『スキヤキ』などとカタカナで書いたなら、坂本九の『スキヤキソング』を思い浮かべる。『上を向いて歩こう』の英語名だ。
スキヤキは漢字では『鋤焼き』と書くが、一般的にはあまり漢字は使わないで『すき焼き』などと書く。鋤は農具の鋤であるらしいが、語源にもう一つ、納得が行かないからか、漢字が難しすぎるからか一般的には使われないのだろう。
『武本比登志の油彩F30』画像と本文は関係ありません。
僕たちの世代にとって子供の頃はやはり『すき焼き』はご馳走であった。肉がご馳走であったのだろう。でも僕は肉よりも端役の『麩』が一番好きな子供であった。母が「今夜はすき焼きやで~」などと言うと、僕は真っ先に麩を水に浸す手伝いをしたりもした。
すき焼きは家族で、(火にかけた、と言ってもその当時カセットコンロなどはまだない時代で、ゴムホースを引っ張って来て、ガスコンロに乗せた)すき焼き鍋を囲みながら肉やネギ、シュンギク、白菜などと共に、砂糖を足したり、醤油や味りんを足したり、又、水を加えたりするのだが、甘くなりすぎたら、醤油を加え、味が濃くなりすぎたなら水を加えるのだが、水の代わりに水を沁み込ませた麩を入れたり、シラタキや野菜を入れて調節をしたりもする。
僕が未だ幼少の頃、わが家では豚肉ですき焼きをすることも多くあった。父が牛肉よりも豚肉が好きだったのか、豚肉の方が安価だからか、それは今では判らないがたぶん後者だ。
台所の隣の3畳のお茶の間に丸い折り畳みが出来るちゃぶ台があった。そこで家族全員で食事をしていたのだ。そのちゃぶ台の真ん中にガスコンロが設置された。それに重い鉄のすき焼き鍋が乗せられ、火が点けられ先ず豚肉が入れられる。豚肉を入れるのは父の役目であった。
「油が飛び散って、顔に当たったら熱いから端に下がっときや~。」などと父は子供たちに言う。僕たちは3畳のお茶の間の壁いっぱいまで下がり、座布団などでガードして、父の動作を見守る。未だテレビなどのなかった時代だ。すき焼きが出来上がると、父は酒を呑みながら子供たちがすき焼きをほおばるのを見守っていて、自分ではあまり箸はすすんではいなかった。と言う印象がある。
思い出すのは東京芸術大学に見学に行った時、遠い昔1967年頃の話だが、その学生食堂で昼食を摂った。忘れもしない『すき焼き定食』であった。幾らであったかは忘れてしまったが、学生食堂なので安かったことだけは覚えている。もう一度東京芸術大学に来たら、又、食べたいと思ったし、それに僕にとっては珍しかったことは確かだ。校庭では空手部が空手の型のデモンストレーションをしていて、それも珍しかった。
2度目に行ったのは入試の時で昼食はどうしたのかは覚えていない。いつも通りの様にはデッサンが描けなくて焦っていたのだけは覚えている。それ以来残念ながら東京芸術大学の門をくぐったことはない。
スウェーデンに住んでいる頃、1971~1974年頃にはよく『すき焼き』をした。日本人の友人たちが集まればすき焼きにすることが多かった。
もちろんビールなどのアルコールが入る。すき焼き鍋(と言ってもすき焼き鍋はないから普通の鍋)を囲みながら誰でもが勝手に肉を入れたり、野菜を入れたり、だが残念ながらコンニャク、シラタキ、豆腐、それに麩などはなかった。肉とネギ、白菜だけが主な具ではあったと思うが、それでもすき焼きであった。
肉や野菜だけではなく、誰でもが砂糖を入れたり、醤油を足したり、水を足したりもする。ある程度酔っ払いながら「これちょっと甘すぎるのと違うか?」と言いながら醤油を足す。すぐさま「これ辛いな~」と言っては砂糖を足す。また誰彼ともなく水を足す。
実は皆、日本人には違いないのだけれど故郷によって舌の違いがあるのだ。関東の人と関西の人では随分と味覚に違いがある。
