松岩寺伝道掲示板から 今月のことば(blog版)

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炎天や念珠にぎりて身を支ふ 越前春生

2024-08-01 | インポート

炎天や念珠にぎりて身を支ふ   越前春生

写真 千田完治 

 八月のことばは、令和五年七月一日付け、つまり昨夏の日経新聞「俳壇」に載っていた俳句です。日経新聞の「俳壇」は短歌の投稿欄「歌壇」と同じページに、毎週土曜日に掲載されます。昨年の夏に紹介すればタイムリーだったのですか、このブログを印刷して檀家さんに配る予定があり原稿はすでに印刷所に渡し済で、間に合わなかったから、一年間保管しておいた、というわけ(スゴイデショ!一年前の句の存在を忘れずにいるのだから、それほど、これは秀句だと思う)。
 そんなことよりも、「なんで坊主が経済新聞なんて読んでんのよ。さてはー」と、余計なことを勘ぐられても困るから、最初に言いわけをしておくと、株も投資もしないけれど、名物コラムの「私の履歴書」と、第一面コラムの「春秋」が読みたいので、毎朝寺には日経新聞が配達されてきます。
 以前はこれまた一面コラムの「編集手帳」が読みたくて読売新聞もとっていたけれど、担当の竹内政明記者が書かなくったので、読売新聞はやめた(ゴメンナサイ)。
 ところで、毎朝、通勤列車にゆられている方には申しわけないけれど、私も時たま通勤時間が終わった頃か、始まる前の高崎線に乗ることがあります。そうした時は座席を確保すると、バックに入れておいた新聞をひろげます。今、列車で新聞紙をひろげている人、いないですねー。ひとりでそんなことをしていると「非常識にもほどがある」的な感じで恥ずかしくなるほど、誰も紙なんて読んでいない。スマホの小さい画面からは窮屈なアイデアしか生まれてこないと思うけどなー。そういえば、いく日か前に電車に乗っていて見た風景だけど、ベビーカーに乗せたまだ歩けない赤ちゃんに、お母さんは何を見せてあやしていたと思う?スマホのゲームだぜ。今どきの子どもは絵本も見ないで大きくなっていくのだろうな。なんて想像だけで物を言ってはいけない。飯田一史著『若者の読書離れというウソ』(平凡社新書)によれば、小中学生の読書量はV字回復しているといいます。なぜなのか。飯田氏によると「1993年に文部省(現文部科学省)が学校図書館を活用する教育に転換したこと、(88年に始まった始業前の10分間好きな本を読む)朝の読書運動が浸透したこと、赤ちゃんとその保護者に絵本を渡すブックスタートが始まったこと、などが挙げられます」というし、今、ベストセラーの新書に、三宅香帆著『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)なんて本があるらしいから、みんなみんな、スマホばかの見ていてはいけない。とはみんなみんな思っているのです。

スマホじゃなくて数珠を持とうよ、というのが今月の言葉かも知れません。

 冒頭にかかげた俳句です。作者の名は越前春生とありました。選者の俳人、横澤放川氏は次のように批評しています。
「高齢のひとには寒暑いずれも酷なものには違いない。念珠に南無や身もあずけて歩まんず」。
「念珠にぎりて身を支ふ」の句を読んで思い出したのは、平成二五年十二月の言葉にした、小林一茶の「ともかくも あなた任せの 年の暮」https://blog.goo.ne.jp/hakuhoda/e/4bd088109d078e3163efb0925d07ef8eです。一茶の句の「あなた」は阿弥陀さまです。「おのれの計らいは捨てて、弥陀のお誓いにお任せします」。これをナームというのですが。念珠をにぎって掌を合わせるだけでも良いけと、やっぱしそういう時は声に出して何かを念じた方がさまになりますね。念仏でもよいしお題目でもよいし。私どもだったら禅宗だから「ナムシャカムニブツ」でしょうか。禅宗だから坐禅をする時の「ひとーつ、ふたーつ」と数息観も良いし。姿と形プラス声が必要なような気がします。声に出してみるって大事なことです。


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