ただ過ぎに過ぐるもの、帆かけたる舟。人の齢。春夏秋冬。『枕草子』二百四十二段
撮影 千田完治
さすが、清少納言。12月はこれで決まり。現代語訳するまでもないけれど、橋本治著『枕草子』(河出書房新社)の桃尻語訳では、「どんどん過ぎてくもの―帆を上げた舟。人の年齢(とし)。春夏秋冬」、とある。
ずいぶん昔だけど、「清少納言は本名未詳で清原元輔の女と呼ばれていますが、父親の名前を書け」、というのがどこかの大学入試に出たという。入試会場で問われたら、慌てて父親は誰だっけと考えてしまうかもしれないけれど、「清原元輔の女」の「女」は、恋人でも不倫相手でもなく、「女(むすめ)」と読むから、父親の名は、言うまでもなく「清原元輔」。
ところで、時間が経つのを早く感じる人もいれば、遅く感じる人もいるわけで、小さな子どもを見て、「あらー、あっという間に大きくなったのね」というのは、あまり口にしてはいけない言葉かも。私らの勤めでいうと、何年忌法要とかで、「故人が亡くなってから、もうそんなの経つのですか、早いですねー」と、いうのも気をつけたほうがいい。泥にまみれ火に焼かれるような苦しみを味わって、いっこうに進まない、遅い時間を味わった人もいるのですから。
さて、十二月八日の釈尊成道にちなんで、禅の修行道場では、12月1日から8日までの八日間を一日とみなす、臘八接心(ろうはつせっしん)と呼ばれる特別な修行期間に入ります。八日間を一日とするわですか、横になることも許されず、坐ったまま睡眠をとるほどのきびしい期間です。この期間を長く感じる修行僧もいれば、短く感じる修行僧もいるわけです。私は、どうだった?ずいぶんと昔のことなので忘れてしまった。忘れられるから、楽になるのでしょうか。