遅まきすぎる青春性の目覚めを賜ってから、すでに1年が過ぎてしまった。
神様は一体わたしに何の啓示をお示しになったのか…。1年の総括をふと、
考えてみた。
思えばあの日以来、何にもかまわなかった人間が、身づくろいに気を配る
ようになり、心身のオシャレを考えるようになった。以前俳句に目覚めたとき、
何気なく見ていた道端の花の美しさにに目が留まるようになり、その息づきを
感じ、昆虫の生の営みも見えるようになったことがある。
先の目覚めは、実は似たような感じを受けているのだ。
以前は何気なく、あるいは漠然と見ていた。女性たちのちょっとした仕草や、
表情にも目が留まるようになり、今まで漫然として見過ごしていたものが
見えるようになったのである。
誰それが、「あの人けっこうきれいだよねえとか、かわいいよねえ」とか聞いも、
「ほう…そう…」という具合で、あまりピンときてないいころがあったのだが、
目覚めを賜って以来、目からウロコが落ちたように「ああ…なるほど…きれいだ」
などと、気づくようになったのである。
しかし遅すぎる目覚めに、今まで何を見ていたんだ、わたしの眼はガラス玉
だったのか、我が人生は何だったんだ…などと悔しさに地団太踏んだりした
のだが、よくよく考えてみると、「これでいいのかもしれないなあ」と思える
ようにもなってきた。今だからこそ目覚めを落ち着いて(の…つもり)
受け止めることが出来るのではないのか、もしもっと若ければ、花園に舞い降りた
蝶のように百花繚乱の中で、狂乱の悶えに苦しんだかもしれないのだ。
いま言えることはあの赤塚不二夫さんの「バカボン」のお父さんのセリフの
ように、“これでいいのだ”ということである。そう…きっと、これでいいのだ…
神様は一体わたしに何の啓示をお示しになったのか…。1年の総括をふと、
考えてみた。
思えばあの日以来、何にもかまわなかった人間が、身づくろいに気を配る
ようになり、心身のオシャレを考えるようになった。以前俳句に目覚めたとき、
何気なく見ていた道端の花の美しさにに目が留まるようになり、その息づきを
感じ、昆虫の生の営みも見えるようになったことがある。
先の目覚めは、実は似たような感じを受けているのだ。
以前は何気なく、あるいは漠然と見ていた。女性たちのちょっとした仕草や、
表情にも目が留まるようになり、今まで漫然として見過ごしていたものが
見えるようになったのである。
誰それが、「あの人けっこうきれいだよねえとか、かわいいよねえ」とか聞いも、
「ほう…そう…」という具合で、あまりピンときてないいころがあったのだが、
目覚めを賜って以来、目からウロコが落ちたように「ああ…なるほど…きれいだ」
などと、気づくようになったのである。
しかし遅すぎる目覚めに、今まで何を見ていたんだ、わたしの眼はガラス玉
だったのか、我が人生は何だったんだ…などと悔しさに地団太踏んだりした
のだが、よくよく考えてみると、「これでいいのかもしれないなあ」と思える
ようにもなってきた。今だからこそ目覚めを落ち着いて(の…つもり)
受け止めることが出来るのではないのか、もしもっと若ければ、花園に舞い降りた
蝶のように百花繚乱の中で、狂乱の悶えに苦しんだかもしれないのだ。
いま言えることはあの赤塚不二夫さんの「バカボン」のお父さんのセリフの
ように、“これでいいのだ”ということである。そう…きっと、これでいいのだ…