松岩寺伝道掲示板から 今月のことば(blog版)

ホームページ(shoganji.or.jp)では書ききれない「今月のことば」の背景です。一ヶ月にひとつの言葉を紹介します

過去は変えられないけれど、

2017-12-01 | インポート

過去は変えられないけれど、過去の捉え方で今と未来は変えられる   入江杏

忙しい現代です。何でも早ければ好いとおもって、年忌法要などを本当のお命日より一ヶ月も早くする人がおられるのですよ。いろいろと都合があるのでしょうが、やはり正当にちかい日の方がよいと思います。「あの時は、紅葉が色づいていて悲しかったな」とか「寒かった」「暑かった」などなど、故人を思い出すには背景も重要です。
 というわけで、12月のことばも前から用意していたのでは臨場感がない。やはり、12月1日に考えなくては。なんていうのはなまけ者の言い訳で、単に遅れただけですが。
遅れたおかげで、ホカホカの言葉をお届けします。平成29年12月1日付け日経新聞・「私見卓見」欄に寄せられていた、文筆家・入江杏さんの記事です。
全文を文末にコピーしましたので、お読みください。
 今月のことばに拝借した「過去は変えられないけれど、過去の捉え方で今と未来は変えられる」は記事の最終部分にでてきます。この言葉を目にして思い出したのは宮沢賢治の詩「永訣の朝」です。全部で56行にもなる長い詩ですが、冒頭を紹介します。

けふのうちに
とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゆとてちてけんじや)
うすあかくいつそう陰惨な雲から
みぞれはびちよびちよふつてくる
(あめゆじゆとてちてけんじや)
青い蓴菜(じゅんさい)のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがつたてつばうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした

 宮沢賢治は妹のとし子を二四歳で亡くします。亡くなろうとしている朝、とし子が「雪がたべたい」という。賢治は模様のついたかけたお椀をもって鉄砲玉のように、外へかけだしていく。亡くなろうとしている病人の枕元に集まった家族は何もすることができない。何もできない家族を思いははかって、妹は「雪が食べたいと」と言ったのではないか、と賢治は思う。「ああしてやれば好かった」「こうも出来たであろうに」と後悔するのではなく、最後に「食べたいという雪をとってきてあげられた」と、少しばかりの温かい気持ちを家族に遺すために。「過去は変えられないけれど、過去の捉え方で今と未来は変えられる」ように。だから、賢治は詩のなかで書きます。「ありがとうわたくしのけなげないもうとよ/わたしもまつすぐにすすんでいくから」
「まっすぐにすすんでいくから」と誓ったけれど、その後半年あまり、賢治は詩をかいていない。
 日経新聞「私見卓見」欄の入江さんにしても、「過去は変えられないけれど、過去の捉え方で今と未来は変えられる」と思いいたるには長い時間が必要だったのではないだろうか。、賢治の詩のなかの言葉を借りれば「おもてはへんにあかるい」本年最後のことばとします。


日経新聞H29.12.1朝刊〈私見卓見〉入江杏
 私は2000年12月、隣家に住む幼い姪や甥を含む妹一家4人を殺害された。いまだ解決していない世田谷一家殺害事件から17年間、遺族として1日も早い事件解決を願わない日はない。その一方、悲しみを抱えた人が悲しみを安心して吐露できる場が必要だと感じ、実践もしてきた。その歩みと気づきをここで共有したい。
 東日本大震災が起きた11年に亡くなった母は生前、殺人事件に巻き込まれたことを恥だとして「決して世間に知られてはならない」と私に言い含めた。実際、母は愛する娘も孫も殺されてしまった悲しみを最期まで公にできなかった。「涙も出ない。(娘一家とは)夢でも会いたいのに、夢にさえかわいい孫たちが出てこない」と嘆き続けた母。最晩年には失明した。
 悲しみを封じ込めてしまった苦悩が母から目の光を奪ったのではないか?弱い立場に置かれた人が自分の悲しみを語り出すにはどれほどの逡巡(しゅんじゅん)を抱えるかを母から教えられた。
 心に悲しみを抱えた人が「悲しんでもいいんだ」と思える場を作りたいと願い、事件が起きた12月に毎年開催してきた「ミシュカの森」という追悼の集いが今年で11回目を迎える。被害者遺族も一般の方々も垣根がないこの集いは当初は異色といわれた。従来の犯罪被害者や遺族の会合には弁護士や支援団体、メディア関係者ばかりが集まっていた。特異な事件の悲しみとしてではなく、日常の悲しみとして共有できるはずの一般の方々に開かれたものにしたかった。
 犯罪被害と関わりがない方々に私たちが抱える「愛する人を失う悲しみ」の意味を一緒に考えてもらいたい。愛する人は2度と帰ってこない。でも人は死んだら終わりではない。遺された者が亡き人の想いに応え、過去を捉え直す。亡き人との「出逢(あ)い直し」により、悲しみを生きる力に変えていける。「悲しみ」は「愛(かな)しみ」だと気づかされる瞬間があると私は信じている。
 集いを支えているのは亡夫の「過去は変えられないけれど、過去の捉え方で今と未来は変えられる」という言葉だ。今年は慶応大学で12月9日午後2時から小児科医で文筆家の細谷亮太先生をお迎えして開催する。悲しみに縁がない日常を送っていると感じている方々にもぜひ来ていただきたい。「悲しみの種」は「愛しみの種」なのだから。

 

 

 

 


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