松岩寺伝道掲示板から 今月のことば(blog版)

ホームページ(shoganji.or.jp)では書ききれない「今月のことば」の背景です。一ヶ月にひとつの言葉を紹介します

草鞋よ/お前もいよいよ切れるか/今日/昨日/一昨日(をとつひ)/これで三日履いて來た 若山牧水

2023-04-01 | インポート

草鞋よ/お前もいよいよ切れるか/今日/昨日/一昨日(をとつひ)/これで三日履いて來た
履上手(はきじやうず)の私と/出來のいいお前と/二人して越えて來た/山川のあとをしのぶに/捨てられぬおもひもぞする

写真 池利文

大正11年10月14日、歌人・若山牧水(1885~1938)は、静岡県沼津を列車で出発し、東京を通過して、信州北佐久郡御代田駅に汽車を降ります。牧水三十七歳。汽車にのり、ある時は歩いて、小諸、草津、暮坂峠、沼田、金精峠を経て日光へまわる、後に「みなかみ紀行」と呼ばれる旅です。
 どんな旅だったのか、池内紀編『みなかみ紀行』(岩波文庫)の編者みずからの解説を引用します。

 牧水の旅はおおかたが歩く旅であって、履き物が重要だった。旅にあっての無二の友というものだ。牧水はこれまた昔ながらの草鮭を用いた。藁で編んであって紐がついており、足袋の上から結びつける。足の甲をしめつけ加減にするのがコツであって、ゆるいとすぐにグズグズになる。はじめは足になじんでいなくて草鮭を意識するが、なれてくると、履いているのかいないのかわからなくなる。きっとそんな一体感が牧水にはうれしかったのだ。

  草鮭よ
  お前もいよいよ切れるか
 詩のなかで、この「無二の友」によびかけている。今日、昨日、一昨日と三日も履いはてきたが、自分が「履上手」といわれるタイプであり、また草鮭の出来がいいので三日ももったとあるから、草鮭はふつう、一日に一足を履きつぶしたのだろう。
 牧水の足袋は昔の単位でいう九文半で、足としては小さい方に入る。町ではもう草鮭そのものを売っていないし、田舎でも小さな草鮭はめったにないとこぼしている。だから見つけると二、三足まとめて買って、腰にぶら下げて歩いたとも述べている。股引・脚絆に草鮭履きは、当時すでに時代遅れになっていた。しかし、牧水は自分のスタイルで押し通した。

 大正11年で「すでに草鞋は時代遅れになっていた」、というのは「言い過ぎではないの」と思うけれど、それから百年近くがたった令和の現代で、草鞋はどこで手に入れれば良いか?。普段の生活からは姿を消して、入手困難になった草鞋をはいて旅立ちの季節を迎えるのが、禅の雲水(うんすい=修行僧)です。
 禅の修行道場も新人が入門する季節になりました。入門とはいわずに掛搭(かとう)といいます。掛も搭も、「かける」「つるす」の意味があります。行脚してきた傘を掛けて、履いてきた草鞋を脱ぎ、玄関先に搭(つ)るすのです。
 なんで、そんな絶滅した履き物を足にして、めったに見ることのない竹で網代にあんだ笠をかぶるのか。それらが日常品だった時代のリズム感を共有するためでしょうね。
 禅道場への入門の作法は見慣れない固有名詞がいっぱいでてきて、書くのも読むのも嫌になる。嫌になることをわかりやすく、深く書いたのが、元毎日新聞記者の佐藤健氏(1942~2002)の「新聞記者が雲水になってみた」。昭和五十年から毎日新聞長期連載「宗教を現代に問う」のひとつとして書かれた記事です。この連載は後に菊池寛賞を受賞します。今、この記事を読もうとすると、新刊では手に入れることができません。次の書籍に収められているから古本で入手してはいかが。佐藤健・取材班『生きる者の記録』(毎日新聞社)、それと『ルポ仏教-雲水になった新聞記者』(佼成出版社)。
 ネットで〈佐藤健〉と検索すると、俳優の佐藤健ばかりになって、新聞記者佐藤健にはたどりつけないから、文字とおり隠れた名作です。
 春は旅立ちの季節です。旅立つということは、別れの季節でもあります。

 


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