松岩寺伝道掲示板から 今月のことば(blog版)

ホームページ(shoganji.or.jp)では書ききれない「今月のことば」の背景です。一ヶ月にひとつの言葉を紹介します

善を成すに、それをあからさまにするは己のための善であり、真の善にあらず

2017-09-30 | インポート

善を成すに、それをあからさまにするは己のための善であり、真の善にあらず
                                        伊集院靜『琥珀の夢』より

 

琥珀の夢 上 小説 鳥井信治郎
伊集院 静
集英社

 今月のテーマは、陰徳です。陰徳なんてきくとそれだけで、拒絶反応をしめす方も多いでしょう。私だって、「どこから引っぱってきたのよ。論語?」なんて思ってしまうけれど、論語ではなさそうです。『史記』や『漢書』など中国の古典にしばしば「陰徳」は登場します。仏教経典のにもあります。『(漢訳)法句経』にもあるし、『大慧武庫』『虚堂和尚語録』にもあるから、禅も好んだ言葉のようです。だから、手あかがついて鮮度がおちています。
 鮮度がおちた品物に、ふたたび活力を与えるにはどうすればよいか。2017年9月末現在の、政治状況を見れば明かです。名前を変えて、人気者が語れば同じ品物でも鮮度がよみがえります。
 どこかで聞いたことのあるような冒頭のことばも同じです。なにしろ、語ったのは当代きっての人気小説家ですから、使い古された言葉も高圧洗浄機で洗い流され新品同様にリサイクルされてしまいました。しかも、リサイクル現場が「日経新聞」朝刊の連載小説というのですから今日的です。
 まわりくどい言い方はやめて端的にいえば、小説家の伊集院靜氏が一年以上にわたり日経紙上に連載してきた小説、『琥珀の夢』が9月5日に了わりました。小説はサントリーの創業者・鳥井信治郎の一代記です。「善を成すには」で始まる冒頭の言葉は終了間近の8月31日に掲載されました。
 サントリーにはよくお世話になっているし(毎晩呑んでいるだけのこと)、昨年7月の連載当初から読み続けていました。確かに大阪船場の旦那さんの一代記ですから面白い。でも、成功者の一代記だけならば、『男の流儀』に反するのではないだろうか。と、不審に思っていた最終盤でこのフレーズに出会いました。「いい言葉だな。今度、伝道掲示版に使ってやろう」くらいの軽い気分で一節を緑色のマーカーで囲み、新聞紙ごとファイルにいれて保存しました。
 しかし、このフレーズを書くために小説家は、一年間の連載を続けてきたと知ったのは連載が終わって5日後でした。「一葉の写真」という記事で伊集院靜氏が次のように告白しています。


 一葉の古い写真が私の仙台の仕事場にある。茶褐色に色あせた写真には、一人の老人と、隣りに二人の少年が兄弟のように肩を組み笑っている。小春日和の陽が差す縁側で、老人と孫がおさまつている姿はいかにもほほえ微笑ましい。
 昭和二、三十年代、日本のどこの家にでもあった冬の風景である。私がその写真を仕事場に置いていたのは、私が東京で何かにつけて世話になり、相談にのってもらっていた人の写真だったからだ。写真を入手して数ケ月後、私と家族は仙台の自宅で東北大震災に見舞われた。家屋は半壊し、仕事場も無慚な状態となった。蝋燭の灯りの下で、日々起こっていることを記録し続ける三ヶ月が続いた。地元紙に連載中の小説も中断し、仕事のこともそうだが、これだけの死者と行方不明者がいる中で、生きることへの不安と、この先、日本はどうなるのかと、自身をふくめて日本人を見つめざるをえなかった。やがて大勢のボランティアが東北に集まってくれ、救難物資、義援金の多さに私は日本人の根底にある、手を差しのべる強さを感じた。
 ようやく上京し、あの写真の人物にも無事を報告し、届けられた水や食料の礼を述べた。その夜ひさしぶりに銀座のバーへ行った。話題は、震災のこととともに或る企業家が何千億の義援金を発表したとか、ニュースキャスターが億の金を出したことだった。
 隣りにいた友人が言った。「たしかに素晴らしい行為ですが、なぜあんな大々的に発表をするんですかね?」「どうしてそう思うんですか?」「よくは知りませんが、あなたの友人が経営する会社も震災直後、すぐに相当な額の現金を三県の知事に届けているはずです」「本当かね? 新聞記事では見なかったな」「それがあの会社の創業以来のやり方なんです。陰徳ですね」。陰徳なる言葉は知っていたが、実践している人、または企業は知らなかった。正直、驚いた。それを実践した人が、写真の人物、企業であったからだ。なんとも善き先輩と知己を得たことと、今は第二の故郷である東北にそうしてくれたことに頭が下がった。
 帰仙し仕事場をたてなおした。あの写真も崩れた書棚の底から見つかった。それを眺め返していた時、好々爺としてしか映っていなかった老人の表情と、はっきりした目鼻立ちが視界の中でふぐらんだ。陰徳を百年守らせるこの創業者はいったいどんな人物であったのか。どんな生涯を送ったのか。俄然、興味が湧いた……。大阪船場で丁稚奉公からはじめて、二十歳そこそこで店を持ち、今は世界でも有数の企業となっているサントリー初代、創業者、鳥井信治郎なる人物のことを少しずつ紐解いてみた。しかしその時点でも、私はこれを小説として執筆することは念頭になかった。(2017年9月10日付け、日経日曜文化欄)


