/けれど進んで選びとった時代おくれ/もっともっと遅れたい
電話ひとつだって/おそるべき文明の利器で/ありがたがっているうちに/盗聴も自由とか/便利なものはたいてい不快な副作用をともなう/川のまんなかに小船を浮かべ/江戸時代のように密談しなければならない日がくるのかも
旧式の黒いダイアルを/ゆっくり廻していると/相手は出ない/むなしく呼び出し音の鳴るあいだ/ふっと/行ったこともないシッキムやブータンの子らの/襟足の匂いが風に乗って漂ってくる/どてらのような民族衣装/陽なたくさい枯草の匂い
何が起ろうと生き残れるのはあなたたち/まっとうとも思わずに/まっとうに生きているひとびとよ

 

結びの3行が災害続きの今には、ちときついけれど、まっとうに生きたいと、だれもが思う、秋の空です。


 

 


六十、七十は洟垂れ小僧 八十になって一人前 男盛りは百を過ぎてから 大西良慶

2018-09-01 | インポート

             写真/佐藤虹二

月17日は敬老の日、ハッピーマンデーとやらで毎年変動するようになってから、少しばかり存在感が薄れたのでは。敬老の日にちなんで今月の言葉は、京都・清水寺前貫主・大西良慶師のことばを森清範現貫首の著作『心に花を咲かそう』(講談社)から引用しました。良慶和上は昭和58年2月15日に百九歳で亡くなられています。2月15日といえば、釈尊涅槃と同じ日。やるな!という感じ。その辺の消息を森清範師の著作から引用しようと思ったのですが、清範師の本は購入可能だから、買って読んでください。
そのかわりに、あまり手に入らない写真集から良いお年寄りの顔と文章を拝借します。佐藤虹二(こうじ)氏撮影「父の顔」(東京都写真美術館蔵所蔵)です。虹二はペンネームで、お檀家です。8月のことばの1945年8月末の写真と二ヶ月続いての登場です。引用したのは『佐藤虹二の写真』からです。この写真集は限定600部の私家版だから、たぶん流通してないと思う!冒頭に掲げた写真への撮影者本人のコメントです。

父の顔、母の顔  1947(昭和22年)9月18日記
私の作品「父の顔、母の顔」が光画月刊復刊記念懸賞の最高位に入選した。もちろん自信のない作品ではなかったが凡そ懸賞向きといえぬあの写真が推薦となった事は私には望外だった。
私があのテーマを思い付いたのは、昭和20年8月14日即ち終戦前夜の熊谷空襲中に始まる。落下する焼夷弾と燃え盛る炎にあおられながら、父と私、母と妹達で混乱の中を別れた。時過ぎて母達は私達を案じ、父や私は母達を案じた。互に探し求めて打ち合わせてある場所から家の方へ戻る途中、バッタリと路上で会合した。母は私達の手を握り泣きじゃくった。父は'良かった、とたった一言いったきりだったが、両眼にはチラリと光るものがあった。私も胸にこみあげるものを感じながら母の手を夢中で握った。こうして罹災後、私は父の愛や母の愛を更に強く感じる様になった。
落着いて写真が写せる様になったら第一に両親の写真を撮ろう。気のすむ迄写させてもらおう。そうして絶えず私は母の姿や父の姿を追った。母はカメラの前に立てる事は容易であるが父は中々簡単にはうんといわぬ気性だった。
一言にしていえば野人的である父は、日常の言動から風貌までが何か彦六似た風格を持っていた。激しい気性で気むずかしい所もあるが物に動ぜぬオットリした所もある。本気で自分のいった事はあくまで通すといった気風がある。然しその反面には案外アッサリとしたあきらめ方で我々のいう事を承認する場合もある。ほとんどその一日を夏も冬も天候と水の条件が良ければ荒川へ漁に出かける父は漁師といっても立派に通る色をしている。「俺の色の黒いのは他の連中のよりつやがあってきれいだそうだ」。だれかにこんな事をいわれて、一人で喜んでいる子供っぽい所もあった。美男子という言葉は適当ではないが年齢が、作りあげた容貌は美しいという事が出来る。父の顔を見ていると野人的ではあるが立派な顔であると思う。年毎に口やかましく小言をいうので母などは恐ろしがっている。もちろ、私も苦手で40才に近い年でありながら未だにこの小言が恐ろしい気がする。
こうした父を、カメラの前に向けるという事は中々大変な事である。私はかなりの永い間チャンスをねらって父がそのままいながら撮影出来る日を待った。

 乾いた冷静な文章ってすごいと思う。そんなふうに書きたいと思うのですが、難しいのです。

 


