松岩寺伝道掲示板から 今月のことば(blog版)

ホームページ(shoganji.or.jp)では書ききれない「今月のことば」の背景です。一ヶ月にひとつの言葉を紹介します

法句経 160より

2014-07-07 | インポート

「自分の救済者は自分自身である。他の誰が救ってくれようか。自分を正しく制御してはじめて、人は得難い救済者を手に入れるのだ」法句経160

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今月のことばは法句経の一節です。法句経は古代インドパーリ語で書かれた原始経典のひとつです。原始というくらいだから、古いお経で、釈尊の肉声に近いと考えられています。

引用はNHK100分de名著『ブッダ 真理のことば』佐々木閑著からです。NHK・Eテレのテキストですが、以前にも引用したことがあります。平成25年の2月です。このテキストの法句経引用部分は、佐々木閑先生みずからの訳です。

でも、大変失礼な言い方をするけれど、寺の伝道掲示板にのせるに際して、なんか訳がしっくりこないのですね。「救済者ウンヌン」なんて、キリスト教の新興宗教のメッセイジみたいじゃないですか。もう少し違う言い方がないかなぁー、と漢訳の法句経を調べてみたのです。漢訳法句経には次のようになっています。

「身よく利せず、安んぞよく人を利す。心は體を正しく調えれば、何ぞ正しく至らざるを願う」(身不能利、安能利人、心調體正、何願不正至)『大正新脩大藏経4巻565頁下段』。

といった具合でチンプンカン。ならば、中村元訳を見てみると、

「自己こそ自分の主である。他人がどうして自分の主であろうか?自己をよくととのえたならば、得難き主を得る」(中村元著『真理のことば感興のことば』岩波文庫)

救済者が主(あるじ)になっている。というわけで、読んで綺麗なのは「主」だけど、わかりにくいから「救済者」の佐々木閑訳を使ったという次第です。翻訳は難しいです。

ところで、翻訳といえば、NHK朝ドラで翻訳家の村岡花子さんの生涯が放映されています。気が進まなかったのですが、家人に誘われて、「村岡花子出会いとはじまりの教文館」という展示会に行ってきました。東京銀座・教文館のイベントで午前11時入場だというので、その時間に受付に並んで入ったのですが、小さい会場ということもあるけれど、凄い入場者数。その熱気におされて満足に見ることもせず、足早に陳列棚を通り過ぎました、しかし、中程のショーケースで足がとまります。大正9年出版、短歌の同人誌『心の花』が見開きで展示されていました。左頁には白蓮の名。そして、右頁には九条武子の名。九条武子さんは、今年一月に本欄で紹介した西本願寺に連なる仏教歌人ですよ。その人に、キリスト教関係出版社のギャラリーで出会う。しかも、今話題の白蓮れんれんと頁をわかちあって。
やはり、現場に行って取材しないとだめですね。と思い乍ら、その場を後にしたわけです。

それで、なぜ冒頭に『ガウディーの鍵』なぞという推理小説を掲げているかというと、これを翻訳したのは旧知の木村裕美さん。今回は法句経の翻訳に始まって、翻訳家の資料展に寄り道して、旧知の翻訳家の最新刊のご紹介で終わります。


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