松岩寺伝道掲示板から 今月のことば(blog版)

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行く年しかたないねていよう  渥美清句集『赤とんぼ』より

2018-12-01 | インポート

 おそらくこれから半年の間、「平成最後の何とか」というフレーズが世の中にあふれるでしょう。だからシンプルに書きます。平成30年12月のことばは、渥美清の俳句です。
渥美清といえば、「男はつらいよ」です。全部で48作がつくられたシリーズですが、私自身はほとんど見ていません。ほとんど見ていないのですが、本棚には、渥美清関係の書籍が何冊かあります。
たとえば、米田彰男著『寅さんとイエス』(筑摩書房)。著者はカトリックの神父さまです。あるいは、吉村英夫著『ヘタな人生論より寅さんのひと言』(河出文庫)。
そして、今回の俳句が載っている句集『赤とんぼ』(本阿弥書店)。句集のタイトルは「赤とんぼじっとしたまま明日どうする」からとったようです
「行く年しかたないねていよう」は昭和48年12月、45歳のときの作。その4年前に「男はつらいよ」の第1作が製作公開されているから、もうすでに大スターです。「しかたなくねている」暇もなかっただろうに、と思うのです。
ところで、渥美清の俳号をご存じですか。「風天」です。風天はインドの神さまの名前です。中村元『広説仏教大辞典』から引用すると「インドの風神で、福徳・子孫・長生を与える神。仏教に入って守護神となる。胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)外では老人のすがたで髪が白く、身は赤色。冠をいただき甲冑を着る」。というわけで、ずいぶんと勇ましい仏さま?神さま?なわけです。
 

 風天がでてくる禅の書物で有名なのは『臨済録』でしょうか。沖本克己先生の著作に、「瘋癲の時代」という一節があります。それをご紹介して、平成最後の師走の……。いやいや、平成30年師走のお勉強とします。

「風顛」という言葉がある。〈略〉風狂というのもその類語である。世間から逸脱して規律に縛られず、奇矯な行動をする者を指す。シナの古典では独特の価値観をもつ人物として評価されることも多いが、この語が頻出するのは『臨済録』のみである。とすれば、この「風顛」は『臨済録』を特色づけるキィワードの一つであり、臨済の家風の表現としても重要な意味をもつ、というこになる。そのことに留意しながら臨済の行実を見るならば、彼は大愚の下で大悟を果たし、その家風を身につけて再び黄檗にまみえる。ところが彼は昔の彼ならず、それまでの線の細い秀才が大愚の薫陶を受けて大きな変貌を遂げたのである。かくして一見すれば師を師とも思わぬ粗暴な振る舞いを繰り返したそんな臨済を評した黄檗の言葉がここにおける風顛の初出である。
『広灯録』および流布本によれば臨済はその後も黄檗下にある問は風顛漢を演じ続けたことになっている。では臨済の風顛時代はいつ頃なのであろうか。上で想定した行実に従うなら臨済は黄檗下に合計二十年居た。だから風顛謳は大愚の没後、黄檗に戻った時期でなければならない。先の想定では五十歳を優に超えていたはずである。
風顛的あり方は、時代や世相に反逆する若者の特権だと思われがちだが・そうした先入見は排さねばならない。後に見る普化の生き方や、お馴染みの寒山・拾得など、風顛的生き方を生涯にわたって貫いた先例には事欠かないからである。もっとも臨済の場合はそれが生涯続いた訳でもない。一つの極からそれとは全く異なる対極に針が大きく振れた後、中庸に戻るかのように臨済は黄檗と大愚の家風をともに受け継ぎ、それを止揚して独自の立場を鮮明にしていったのである。瘋癲時代はそのための通過儀礼であったのかも知れない。(『沖本克己 仏教学論集第三巻』山喜房)

 結論。難しい論文だけど、ようは臨済という禅僧は50歳を過ぎても「世間から逸脱して規律に縛られず、奇矯な行動をする者」だったということ。渥美清さんは68歳で亡くなっているけれど。映画の寅さんは何歳の設定だったのだろうか。臨済禅師の方が長く風天をしていたのか。あるいは寅さんのほうが先輩風天なのか。おもしろい

 


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