君に戦争があるか。君よ、今を大切にせよ。 大島渚

2018-08-01 | インポート

戦争が終わった日、パパは十三才、中学の二年。
銃をとるだけが戦争じゃない
上級生のビンタ、水びたしの本、
妹と別れてくらすことも、みんなパパの戦争だった。
君に戦争があるか。
君よ、今を大切にせよ   大島渚「パパの戦争」より抜粋

昭和20年8月末 松岩寺周辺 撮影 佐藤虹二

 

追悼の夏の言葉は、映画監督の大島渚さんが書いた「パパの戦争」という詩の一節です。この詩は、昨年(平成29年9月)に発見されて、多くの新聞で報道されたようですから、ご存じの方も多いでしょう。
詩の全編でなく、都合のよいところだけを切りとるのは、礼儀違反ですがお許しを。全文を知りたい方はネットで検索すれば読むことができます。新聞以外の活字媒体では未だ発表されていないようで、新聞記事経由ネットでしか全文を見ることはできないようです。
何紙もの新聞で報道されているのですが、私は今年の夏まで知りませんでした。教えてくれたのは、福岡県・博多の聖福寺・芙蓉庵老師です。老師から直接教わったわけではなくて、聖福寺の寺報「聖福・平成30年お盆号」に「一語一聲」というコーナーがあって、老師自らが書かれた記事で知りました。
「パパの戦争」が見つかる2年前に大島渚・文『タケノコごはん』(ポプラ社)という絵本が出版されています。この絵本と詩「パパの戦争」の関係がよくわからないのですが、長男の大島武氏が、あとがきで、「パパの戦争」の周辺を書いています。一部を紹介してみます。

この本(『タケノコごはん』)のおはなしは、わたしの父〈パパと呼んでいました〉が、わたしの小学校の宿題として書いてくれた作文です。親がこどものために作文を書くってちょっとへんですよね。でも、担任の先生は、こうい言ったのです。
「お父さんかお母さんにたのんで、こども時代の思い出を作文に書いてもらってください」。
小学校3年生のわたし悩みました。父は大島渚といい、テレビにもしょっちゅう登場する映画監督でした。さらに悪いことに母、小山明子も女優で、こちらは映画や舞台で大いそがしです。多忙な両親にたのんで、はたして作文を書いてくれるだろ。大いに悩んだわたしは、まあ、パパのほうがマシかなと思って、おそるおそるたのんでみました。
「よし、わかった」
父は軽くうけあい、なんとその翌々日に作文を書いてくれました。クラスで一番です!いち早く宿題が出せたことがとてもうれしかった。でも、その作文を読んでの感想は、「おとなの作文ってずいぶんと長いなあ」というていどのものでした。
 父はよく、「自分で考えることができる人になってほしい」と、わたしに言っていました。ですから、作文にも「むかしはこんなに悲惨だった」とか「戦争だけはぜったいにいけない」と直接的に書くのではなく、少年時代に起こったできこど、ひのとき感じたことをたんたんとかいたのでしょう。(大島渚・文 伊藤秀男・絵『タケノコごはん』ポプラ社)

たんたんと生きることが、人の心に響くのでしょうか。「君よ、今を大切にせよ」。暑い夏の胸にしみることばです。


今日までのことは問題外として、今日からのことを一言でいい表してみよ  雲門禅師

2018-07-01 | インポート

 

                         (千田完治撮影)

