花岡博芳著/川口澄子画/山原望装丁の『おうちで禅』が、7月に春陽堂書店から出版されました。四十の独立した話から構成されていて、各項目の冒頭に、それぞれ名言名句を掲げています。年内はしつこく『おうちで禅』のことばから。
11月は第4章第3話、「落葉が黙って教えてくれること」で引用した良寛の歌を今月のことばとしました。拙書をお持ちでない方のために、少し紹介します。
平成二十三年の宮中・歌会始の御題は「葉」でした。御題によせた当時の皇太子妃雅子さまの御歌です。
吹く風に舞ふいちやうの葉秋の日を表に裏に浴びてかがやく
雅子妃がこの歌を詠まれた時、もしかしたら次の句が頭のなかにあったかもしれません。
うらを見せおもてを見せてちるもみじ
良寛辞世の句です。辞世ではありますが、みずからよんだ句ではありません。最晩年の弟子、貞心尼が代作しました。筆をもつ力も残っていなかった師匠に代わって、弟子が生涯を総括する句をよんだのです。
良寛にはもうひとつ辞世の歌があります。こちらは、元気な頃にみづから作ったもので、与板(現長岡市)にある商家・山田屋の下女「よせ子」におくったのです。よせ子は良寛のことを「ほたる」とからかいます。ほたるは夕方にとんできて甘い水をすう夏の虫です。良寛もよせ子が働く商家の台所に夕方やってきて、甘い水、つまりお酒をそっと一杯口にして、草庵へ帰っていったのでしょう。
そんなよせ子が、急にわかれの歌を良寛に求めます。よせ子の身に異常事態が発生したのです。詳細は不明ですが、遊女にでも売られて生き別れになるのか。求めに応じてよんだのが、
形見とて何かのこさん春は花夏ほととぎす秋はもみぢば
さて、『おうちで禅』を読んでいただいたある方から、この部分についての誤りを指摘されました。禅寺の住職であり、大学でフランズ文学を講じておられた学者さんからいただいた、長文のお褒め?のお手紙にこう記されていました。
「ついでながら、―うらを見せおもてを見せてちるもみじ― は江戸の小唄だったか、他の俳人の句だったかを良寛がつぶやいたとのこと。貞心尼の代作ではありません」。
ありがたい限りのご指摘です。参考資料をよく読まなかった私の誤りではあるのですが、貞心尼が『蓮(はちす)の露』で、「(うらを見せの句は)御三づからのにはあらねど、時にとりあひのたまふ、いといとたふとし」と述べているように、良寛作ではない、といってはいるけれど、誰かのものを口ずさんだとも言えるし、貞心尼の代作ともいえるのでは。「うらを見せて」の句の背景をもう少し調べると、おもしろそうです。どなたかが、決定的なひとをおっしゃっているかもしれませんが。
ところで、『おうちで禅』では書かなかったけれど、「形見とて何かのこさん」には本歌があります。その一つは、道元禅師の「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり」。そして、良寛と道元のおおもとには、玄沙師備禅師の「三種病人」と、いう公案がある。そう指摘するのは、柳田聖山著『沙門良寛』(人文書院)です。
長くなるから書かないけれど(そう書いて、難しい話題から逃げるわけですが)、「三種病人」の公案というのは、目が見えない、耳が聞こえない、ものが言えない人を仏法はどのようにして救済(済度)するか、というきわめて今日的な問いかけを投げかける問答です。それが、良寛の「形見とて何かのこさん」の源流だというから、奧は深い。