松岩寺伝道掲示板から 今月のことば(blog版)

ホームページ(shoganji.or.jp)では書ききれない「今月のことば」の背景です。一ヶ月にひとつの言葉を紹介します

お釈迦様の尻まだ青き産湯哉  正岡子規

2021-04-01 | インポート

お釈迦様の尻まだ青き産湯哉  正岡子規

 四月八日はお釈迦さまのお生まれになった、降誕会です。お釈迦さまはいつ、生まれたのか。釈尊の伝記の決定版としては、中村元著『ゴータマブッダ 釈尊伝』(法藏館)があるのですが、なにしろ初版が昭和33年の本だから、もう少し新しいのと思い、平成30年に出版された、馬場紀寿著『初期仏教』(岩波新書)から引用してみます。

「ブッダの生没年代は、マウリヤ朝のアショーカ王の即位年である紀元前二六八年頃を基準として、ブッダが没した(仏滅)後からアショーカ王の時代までに経過した年数に言及する仏典の記述から、算定されている。漢訳やチベット訳の仏典にもとづき、前四四八-三六八年頃に想定する仮説と、パーリ仏典にもとづき、前五六六-四八六年頃に想定する仮説があって、決着していない。ともあれ、おおよそ紀元前五世紀前後と考えられている」

 誕生と入滅の年月は確定できないけれど、八十年の生涯だったのは、諸説が一致するようです。
 さて、降誕会(ごうたんえ)、灌仏会(かんぶつえ)、仏生会(ぶっしょうえ)と呼び方はいろいろあります。一字違いの降誕祭(ごうたんさい)を『俳句歳時記』で引くと、クリスマスをさす言葉になってしまう。「会(え)」と「祭(さい)」の一字しか違はないのに、四月八日と十二月二五日の認知度の違いははなはだしい。
 そこで、毎年四月は釈尊誕生に関する言葉を紹介しています。しかし、前にも書きましが、良いのが見つからない。私が不勉強だから適当な言葉が見つからないのは言うまでもありませんが。 それにしても、なぜ見つからないのか。
「天上天下(てんじょうてんげ)、唯我独尊(ゆいがどくそん)」というあの言葉が邪魔をしているんですよ。 釈尊はお生まれになると、東西南北にそれぞれ七歩ずつ歩んで「この世界で、私だけが最も尊い存在である。これから先はもはや輪廻をくり返すことはない(天上天下、唯だ我独り尊し、茲より往はも生分已に尽く)」と宣言されたという。
 いくら聡明なお釈迦さまでも、生まれてすぐに歩きはしないし、言葉を発っしたりはしない。創作です。仏教が中国へ伝わった以後の漢訳経典での創作らしい。そのうえ、現代では「唯我独尊」というのが、身勝手なうぬぼれた態度を連想させるから始末がわるい。と、正岡子規も思ったのでしょうか。お釈迦さまだって、人として生まれた人間だよ、聖人でも超越者でもないから、尊いのだ、というのが冒頭に掲げた句意でしょうか。 
 さて、正岡子規は明治三十五年九月に三十六歳で亡くなっています。この句は亡くなる二年前、明治三十三年五月の句らしい。便利になって、国会図書館に所蔵されている、子規の自筆原稿『俳句稿』を、おうちde確認できるのです。
(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2546179)のコマ番号20ページにあります。なんと、「春」ではなくて、「夏人事」に分類されている。明治三三年は当然ながら新暦ですが、その頃は月遅れの降誕会をしていたのでしょう。お釈迦さまのお尻の後には「子を祝ふ俳句の會や柏餅」の句が並んでいるのですから。でも、端午の節句は新暦でやって、降誕会は月遅れだったのだろか。またまた、いつも悩まされる旧暦と新暦の時間差にぶつかりました。

 

 


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