松岩寺伝道掲示板から 今月のことば(blog版)

ホームページ(shoganji.or.jp)では書ききれない「今月のことば」の背景です。一ヶ月にひとつの言葉を紹介します

自らを頼りとし、法(真理)を頼りとしなさい 釈尊

2013-10-04 | インポート

  Logo_hannah詩歌に季節感があるのと同じように、経典の言葉の中にも季節限定のものがあります。今月のことばは、釈尊涅槃のことばです。だから、2月がふさわしい。でも、どうしても「今」ご紹介したかった。
 なぜならば、菅原伸郎氏のすごい文章読んだから。菅原氏は朝日新聞記者として「こころ」欄の編集長を務め、退職後、宗教に関しての多くの著作講演をされています。
 氏の連載に、在家仏教協会発行の月刊誌『在家仏教』誌のコラムがあります。その最近刊(11月号)のタイトルは「アーレント」。10月26日から12月13日まで岩波ホールで上演される映画のタイトルです。釈尊涅槃の言葉とドイツ映画。どこでどう結びつくのか菅原氏の全文を紹介してみます。全文の引用は著作権違反かもしれないけれど、これを読んで、『在家仏教』誌の購読者が一人でも増えてくれれれば、それで御勘弁を。

 今秋、東京・神田の岩波ホールで上映されるドイツ映画「ハンナ・アーレント」を試写会で鑑賞した。思想家ハンナ・アーレント(一九〇六~一九七五)の生き方を描いた作品だ。右にせよ左にせよ、時流に流されないで自分自身で考えることの大切さと難しさを教えられた。
 ドイツ系のユダヤ女性であるアーレントは、哲学者マルティン・ハイデガーの愛弟子であり、恋人でもあった。しかし、ナチスの台頭で自由を奪われかけ、あやうく米国に逃れる。そして、戦後は『全体主義の起源』(みすず書房)で現代社会の病根を分析して注目された。
 マルガレーテ・フォン・トロッタ監督による今回の映画は、ナチス幹部だったアドルフ・アイヒマンが一九六〇年、逃亡先のアルゼンチンでイスラエルの諜報機関によって連行される場面で始まる。エルサレムの裁判所で大虐殺に関わった責任を問われるのだが、バルバラ・スコヴアの演じるアーレントは雑誌の依頼でその傍聴記を執筆する。
 しかし、のちに『イエルサレムのアイヒマンー悪の陳腐さについての報告』(みすず書房)という題で出版されるリポートは、多くのユダヤ人から猛反発される。反全体主義、反ナチスの論調が期待されていたのに、彼女は「アイヒマンは(極悪人というより)どこにでもいる平凡な人物」などと論評したのだ。たとえば、被告は「上司の命令に従っただけだ」と主張し続ける。これは当然、検事から「あなた自身の良心はどこに行ったのか」などと批判される。しかし、当人を観察していたアーレントは、かくも平凡な人間がかくも大きな悪を犯し得ることこそが恐ろしい、と書く。現代の人間は、どこかの「国民」として生まれ、仕会の「歯車」となるように教育される。与えられた仕事には黙々と従い、とかく善悪の判断も放棄しがちではないか。奇妙な話ではあるが、これは絶対の悪人も絶対の善人もいないことの証明であり、親驚の《わがこころのよくて、ころさぬにはあらず。また害せじとおもうとも、百人千人をころすこともあるべし》(歎異抄、第十三条)という言葉をも思い起こさせる。
 アーレントはさらに、少なからぬユダヤ人がナチスに協力していた事実も暴露する。これもユダヤ社会からは「裏切り者」と攻撃され、進歩派からは反動扱いされた。映画は当惑する彼女の姿で終わるのだが、当時の書簡「何が残った?母語が残った」ではこう書いている。
《私は生涯を通じて一度たりとも、何らかの民族ないしは集団を愛したことはありません。ドイツ人も、フランス人も、アメリカ人も、あるいは労働階級など、またその他の集団にしてもです》(一九六四年、みすず書房『アーレント政治思想集成1』所収、矢野久美子訳)
 愛国心、党派性、宗派性、組織への忠誠などからはあくまで自由でありたい。それが自分自身で思考する人間の務めだ、と考えていたのだろう。もちろん、それは哲学者や思想家だけの問題ではない。どんな状況にあっても、仮にそれが聖人の教えとか、権力者の命令とか、多数派の意見であっても、周囲や伝統に縛られないで、惑わされないで、自分自身で考え抜かねばならない。
 そうそう、ここで、あの「自灯明法灯明」という釈尊の言葉を思い出した。弟子たちから「先生が亡くなられた後、私たちは何を頼りにすればよいでしょうか」と問われて、彼は「自らを頼りとし、法(真理)を頼りとしなさい」と遺言されたそうである。(『在家仏教』2013.11月号、菅原伸郎氏のコラムより)

 すごいでしょ!「自灯明・法灯明」の背景については、機会を改めて書くとします。


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