松岩寺伝道掲示板から 今月のことば(blog版)

ホームページ(shoganji.or.jp)では書ききれない「今月のことば」の背景です。一ヶ月にひとつの言葉を紹介します

心を美しく磨き 稲盛和夫

2016-01-15 | インポート

利己まみれの自分の心を美しく磨き/しっかりと帆をはっておくと/他力の風を受け/人間の力を越えた/力を得ることができます

1月1日に夏目漱石の「元旦や吾新たなる願あり」の一句を掲げました。1月も10日を過ぎて、その句を見ると違和感を憶えます。もっと、お正月でいたいのですが、せっかちな現代は許してくれません。
昨年の1月10日頃、京都妙心寺塔頭のご住職に頼み事があって電話したら、「松の内が過ぎたら、京都へいらっしゃいよ」とお誘いをいただきました。関東で松の内といったら7日まで。でも、京都の松の内とは15日までを言うらしい。
以前、1月15日前に二日酔いのふらふらする足取りで、京都嵐山から清涼寺脇の「森嘉」豆腐まで歩いたことがあります。その時も嵯峨野の家いえの玄関には松飾りが残されていて、不思議に思ったのを憶えています。
というわけで、「元旦や」の句は現代では賞味期限が短く、15日で書き換えました。1月後半は実業家の稲盛和夫さんのことばです。
稲盛師のあまたある著作の熱心な読者でないので同様の言葉が著作にあるかもしれませんが、収録したのは昨年の春に、京都国際会議場で開かれた日本医学会総会の講演での結語です。
熱烈なファンがおられる稲盛師ですが、今から二十年ほど前になるのでしょうか。妙心寺派の僧籍をとり少しの間だけど禅の修行道場で暮らした経験もあります。稲盛師が居られたのは、京都府八幡市の圓福寺という僧堂です。多くの著名な禅僧を輩出した僧堂ですが、変わったところでは、京都・清水寺の現貫首様もこの道場で修行されています。清水寺はもともと法相宗です。法相宗は
唯識の宗派です。唯識とは……。禅宗の私には、畑違いだから、誰か他の人に聞いて!というくらい離れている宗派で修行されたのですからおもしい。その背景は現貫首様の著作のどこかにかかれているのでしょうが、不勉強者には不明です。
というわけで、1月後半の言葉は、禅の僧堂で修行経験のある当代一流の実業家のことばとして読むと深みがでてきます。「しっかりと帆をはっておく」というのが、いいですね。
西でも東でも正月がおわったようですから、そろそろ帆をあげなければ。

 


 

 


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元旦や 吾新たなる 願あり    夏目漱石

2016-01-01 | インポート
俳人漱石 (岩波新書)
坪内 稔典
岩波書店

 

 

冒頭の俳句は夏目漱石の明治30年の句です。その前年に漱石は29歳で9歳年下の鏡子と結婚します。新婚早々の元旦、当時第五高等学校の教授だった漱石の家に「年始の客が四、五人ほどあり、生徒も五、六人来て、ご馳走が不足したそうですね。それで漱石さんが腹を立て、奥さんは夜中の十二時までかかってきんとんをつくったそうですよ」、とは『俳人漱石』の著者・坪内稔典氏があかすエピソードです。

ところで私は、昨年の夏頃から漱石の周辺をうろうろしています。漱石の最晩年に当時の臨済宗の雲水(うんすい=修行僧)二人と数十通の手紙をやりとりしているのを見つけたからです。漱石は大正5年12月9日に50歳で亡くなりますが、その一か月前の10月末に二人の雲水が夏目邸に逗留して、漱石におこづかいをもらって東京見物をします。漱石に次の俳句があります。修行僧二人がお風呂にはいって背中を流しあう(風呂吹き)光景です。

風呂吹きや 頭の丸き 影二つ

岩波書店刊『漱石全集』はつくった年月が明らかになっている俳句として2499句を掲載しているけれど、「風呂吹きや」の句には2491のナンバーがふられています。文豪があまた作った俳句のなかで、末期の一句にちかいのです。このことに関心を寄せている人はあまりいないようで、新雪に初めて足跡をつけるような楽しみがあります。少しの間、頭の丸き二人の消息を追ってみます。それが、年始めの吾が願です。

 


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