ほんとうにふと気がついてみたら、7月1日になっていました。伝道掲示板を書きかえなくてと思ったのは、今朝、日曜坐禅会で坐っているときでした。朝、六時の本堂はすでに28度あった7月1日の熊谷です。
それで何の言葉にするか。7月だから、中国は唐の時代に雲門禅師がおっしゃった次の言葉はいかがでしょうか。
雲門和尚(八六四~九四九)が修行僧に問いかけます。
「十五日までのことは問題外として、十五日からのことを一言でいい表してみよ(十五日以前は汝に問わず、十五日以後一句を道(い)い将(も)ち来たれ)」
 だれも応えないので、雲門が自ら言いました。
「日日是れ好(こう)日(にち)」
中国宋の時代に編集された『碧巌録』の問答です。
 禅問答ときくと、「当事者以外にはわからない会話」と敬遠されてしまいます。でも、言葉が発せられた現場をたどってみれば、真意を解き明かすヒントがあるはずです。
 この場合は、「十五日以後はどうするのだ」と尋ねています。十五日には諸説あるけれど、伝統的な解釈に従って、七月十五日のこととします。この日、九十日間続いた夏の修行期間が終わります。修行僧たちは集まって、布薩会をおこないます。布薩会とは、簡単に言ってしまえば反省会です。反省会といっても、「おまえのここが悪い」とか、「あの時、規則をやぶった」と、問いただして非難しあうわけではありません。
 懺悔と戒律の文言を声に出してよみ、如来さまや菩薩さまのお名前を声を出して唱えます。この、声をだすというのが気持ちがよいのです。身体のなかにある邪悪なものが、声とともに体外にはきだされていきます。でも、声だけでは不十分です。身体も動かします。唱えるごとに、五体を地に投げふして、礼拝をし身体も清淨にするのです。
 いつもだったら、ここで終わりになるのかもしれません。でも、その日は、お師匠さまの雲門禅師がひとこと加えました。
「明日からはどうするんだ」。
 誰も応えられないので、お師匠さまがみずからいいました。
「日日是好日」。
「日日是好日」は最もよく知られた禅語のひとつです。が、「平和で良い日が続く」なんて解釈したら、オチのない噺になってしまう。そんな、ノーテンキな説明ではなくて、過去でもなくて未来でもない、只今のこの時が特別なのだという、禅の重要なテーマです。
「マンネリズムのくりかえしを突き破る感激」と訳注しているのは、入矢義高・柳田聖山・梶谷宗忍共著『雪竇頌古(せっちょうじゅご)』(筑摩書房・禅の語録15)です。つまり、「毎日が新しい。やるなら、今でしょ」と励ました情景が想像できます。
「十五日以前云々」では道ばたの掲示板ではわかりにくいから、「今日までのことは問題外として、今日からのことを一言でいい表してみよ」としました。拙い現代語訳は私の作です。

追伸
高円宮家絢子さまの7月2日、婚約内定記者会見中の次の言葉を、朝日新聞デジタル(7/2)より拝借します。

絢子さまは父の高円宮さまを、守谷さんは母をそれぞれ亡くし、かけがえのない家族を突然亡くした体験を共有し「心の距離がさらに縮まった」(守谷さん)。絢子さまは「今日あることが明日も必ずあるわけではないという共通の認識を持っている」と話した。

「今日あることが明日も必ずあるわけではないという共通の認識」というのは、まさしく「日日是好日」ですね。いい言葉を聞かせていただきました。

 

 


悪を為すは/おのれ自らなり/心を浄めるのも/おのれ自らなり  鈴木大拙訳『因果の小車』より

2018-06-01 | インポート

悪を為すは/おのれ自らなり/心を浄めるのも/おのれ自らなり/汝みずから努めるべし/諸仏はただ導びくに/過ぎず 鈴木大拙訳『因果の小車』より

今月のことばはポールケーラス(1852~1912)が書いた「カルマ」という仏教説話を鈴木大拙が日本語に翻訳した一節です。日本語のタイトルを『因果の小車』といいます。「仏語に曰く」として引用されているから、原典があるはずなのですが、しめされていないし、不勉強者には不明です。
冒頭のことばは恐縮乍ら、筆者の抄訳です。原文とくらべてみれば、ずいぶんとことなります。鈴木大拙訳の原文は以下のとおりです。

悪を為すは己自ら之を為す也/苦に悩むは己自ら悩む也
悪を為さざるは己自ら為さざる也/意を浄むるは己自ら浄むるなり
浄も不浄も皆己自らに属せり/誰か他人を浄め得るものあらん
汝自ら努めざるべからず/諸仏は只之が導師たるに過ぎざるなり

亜米利加足球の監督・コーチ問題が世を騒がしている今日、「諸仏は只之が導師たるに過ぎず」というのが意味深長でしょうか。
鈴木大拙訳『因果の小車』の初版は、明治三十一年に長谷川商店から出版されて、それは現代、国会図書館がデジタル公開しているから、自宅のパソコン上で見ることができます。でも、この画像が不鮮明でみにくい。読みやすいものといったら、『鈴木大拙全集増補新版第二十六巻』(岩波書店)で見ることができます。初版は平成十三年十一月です。これまで、『鈴木大拙全集』は三回にわたり編集・出版されましたが、その最新刊です。全部で四十巻という大全集です。でも、その中で、この『第二十六巻』だけが品切れで、重版の予定はないという。なぜか。
鈴木大拙訳『因果の小車』には、五つの説話が紹介されているのですが、そのなかに「蜘蛛の糸」と題した話があるのです。これが、ご存じ芥川龍之介の『蜘蛛の糸』の原話だと、いつの頃からかいわれ始めたのです。それで、この巻だけが売れて品切れになっている。
関心のある方は、アマゾンでも何でもよいから調べてみてください。『鈴木大拙全集増補新版第二十六巻』は流通していないと思う。
そんな貴重本を私がもっているかというと、持っていません。先日、国会図書館でコピーしてきた果実が、今月の言葉です。