松岩寺伝道掲示板から 今月のことば(blog版)

ホームページ(shoganji.or.jp)では書ききれない「今月のことば」の背景です。一ヶ月にひとつの言葉を紹介します

ボケたりと 目にはさやかに 見えねども 物忘れにぞ おどろかれぬる   小島ゆかり

2022-10-01 | インポート

 ボケたりと 目にはさやかに 見えねども 物忘れにぞ おどろかれぬる

写真 千田完治

今月の言葉は、歌人の小島ゆかりさんの歌です。歌といっては作者のご意志に反するかもしれない。ご本人は、有名な歌のパロディーとおっしゃっていますから。元の歌はなんだと思いますか。 このパロディー歌は、9月6日付け日経新聞夕刊第一面、「あすへの話題」欄で、「風の章」と題して、小島ゆかりさんが書いているコラムで紹介されていました。もちろん、パロったの小島さん自身です。囲み記事の、冒頭を引用してみます。


 秋は風の章。まだまだ暑くても、残暑を秋暑(しゅうしょ)と呼び替えて、そのシュウのひびきにすら、涼しい風の気配を感じるのである。
「古今和歌集」の「夏歌(なつのうた)」の最後の一首は、夏と秋とが空ですれちがう歌。そして「秋歌(あきのうた)」はこの一首で始まる。
「秋来(き)ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」(藤原敏行(ふじわらのとしゆき))
 目にははっきり見えないけれど、風の音にはっとして秋の訪れを感じる、という。
現代人のわたしたちには、古典和歌はまるで縁のない遠いもののように思われがちだけれど、じつはそうではない。日本人の季節感の源流には、古歌に詠まれた四季の情感がある。 

 というわけで、小島ゆかり作パロディーの元歌は、よく知られた「秋来(き)ぬと」 なのです。
 わたしの周りでも 「イヤー、最近ぼけまして」というのは、しきりに聞くことばです。しかし、よくよく考えれば、「年をかさねる前は聡明で、ものおぼえが良かったのか!」と、ツッコミたくなる。たいして、若い時と今も変わってないのでは。歌人のコラムの後半部分を引用してみます。
 

 「万葉集」からほぼ150年後の「古今和歌集」に、はじめて四季の部立(ぶだて)が登場し、春夏秋冬のみならず、移りゆく季節を細やかに感受しつつ、そこに人の心を重ねて詠む歌の配列が工夫された。それが以後の季節感のテキストになったのである。
 短歌講座や講演会などで、そろそろ秋ですねえと言って「秋来ぬと」の歌を口にすると、深く頷(うなず)かれる方(かた)あり、ふと目を遠くされる方あり。いまなお秋は、この歌のようにやって来るのだ。
 一方で、初秋に齢(とし)を重ねるわたしは、さいきんもっぱら、この歌のパロディーを作って老化を笑い飛ばしている。「ボケたりと目にはさやかに見えねども物忘れにぞおどろかれぬる」
 古典の名歌をけしからん、と自分を叱りつつ、やはり歌は楽しいのである。

 風に飛ぶ帽子よここで待つことを伝えてよ杳(とお)き少女のわれに


 余談ですが、『古今和歌集』は、後年、正岡子規が「古今集はくだらぬ集にこれ有り候」と批判した歌集です。批判したのは別の歌だけど、子規は「秋来ぬと」の歌をどう思っていたのか。そして、「ボケたりと目にはさやかに見えねども」のパロディーを何と評価するか。三十四歳で亡くなった子規はこういうかもしれない。
「わしも、ボケるまで生きたかった」、と。
 


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