松岩寺伝道掲示板から 今月のことば(blog版)

ホームページ(shoganji.or.jp)では書ききれない「今月のことば」の背景です。一ヶ月にひとつの言葉を紹介します

今日までのことは問題外として、今日からのことを一言でいい表してみよ  雲門禅師

2018-07-01 | インポート

 

                         (千田完治撮影)

ほんとうにふと気がついてみたら、7月1日になっていました。伝道掲示板を書きかえなくてと思ったのは、今朝、日曜坐禅会で坐っているときでした。朝、六時の本堂はすでに28度あった7月1日の熊谷です。
それで何の言葉にするか。7月だから、中国は唐の時代に雲門禅師がおっしゃった次の言葉はいかがでしょうか。
雲門和尚(八六四~九四九)が修行僧に問いかけます。
「十五日までのことは問題外として、十五日からのことを一言でいい表してみよ(十五日以前は汝に問わず、十五日以後一句を道(い)い将(も)ち来たれ)」
 だれも応えないので、雲門が自ら言いました。
「日日是れ好(こう)日(にち)」
中国宋の時代に編集された『碧巌録』の問答です。
 禅問答ときくと、「当事者以外にはわからない会話」と敬遠されてしまいます。でも、言葉が発せられた現場をたどってみれば、真意を解き明かすヒントがあるはずです。
 この場合は、「十五日以後はどうするのだ」と尋ねています。十五日には諸説あるけれど、伝統的な解釈に従って、七月十五日のこととします。この日、九十日間続いた夏の修行期間が終わります。修行僧たちは集まって、布薩会をおこないます。布薩会とは、簡単に言ってしまえば反省会です。反省会といっても、「おまえのここが悪い」とか、「あの時、規則をやぶった」と、問いただして非難しあうわけではありません。
 懺悔と戒律の文言を声に出してよみ、如来さまや菩薩さまのお名前を声を出して唱えます。この、声をだすというのが気持ちがよいのです。身体のなかにある邪悪なものが、声とともに体外にはきだされていきます。でも、声だけでは不十分です。身体も動かします。唱えるごとに、五体を地に投げふして、礼拝をし身体も清淨にするのです。
 いつもだったら、ここで終わりになるのかもしれません。でも、その日は、お師匠さまの雲門禅師がひとこと加えました。
「明日からはどうするんだ」。
 誰も応えられないので、お師匠さまがみずからいいました。
「日日是好日」。
「日日是好日」は最もよく知られた禅語のひとつです。が、「平和で良い日が続く」なんて解釈したら、オチのない噺になってしまう。そんな、ノーテンキな説明ではなくて、過去でもなくて未来でもない、只今のこの時が特別なのだという、禅の重要なテーマです。
「マンネリズムのくりかえしを突き破る感激」と訳注しているのは、入矢義高・柳田聖山・梶谷宗忍共著『雪竇頌古(せっちょうじゅご)』(筑摩書房・禅の語録15)です。つまり、「毎日が新しい。やるなら、今でしょ」と励ました情景が想像できます。
「十五日以前云々」では道ばたの掲示板ではわかりにくいから、「今日までのことは問題外として、今日からのことを一言でいい表してみよ」としました。拙い現代語訳は私の作です。

追伸
高円宮家絢子さまの7月2日、婚約内定記者会見中の次の言葉を、朝日新聞デジタル(7/2)より拝借します。

絢子さまは父の高円宮さまを、守谷さんは母をそれぞれ亡くし、かけがえのない家族を突然亡くした体験を共有し「心の距離がさらに縮まった」(守谷さん)。絢子さまは「今日あることが明日も必ずあるわけではないという共通の認識を持っている」と話した。

「今日あることが明日も必ずあるわけではないという共通の認識」というのは、まさしく「日日是好日」ですね。いい言葉を聞かせていただきました。