松岩寺伝道掲示板から 今月のことば(blog版)

ホームページ(shoganji.or.jp)では書ききれない「今月のことば」の背景です。一ヶ月にひとつの言葉を紹介します

一人では何も出来ない。しかし、その一人が始めなければ、何もできない。松原泰道

2023-01-01 | インポート

一人では何も出来ない。しかし、その一人が始めなければ、何もできない。松原泰道

撮影 千田完治


 あたらしい年には、だれだってひとつくらい「誓」や「願」をたてますよね。それが、「禁酒・禁煙・ダイエット」といったたぐいであれ、笑うなかれ。大事は小事からはじまるのですから。始めなければ、はじまらない。
 新年の言葉にしたのは、仏教書としては空前のベストセラーを記録した『般若心経入門』(祥伝社)の著者・松原泰道師(1907~2009)の言葉です。
 出典はというと、新年早々孫引きです。『Xinto―神の道―』(日本の神道文化研究会)という雑誌があります。平成28年に創刊されて、翌年に出された第2号に神道学者の三橋健氏が奈良康明師(1929~2017)にインタビューした記事が載っていました。その記事の結びで奈良師が「講演などの締めに使わせていただいているのですが、故松原泰道先生から教えていただいた言葉があります。今回も締めにご紹介させてください」と語り、「一人では何も出来ない」の言葉を教えてくれます。奈良師は著名な仏教学者であり永平寺西堂でありました。臨済宗の私には、曹洞宗永平寺西堂がどういう地位を示すのかわかりません。曹洞宗と臨済宗は同じ禅宗ですが、ずいぶんと異なります。曹洞宗を代表する善知識が、異なる臨済宗の学徳のことばに心酔する。それを神道学者がインタビューするという、面白い対話です。
 見開きA4横サイズの誌面で20ページある記事です。お正月ですから、ユーモアのある会話を紹介しましょうか。

 神道学者の三橋氏が次の仏典を紹介します。
「怨みに報いるのに怨みをもってすれば怨みは息まない。怨みを捨てることによって怨みは息む。(『ダンマパダ』五)
 これに対して仏教学者の奈良師が次の様に応じます。
奈良 『ダンマパダ』のこの詩とは、学生時代に出会っているのですが、その時、腹が立って、お釈迦さんに文句を言った記憶があるんです。
 その頃、私はタバコを吸っていまして、それを止めたくてしょうがない時期でした。
「怨みに報いるのに怨みをもってすれば怨みは息まない」、怨みの連鎖的な活動があることは、よくわかる。しかしね、「怨みを捨てることによって怨みは息む」、お釈迦さん、これはなんですか! と。これでは「煙草を吸わなければ、禁煙できる」というのと、同じじゃありませんか! そんなことわかっているんです。どうやったら吸わなくてすむようになるか、ということを教えてくれなかったら困るじゃないですか、とね。この詩を読みながら、「もっと親切な教え方はないんですか」と文句をつぶやいていました。
三橋 (笑)確かに。
奈良 ところがだんだんと勉強してまいりまして、次の言葉に出会います。「如来は教えを説くのみ」「実践するのはおまえたちだ」(『ダンマパダ』276)

 まだまだ続くのですが、残念ながらこのインタビューの4月後に奈良師は逝去されてしまいます。しかし、死を数ヶ月前にしたとは思えない、論理明晰な受け応答です。文字にされたものとしては、絶筆にちかいものなので、この雑誌以外にも再掲されたような話を聞いたのですが、調べてみます。

 さて、あたらしい年にたてる誓願。身の丈にあったのなんていわずに、どうせだったら、大きいのをいきませんか。だって、一人では何も出来ないけれど、一人が始めなければ、何もできないのだから。

 


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