松岩寺伝道掲示板から 今月のことば(blog版)

ホームページ(shoganji.or.jp)では書ききれない「今月のことば」の背景です。一ヶ月にひとつの言葉を紹介します

山本兼一の小説より

2014-03-29 | インポート

大勢の見物人が押し寄せる桜の名所など、ちっともありがたくない。人に知れずとも、ひっそり咲いている山桜のほうが気高く美しい          山本兼一著『命もいらず名もいらず』より

Sakura14329

寺の境内の枝垂れ桜が数輪咲いたのは、26日でした。名所でもないし、ひっそりと咲いてます。
今月のことばは作家の山本兼一さんが、小説『命もいらず名もいらず』の主人公・山岡鉄舟に語らせたせりふです。
山本兼一さんの 直木賞の受賞作となった『利休にたずねよ』は、映画化されて市川海老蔵主演で話題になりました。が、今年2月、作家はガンで亡くなられている。プロフィールをみたら、私と同じ年齢なんですね。才能ある人は夭逝してしまうけれど、わたしなんか、無芸大食、何の取り柄もないから、「大丈夫」なぞとわけのわからない安心をして、病の怖さから目をそらせてしまうけれど、残念なことです。
山岡鉄舟を主人公にした小説『命もいらず名もいらず』は上下巻で780ページを越える大作ですが、一気に読ませてしまう、面白さがあります。
しかし、一ケ所だけ、禅宗坊主のはしくれが読んで「これはないよな」と思う場面があります。

「(禅の)公案の梯子をいくつか登り、融通無碍の境地に一歩ずつ踏み込んでいるつもりだが、それでも、強くなりたいという気持ちを、放下することができない」鉄舟ですが、「剣術の極意は風の柳かな」という句が浮かぶまでになります。その心境(見解)を参禅の師である天龍寺の滴水老師に示します。老師は大悟徹底をゆるします。ここまでは、実在の寺あり人物ありで作家の入念な取材に敬意を表しますが、これからがいけない。老師が「大悟の祝いをせねばならんわい」と言って逗留先の主人に「こやつ、とうとう大悟しおった。ビールをふるまってくれないか」と言って、酒盛りになる。これは、ないと思う。私が大悟したことがなくて、「ビールが美味しい。こんなにすがすがしい 味わいは、生まれてはじめてだった」なんて経験をしたことがないからひがみで言っているわけではなく、こういうときの師と弟子の関係は、もっとはにかんだ静かなものではないだろうか。
たとえば、白隠禅師(1685年~1768年) とその師・正受老人(1642年~1721年)のこんな別れのシーンはどうでしょうか。白隠24歳、師は67歳。それこそ、五百年間不出の大悟をした白隠は信州飯山の正受庵を後にします。
「白隠が正受の許を去るに際して、老人がどこまでも山道を送って後事を嘱し、ただ一個半個の本物の弟子を打出せよ、多くを求めてはならぬ、衰えたる古仏の真風を挽回するは一に汝にあり、と嘱する一段は、さながら黄梅の五祖がかつて鷹行者の南帰を送る話によく似ている」(柳田聖山著『禅の時代』筑摩書房刊)
「老人はどこまでも山道を送って」という一節を読むと、景色が目にうかんできませんか。
ところで、白隠禅師の生年と没年を書く上で、安易にウィキーペディア 見てしまったのですよ。そうしたら、1686年1月19日(貞享2年12月25日) となっています。 コピペしてしまったのですが、「いや、待てよ」」と思い、権威ある数点の本を調べたのです。すると、(1685年~1768年)とになっている。生年没年とも1年異なる。「たがら、ウィキペディアは危ないんだよな」と思う。でも、、しばらくPCモニター上の1686年1月19日貞享2年12月25日) - 1769年1月18日明和5年12月11日という数字を眺めていて気がつきました。つまり、生年は旧暦の12月25日。新暦では、翌年の1月16日頃なんですね。亡くなった12月11日は新暦では1月18日頃、それで、ウィキペディアは新暦換算の生没年を採用しているわけで、あながち間違いではない。こういう場合、どう表記するのが一般的なのでしょうか。こんど、田中潤君にきいてみよ。(田中潤というのはわかる人にはわかる名前です)。
こうした、元号のマジックって面白いのですよ。妙心寺の開山様、無相大師の遺誡を巡っても元号の元年を巡って推理小説のような、面白い話があるけれど、長くなったので、それはまたいつか。


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ふるさと  室生犀星

2014-03-01 | インポート

雪あたたかくとけにけりDscn02771
しとしとしとと融けゆけり
ひとりつつしみふかく
やはらかく
木の芽に息をふきかけり
もえよ
木の芽のうすみどり
もえよ
木の芽のうすみどり

今月のことばは室生犀星「ふるさと」です。室生犀星と「ふるさと」で連想するのは、「ふるさとは遠きにありて思ふもの」の一節だけど、「雪あたたかくとけにけり」ではじまる「ふるさと」も同じ詩集『抒情小曲集』に収められています。
『抒情小曲集』の初版は大正7年(1918年)というから96年前です。2月14日に降った大雪は、120年前に熊谷に気象台ができて以来最大だといいます。
雪になれないからあたふたとしたけれど、雪国にとっては普通のこと。それでも、豪雪地帯の苦労が少しは身に染みたので、普段は実感のわかない、雪解けの詩を3月初頭のことばとしたわけです。
それにしても、わかりにくいというか見事というか、「雪あたたかく」から「「もえよ木の芽のうすみどり」に飛躍してしまうのはなぜなのだろうか。といぶかしく思っていた時、はたと気がつきました。これは漢詩だと。
ちょうど、この詩を掲示板に貼る模造紙に墨書する前に、漢詩をつくっていました。漢詩をつくる、なんていうと格好よいけれど、ぼくら禅宗坊主はときたま漢詩をつくらなければならない時があるのです。葬儀の引導法語というのがあって、七言絶句をつくるのです。それで、ウンウンうなりながらつくったあとで、「ふるさと」を墨書して気がつきました。、この詩は漢詩だと。
日本人の漢詩って中国語の詩を外国人がつくるわけで、昔から参考書がいっぱいあって、形式に当てはめていくわけ。大事な形式のひとつに「起承転結」があります。私ごとでいえばいちばん難しいのが転句です。なかなか転じない。転じないと、詩ではなくて、文章になってしまう。文章になってしまうと、短い説明だけで、色も香りも感触もつたわってこない。
室生犀星の「ふるさと」でいえば、雪融けからはじまって、「息をふきかけ」で見事に転じて、想像だにしない、「もえよ木の芽のうすみどり」に着地、テレマーク姿勢完了といったところです。
私がならった漢詩講座の先生は、漢詩をつくる時に結句からつくるという秘術を教えてくれました。反対に詩ではなくて「文章講座」の先生は「書き出し」を重要視していました。文と詩は異なるのです。

さて、観測史上の最大大雪も、昨日の温かさであらかた消え去りました。雪が消えて、折れた植木の枝をひろい集めた三月一日です。


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