僕たちがスウェーデンを去る時にパーティをした。すき焼きの材料を大量にそろえて、当時の日本レストランのコックであった友人が調理を担当してくれた。皆ですき焼き鍋を囲むのではなく、紙のお皿にご飯と共に盛り付けたワンプレート定食方式にしてくれた。余りにも来客が多すぎたのだ。スウェーデン人の友人たちも多かったが皆が美味しいと喜んでくれた。
スウェーデン語の先生は「デザート以外の食べ物に砂糖を使うのは世界広しと言えども、日本とスウェーデンだけです。」と言っていたのを憶えているが、本当だろうか?」尤もスウェーデン語の先生は語学の専門家だが料理の専門家ではないので疑いの余地はある。
パリでも友人宅ですき焼きパーティがあった。日本人が大勢集まった。僕は下ごしらえから手伝っていた。その友人の家主はパリジェンヌでたまたまその父親が遊びに来ていたのだが、パーティが始まる前に帰ってしまうと言うのでその家主は「父親の為にスキヤキを1人前だけ先に作ってくれませんか」と言う。僕はすき焼きなどは皆で鍋を囲む物で1人前だけなどは出来ないだろうと思ったが、その友人は「はい、いいですよ」と言って1人前だけ作って家主の父親に振舞った。まさに東京芸術大学学食の『すき焼き定食』の如しであった。
当時は坂本九のスキヤキソングが流行った直後の頃で世界中の人が『スキヤキ』とは如何なるものかと興味を持っていた時代だ。
その後、僕はニューヨークでマクロバイオティックのコックをした。肉も砂糖もご法度である。ニューヨークに居た1年間だけではなく、それからはあまり肉類は食べなくなった。砂糖も殆ど摂らなくなった。それ程厳格なマクロバイオティック主義者ではないけれど、どちらかと言うと菜食主義的な傾向にある。それに今も玄米を食べ、豆乳を飲んでいる。マクロバイオティックでの甘味はアップルジュースや天然の干し果物などから摂ることが多いが、その方が旨いと思う。
先日の大阪芸術大学美術科4期生同窓会に高校時代からの親友、米吉にも来て貰った。米吉はカカオの効能についての持論があり、周りの人たちに吹聴する。その時は砂糖の害悪についても述べ始めていた。(米吉はマクロバイオティック主義者ではなかったと思うのだが)それに対して同級生のK君が「砂糖は人間には欠かせない栄養素が詰まっている、必要な食品だ。」と反論した。そんな時に、主催者からデザートとしての『大学芋』が回って来た。米吉も1個手にした。K君は「大学芋は砂糖がたっぷり使ってあるやないか。それを君は食べるのか。」と勝ち誇ったように言い放った。米吉は「俺は他人には厳しく言うけれど自分自身に甘いねん」。横で聞いていた僕は大学芋をほおばりながら笑ってしまった。
『すき焼き』は我が家で先日、何年振りかにした。すき焼き鍋に赤さびが来ていて、先ず、錆を金だわしで洗い落としてから使った。カセットコンロもガスボンベも30年以上以前からあるものを使ったが立派に使うことが出来た。牛肉と白菜、春菊と豆腐にシラタキ、エノキタケも入ったが残念ながら麩の買い置きはなかった。
現代人は肉を食べるのなら、すき焼きなどよりも焼き肉の方が一般的なのかも知れない。或いはハンバーグやステーキ、牛丼なども手軽に食べられる。我が家では焼き肉はしたことがないし、ハンバーグもしたことがない。ホットプレートなるものもないのだ。外食でも焼き肉やステーキ、牛丼はあまり食べたことがない。そういえば最近は『かつ丼』を時々食べる。温泉の食堂には刺身の盛り合わせとチキン南蛮がセットされている定食がありそれをよく注文する。
先日我が家に来客があった。部屋を渡るのに腰を屈めなければならない位に身長が高かった。聞いてみると元バレーボールの選手だったそうで193センチだそうだ。何を食べたらそれ程にも大きくなったのかを聞いてみたかったが、聞かなかった。
日本人も大きくなったものだ。我々にはもはや手遅れだが食生活が大いに影響がありそうだ。
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