松岩寺伝道掲示板から 今月のことば(blog版)

ホームページ(shoganji.or.jp)では書ききれない「今月のことば」の背景です。一ヶ月にひとつの言葉を紹介します

手を拍(たた)く 魚は出てくる 鹿は逃ぐ 下女は茶をくむ 猿沢の池

2022-11-01 | インポート

手を拍(たた)く 魚は出てくる 鹿は逃ぐ 下女は茶をくむ 猿沢の池   詠み人知らず

撮影 千田完治

詠み人知らずの歌ですが、他にいくつかの異なる歌があります。以下に二つあげます。

 手を拍てば 鯉は寄り来る 鹿は逃ぐ 下女は茶をくむ 猿沢の池

 手を拍てば 下女は茶をくむ 鳥は立つ 魚は寄り来る 猿沢の池

 三つとも共通しているのは、手を拍つことと、猿沢の池と下女。下女なんて言葉を使うと現代では𠮟られるかもしれないけれど、歴史的な歌がそうなっているから、ご勘弁を。猿沢の池というのは奈良公園にあり、興福寺五重塔をみわたせる景勝地にある池ですね。その池のほとりにたつ茶店での出来事でしょうか。手をうつと、魚も動物も人も、それぞれに反応する、そんな情景です。まさしく、物それぞれ、人それぞれ。金子みすゞの詩でいえば、「みんなちがってみんないい」。
 だけれども、禅は、「意識なくして手の音に即座に反応する」。その瞬間の自由さに注目します。禅語でいえば、「鶏寒くして樹に上り、鴨寒くして水に下る」。あるいは「一樹の春風、両般有り,南枝は暖に向かい、北枝は寒(一つの樹に春風があたっても、南側の枝は暖かいけれど、北の枝は寒い)」と言った句を思いだします。まだまだたくさんあると思います。
 だが、しかし。令和4年11月に手を拍つ句を今月の言葉にしたのは、他の意味があるのです。
 話をまったく変えます。10月25日に国会で、7月になくなった安倍元首相の追悼演説を野田佳彦元首相がされました。歴史に残る名演説と報道されています。たしかに、野田氏が過去の失言を謝罪することば、「天上のあなたに、深く、深くお詫びを申し上げます」。今どきだったら「天国のあなたに」なんて言ってしまうところを、きちんと仏教語の「天上」を使っている。だって、安部氏は東京増上寺(浄土宗)で通夜・葬儀をして、浄土宗の戒名を授与されて、故郷の浄土宗の寺に埋葬されるのだから、キリスト教の理想郷である天国へ行ってはまずいのです。
 けれども、私が関心をよせるのは、演説の内容ではなくて、それに対するあの場にいた人々の反応なんです。翌朝の新聞には次の様に書かれています。「およそ20分間の演説が終わると、与野党双方の議席から拍手があがった」、と。
 どんなに、胸をうつ話だったとしても、しのんで、いたみ悲しむ話に、「よかった」と拍手するのはどうなのだろうか。だいたい、何への拍手なのか。演説への称賛なのか。それとも、志なかばで倒れた故人の一生への拍手なのか。あの場面では、議場にいた人々はみんな黙って立ち上がりその場を去るのが、哀しみと暴力への抗議になったのではないか。
 これを書く上で、思いだした映像がありました。平成7年(1995年)1月23日のサントリーホールでの小澤征爾指揮NHK交響楽団の演奏会です。https://www.youtube.com/watch?v=hnXItBOgZ6s

 その6日前には阪神淡路大震災がおきていました。演奏会の最後にチェリストのロストロボーヴィチが、英語で語りかけ、それを小澤征爾が日本語に訳します。
「今日はここにいる皆さんをハッピーにさせることは不可能だ。大震災で5千人の亡くなったことを考えなくてはならない。お祈りとしてバッハのニ短調サラバンドを弾かせていただきたい。演奏が終わって、どうか拍手をなさらないでください。亡くなった方のために、このホールから祈りがとどくでしょう」
 そして、チェリストがバッハをひとりで弾く。小澤征爾も指揮台の片隅に座り込み聞く。8分ほどの演奏が終わると、小澤がうながし楽団員全員が静かにたちあがり黙祷した。
 

 こういうときに品性がでてしまうから、こわい。だから、毎日心を鍛えなくてはならないのだろう。

 

 


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