俳句を始めてから、もう20年近くになる。どのくらいの数作ったのか…俳句記録帳を
覗いてみると、ざっと数えて約1,500句位はあった。他の人に比べて多いのか
少ないのかわからないが、自分では「えーっこんなに!」と、思ったより多いのに
驚いた。
記録していないあまたの駄句も含めれば、数倍になるに違いない。その中で、いわゆる
艶のある俳句、というのはあるのかと、ふと考えてみた。
こうみえても、いくつになっても色香を失ってはいけない、というポリシーの持ち主
なのである。であるならば、当然俳句にもそれが反映されていなければならない
ではないか。
はてさて…思い巡らせてみると。すぐに思いつく一句がある。
閨に伸ぶ 手と手の出会う 天の川
issri
これは、実はそんなに艶っぽいつもりで作った句ではないのだ。単にもの寂しき夜に
手を探り当て、安心して眠る。というつもりだったのだが、妙に身内が照れている。
まあ致し方のないところか…。
続いて思い浮かぶのは、
崩れ寝て いま十三夜 腕の中
issei
これも実は、酔っ払ってベンチに転げ寝て、何気なく広げた両手に十三夜の月夜が
入っている。という句意なのだが、句友の女性に「艶っぽい句ですね」と指摘されて
「エッそう…」と自分で驚いたのだった。十三夜を女性と採られたようなのだ。
それはそれでいいのである。
その他思いつくまま…
ブァリトンの 恋は魔法さ 牛蛙
妙齢の 春眠肩に 触るるかに
耳打ちの 耳たぶ薄き 秋扇
ブランコの 二人は黙す 十三夜
くすぶれる 妬心は蒼き 冬薔薇
まあ…その他いくつかあるのだが、これも他に比べて多いのか少ないのかわからない。
ただ、そのときの自分の恋情があまりにも深かったりすると、俳句に色濃く出るときが
あるのだ。
大蜂の 悶え転がる 男坂
issei
なーんていうことにもなりかねない。やっぱり
身を染めて あしたに契る とんぼのように
issei
こんな世界平和な恋情でいたいものである。
覗いてみると、ざっと数えて約1,500句位はあった。他の人に比べて多いのか
少ないのかわからないが、自分では「えーっこんなに!」と、思ったより多いのに
驚いた。
記録していないあまたの駄句も含めれば、数倍になるに違いない。その中で、いわゆる
艶のある俳句、というのはあるのかと、ふと考えてみた。
こうみえても、いくつになっても色香を失ってはいけない、というポリシーの持ち主
なのである。であるならば、当然俳句にもそれが反映されていなければならない
ではないか。
はてさて…思い巡らせてみると。すぐに思いつく一句がある。
閨に伸ぶ 手と手の出会う 天の川
issri
これは、実はそんなに艶っぽいつもりで作った句ではないのだ。単にもの寂しき夜に
手を探り当て、安心して眠る。というつもりだったのだが、妙に身内が照れている。
まあ致し方のないところか…。
続いて思い浮かぶのは、
崩れ寝て いま十三夜 腕の中
issei
これも実は、酔っ払ってベンチに転げ寝て、何気なく広げた両手に十三夜の月夜が
入っている。という句意なのだが、句友の女性に「艶っぽい句ですね」と指摘されて
「エッそう…」と自分で驚いたのだった。十三夜を女性と採られたようなのだ。
それはそれでいいのである。
その他思いつくまま…
ブァリトンの 恋は魔法さ 牛蛙
妙齢の 春眠肩に 触るるかに
耳打ちの 耳たぶ薄き 秋扇
ブランコの 二人は黙す 十三夜
くすぶれる 妬心は蒼き 冬薔薇
まあ…その他いくつかあるのだが、これも他に比べて多いのか少ないのかわからない。
ただ、そのときの自分の恋情があまりにも深かったりすると、俳句に色濃く出るときが
あるのだ。
大蜂の 悶え転がる 男坂
issei
なーんていうことにもなりかねない。やっぱり
身を染めて あしたに契る とんぼのように
issei
こんな世界平和な恋情でいたいものである。