松岩寺伝道掲示板から 今月のことば(blog版)

ホームページ(shoganji.or.jp)では書ききれない「今月のことば」の背景です。一ヶ月にひとつの言葉を紹介します

鐘を暁に撃つときは、則ち長夜を破り睡眠を警む。暮に撃つときは、則ち昏衢を覚し冥昧を疎く。綜じて一百八打 『禅林象器箋(ぜんりんしょうきせん)

2021-12-01 | インポート

鐘を暁に撃つときは、則ち長夜を破り睡眠を警(いまし)む。暮に撃つときは、則ち昏衢(こんく)を覚(さま)し冥昧(めいまい)を疎(のぞ)く。綜じて一百八下(打)  『禅林象器箋(ぜんりんしょうきせん)』

しつこく、花岡博芳著/川口澄子画/山原望装丁の『おうちで禅』からの言葉を紹介するのも、とりあえず今回で中断して、しばらくはお休み!
 というわけで12月のことばは、除夜の鐘にちなむ言葉にしました。『おうちで禅』第五章・第三話のタイトルは「悠々と響け除夜の鐘」です。除夜の鐘を深夜につくのはシンドイから夕方につけないかと色々と調べてみたら、そもそも除夜の鐘を大晦日の深夜につくのは、それほど長い歴史ではない、ということをつきとめまたのです。
 つきとめるまでに、落語の『芝浜』をきいたり(今月の言葉を、『芝浜』のオチのせりふ、「よそう、また夢になるといけねぇ」にしようと思ったのですが、それでは、ちょっと何のことかわからないからヤメて)、江戸時代の学僧・無著道中道忠和尚の著作『禅林象器箋(ぜんりんしょうきせん)』にあったのが、標題のことばです。。
 現代語訳すれば、「鐘は明け方は眼を覚ますため、夕方にはむさぼりの心を除くために毎朝毎夕、合わせて百八回打つ」。百八といえば、除夜の鐘のことだと思っていたら、もともとは毎日うつものだったのですね。「だが、しかし。今現在、毎日合計百八回の鐘をつく寺院はあるだろうか」と、『おうちで禅』では書いたのですが、今秋、本山の京都妙心寺に一週間ほど滞在しました(なぜ一週間もいたかを説明すると長くなるから書かないけれど)。巨大な境内地のあちこちに梵鐘があって、それぞれがそれぞれの意味で打っている鐘の音を聞いていると、もしかすると一日に百八、打っているかも、と思いました。どなたか、調べて!
 そして、大晦日近くになると、「除夜の鐘は人にある百八の煩悩を払うため」、なんてわかった様で、わからない説明が流布するけれど、道忠和尚は、百八煩悩説も排除します。すなわち、百八は「一年には十二ケ月、二十四節気、七十二候だから、それを足したもの(12+24+72=108)」という『群談採餘』の一節を支持しています。
 面白いでしょ。くわしくは『おうちで禅』を読んで!と、最後の宣伝です。


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