松岩寺伝道掲示板から 今月のことば(blog版)

ホームページ(shoganji.or.jp)では書ききれない「今月のことば」の背景です。一ヶ月にひとつの言葉を紹介します

山高きが故に貴からず

2015-09-30 | インポート

山高きが故に貴からず 樹あるを以て貴しとなす 実語教 

『実語教』というのは、仏教経典やその他の書物の格言を集めて、簡単に朗読できるように編集された子どものための教訓書です。平安時代には出来あがっていたといいます。江戸時代には寺子屋の教科書として使用され、弘法大師空海の作とも伝えられていますが不確かです。
「高くて綺麗なだけでは名山ではない。大
雨が降ったら洪水にならないように樹のしげった保水力のある山でなくてはダメだよ」と解釈したら、超訳すぎるでしょうか。
齋藤孝著『親子で読もう実語教』(致知出版社刊)なんていう本も出版されているようですから、知っている人はしっている資料なのでしょう。
私はどこで知ったかというと、夏目漱石の『吾輩は猫である』のなかで見つけました。漱石先生は原文通りでなく「鼻高きが故に貴からず、奇なるが為に貴し」ともじってはいますが。
なんで、『吾輩は猫である』なぞを読んでいるかというと、『吾輩』の中にあるというある句の出所を確認しておきたい為に、文庫版で470頁にもおよぶ長編を
 読み続けたわけですが、またもや途中で挫折して最終ページまでたどり着けることはありませんでした。
書き出しは有名で誰でも知っているけれど、「きちんと読んだ人はいるのかしら」なぞと思うのは不遜でしょうか。
というわけで、明治時代までは誰でもしっていたであろう言葉を今月の言葉にしました。


夕暮の  大西良慶

2015-09-05 | インポート

遊ぶ子の 帰るを待ちて 夕暮の 門に立ち居る 母は菩薩よ   大西良慶

今月のことばは、京都・清水寺前貫首大西良慶師(明治8年~昭和58年)の歌です。
大西師は百七歳でなくなられた、昭和を代表する名僧のひとりです。
さて、盗作問題でゆれるこの頃です。前にも書きましたが、文章でいえば出典を明記すれば、セーフなのではないですか?借りたもので自分のものではないと宣言しないから、盗んだことになる。あるいは文章全体の分量からいって、許容範囲を越えた字数の引用だから問題になるのでは。というわけで、今月のことばを引いてきた出典を明らかにすると、立正佼成会に『佼成』という月刊誌があります。そのなかで、少し前から清水寺の現貫首・森清範師がコラムを担当されています。平成27年8月号のテーマが「盂蘭盆法話」で、良慶師のこの歌を紹介していました。
でも、なんで立正佼成会の月刊誌を読んでいるかというと、十年以上前に地元でカトリック教会主催の異宗教の対話の会があってノコノコと出かけて行って、立正佼成会の熊谷教会の教会長さんとお会いして名刺を交換したら、それ以来、毎月『佼成』と『やくしん』という月刊誌を送ってきてくださるわけです。さすが、大教団。
それで、よく読んでいるかというと、いただいていながら申し訳ないけれど、目次に目を通して、ぱあーと眺めるだけ。なぜ、眺めるだけかというと、熟読するとどうしても影響を受けてしまうわけですよ。「さすが、庭野日敬さん(開祖)。よいこと言っているな」ななんてメモして、この欄で紹介したら、ちょっとまずいかな、とおもうわけです。

それで、熟読するのは巻末の清水寺貫首の短文にくらいにしています。でも、楽しみしているから送り続けてください。

さて、冒頭で紹介した「遊ぶ子の」歌ですが、だいだいの方が思うのとおなじように、私の念頭にあるのは、大阪で起きた痛ましい事件です。そのことを論評するのはひかえるけれど、立ち居る「門」を構えた家なんて少なくなった現代の晩夏におきた出来事なのでしょう。

なお、冒頭に掲載してある本は『清水寺の日々 FEEL KIYOMIZUDERA―清水寺公式インスタグラム写真集 』(主婦の友社刊)という、本年8月に出版された写真集です。評判のようです。この写真は、Amazonからコピーアンドペーストしました。と、借用先を白状しておきますが、これっていいのかなぁー