子を養って知る父の慈 『臨済録』
花岡博芳著『またまたおうちで禅』が春陽堂書店から十月二十日に発売になりました。
「またまた」と名のるからには、二度目なわけです。二〇二一年七月に『おうちで禅』(春陽堂書店)を出版していただきました。時あたかも、コロナ禍で迎えた二年目の夏でした。テレワーク、ステイホーム、おうち時間なんて言葉が流行した季節です。そうした気分に少しばかり迎合したタイトルだけど、もともと仏教も禅も生活のなかにあります。日常と離れた高いところから見下ろしていたら、今ごろ釈尊の教えは消滅していたでしょう。ネタは毎日の暮らしの中にころがっているのです。前著に載せきれなかった文章と、あらたに書いたものを加えて一冊にまとめました。
というわけで、少しの間(?)『またまたおうちで禅』におさめた名句を掲示板でも紹介していきます。実をいうと、先月のことば「お寺の掲示板のことばは国境を越える」も、『またまたおうちで禅』にある題辞(エピグラフ)です。題辞とかエピグラフとか、なんなんだ。という方は手に入れて見てくださる以外方法はないのですが。
さて、『またまたおうちで禅』を次のように書き始めました。
向田邦子(一九二九~八一)さんのエッセイに、『字のない葉書』があります。終戦直前の数か月間に向田家で起きたことをつづった作品です。作者が航空機事故で足早にこの世を去った数年後には、中学校国語の教科書に掲載され、令和になってからも絵本になり、今でも余熱の冷めない読み物です。
向田邦子から書き始めて、いかに禅を語るのか。余談ですが、大型の書店では『またまたおうちで禅』はすでに店頭に並んでいるはずです。ただし、禅の本だからと言って、仏教書コーナーを探してもない。エッセイのコーナーにあるはずです。仏教というとスルーしてしまう方にも読んでもらいたい。そんな本です。
向田邦子と禅がどう結びつくのかに戻ります。少しタネ明かしをすると、冒頭では私の息子が禅の修行道場へ入門した時のことを書きました。息子の道場へ入門する支度をしている時、ふと思ったのです。亡き私の両親もどんな気持ちで、道場へ送りだしたのだろうか。
その時、浮かんだのが『臨済録』にある名句です。『臨済録』は臨済義玄禅師(りんざいぎげん=?~866)の言行録です。リンザイという名から想像できるように、わが臨済宗の創始者です。臨済禅師はこうおっしゃいました。
「子を養ってまさに父の慈を知る」。
もちろん、臨済禅師は妻帯していたわけではないので子などいない。「弟子を教育してみてはじめて師匠の慈愛がわかった」という意味でしょう。
だが、しかし、この名句。なぜ、「父母の慈」ではなくて、「父の慈」なんだ。十月末に男系男子の皇位継承を定めた皇室典範の改正まで求めた国連の女子差別撤廃委員会などに知られたら、「禅は差別的な宗教」と糾弾されてしまう。いやいや、母の慈しみは言わずとも、身体全体にしみわたっている。しかし、父の慈しみとなると、感じたことさえない。「父は永遠に悲壮である」とうたったのは、萩原朔太郎だけど、臨済は悲壮な父の慈しみに気づいたのです。こんな深ーい事情は街頭の掲示板ではわからないから、「父」だけしか出てこない字面を見て、「なぜ母はいないのだ。差別的」なんて言わないで欲しい今月の言葉です。
蛇足ですが、『またまたおうちで禅』で『臨済録』の参考図書に、朝比奈宗源訳註『臨済録』(岩波文庫)をあげています。一九三五年初版のこの本、古いので最近は、同じ岩波文庫でも一九八九年出版の入矢義高訳注『臨済録』を使うのが普通です。が、なぜか古いものを参考にしています。これにもちょっとしたワケがあるのですが、そんな面倒なことはどうでもよくて、禅がよくわかるように書いたつもりです。ぜひご購読を。