 まだ、続くのですが後を読みたい方は(https://www.nikkei.com/article/DGKKZO20922330Y7A900C1BC8000/ )  をどうぞ。
 というわけで、同じ言葉でもそれを語る人の魅力で新鮮にもなるし腐りもするから困ったものです。
 さて、少し前に「僧侶がうまく仏教を説明できていない」という批判を読みました。うまく説明する要素のひとつとして、言葉の新鮮さがあると思うのですが。2017年10月の新鮮なことばでいえば、それは「リセット」というのかもしれません

 

 

 


一大事と申すは今日只今の心也 正受老人

2017-09-01 | インポート

 

一大事と申すは今日只今の心也。それをおろそかにして翌日あることなし

 

9月のことばを何にしようか迷いました。いつも迷うのですが、過去の記録をみても最近の傾向として、やはり仏教者の言葉が少ない。そこで、七月に続いて正受老人の『一日暮し』の後半部の一節が冒頭の言葉です。
「一大事と申すは」なぞと大上段にかまえた物言いですが、この言葉の前で次のように茶化しています。
「一日一日と思えば、退屈はあるまじ。一日一日とつとむれば百年千年もつとめやすし。何卒一生と思ふからにたいそうである」
これって、金剛經の「三世心不可得(過去をあてにしてはならない。未来をあてにしてはならない。現在をあてにしてはならない)」と同じではないの!
よくよく考えれば、金剛経の正受老人訳だったのではないか。
7月にもかきましたが、正受老人は臨済宗中興の祖と仰がれる白隠禅師(一六八五~一七六八)のお師匠さんです。中興の祖の師匠ですから、大きな寺に住して、あまたの修行僧を指導したかというと、そんなことはない。信州飯山の正受庵で母親と孤高に暮らします。母親は、真田守信の側室だったといいます。守信の父親は平成二十六年のNHK大河ドラマ「真田丸」で大泉洋さんが演じた真田信之です。つまり、慧端禅師の父親は松代藩主であるから、それなりに大事に育てられたようだけど、今風にいえばシングルマザーの母親と生涯ともに暮らしたわけです。
ここで、正受老人の周辺を少しばかり勉強していたら、書棚に師父が遺した陸川堆雲著『考證白隠和尚詳傳』(山喜房仏書林)という単行本をみつけました。昭和三十八年刊行です。陸川氏は鎌倉円覚寺で長きにわたって坐禅した居士です。著作の中で次のような疑問をしめします。
「白隠は元来実に筆まめで、且つ偈頌好きであるが、正受の訃に接して追悼の偈を作ったとか」がないというのです。あるいは「白隠が正受庵を辞したのは、二十四歳であったがその後再び訪れることがなかったのはなぜか」
言われてみれば不思議なんですね。
現代白隠研究の第一人者の芳澤勝弘氏が何かそのことに書いているかなぁ-、と思って探しているのですが、見つからない。
さて、手もとにある『考證白隠和尚詳傳』ですが、Amazonでは古書で8万円もしていた。これは少し法外だとしてもけっこう高値がついている本になっていました。売らないよ!