松岩寺伝道掲示板から 今月のことば(blog版)

ホームページ(shoganji.or.jp)では書ききれない「今月のことば」の背景です。一ヶ月にひとつの言葉を紹介します

生まれて来る姿は一つだが、死んでゆくかたちはさまざまである 山田風太郎

2021-08-01 | インポート

生まれて来る姿は一つだが、死んでゆくかたちはさまざまである 山田風太郎

 

 花岡博芳著/川口澄子画/山原望装丁の『おうちで禅』が、7月15日に春陽堂書店という出版社から発売になりました。四十の独立した話からできている書籍で、各項目の冒頭に、それぞれ名言名句を掲げています。禅には「著語(じゃくご)」という言葉があります。広辞苑は著語の項で、「禅宗で、公案などに対して、自己の見解を加えて下す短い批評のことば」と説明しています。私の文章は公案ではないから、著語だ!なんて言ったら叱られるけど、自画自賛をもじって、自文自語といってみましょうか。
 7月は第一章一話(炊飯器よりおいしいナベごはん)に掲げたことばを紹介しました。8月は月遅れのお盆。お盆にふさわしい言葉を拙書からさがしました。第一章七話、「墓女を追っかけて墓参り」にあります。
 山田風太郎著『人間臨終図鑑下巻』(徳間書店)にある言葉で、この本は今年(2021年)2月にも紹介したように、上下巻あわせて九百ページに及ぶ大著です。古今東西九百人にもおよぶ人物の最期を記している。没年齢順に整理されていますが、その年齢毎に一つの語を著けています。
「生まれて来る姿は…」は〈七十歳で死んだ人々〉の章に掲げられています。今回、この文章を書くについて、もう一度確認してみたら、「生まれて来る姿は…」の前には次の様な言葉があったのを、私が省略していたのでした。すっかり忘れていたフレーズはというと。

幸福の姿は一つだが、不幸のかたちはさまざまだ、とトルストイはいった。同じように、人は、生まれてくる姿は一つだが死んでゆくかたちはさまざまである

 幸福の姿も一つではないと思うのですが、生まれてくる姿は一つのような気がします。中島みゆき作詞作曲に『誕生』という歌があります。全部を引用するのは、エチケット違反だから、肝心なところだけ引用します。

Remember生まれた時
だれでも言われた筈
耳をすまして思い出して
最初に聞いたWelcome

 英語を母国語とする国で、赤ちゃんが生まれた時、取り上げた助産師さんやお医者さんが最初に赤ちゃんに投げかける言葉はWelcomeだという。その子の肌の色がなんであろうと、貧しい家の子であっても豊かな家の子であっても、「ようこそ、わたしたちの社会へ」。だけどもいつかそんな言葉を忘れて、悪いことしたり自ら命を絶とうとする時があるかもしれない。そうした時、「ようこそ」と生まれたきたのではないか、思い出して!という詞です。
 生まれた姿は同じでも、生き方はさまざまだから、死に方もさまざまになる。さまざまに亡くなっていった、さまざまな人を、さまざまな人が偲ぶのがお盆でしょうか。さまざまだから、お盆には施餓鬼(せがき)という法要を行います。そのことは、またいつか。


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