武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

068. ルオー讃歌 -パリ・ランス旅日記-(上) -Hommage Georges Rouault-

2018-11-29 | 旅日記

 今回の旅のテーマには誰を取り上げようかと早くから探っていた。
 佐伯祐三から始まって、ゴッホ。 ゴーギャンとポンタヴァン派。 エミル・ガレとアール・ヌーボーもやった。 ブーダンと印象派。 そしてミレー。 テオドール・ルソーのバルビゾン派。どんどん古くなる傾向にあるのでここらで少しねじを巻き戻して新しいのを…。

 先ずパリの美術館で何か特別展をやっていないかをネットで検索していたら、ジョルジュ・ルオーという願ってもない人物が現れた。没後50年だそうである。しかもポンピドーセンター。
 検索した8月には既に開催されていて、最終日が10月13日。
 サロン・ドートンヌの搬入日が10月14日。グッド・タイミング。13日の最終日に、もし長蛇の列で観ることが出来ない事態を想定して1日早い12日の飛行機の切符をネットで買った。

 でも更に調べていく内にそのルオー展はたったの20点でポンピドーの1室だけの展示とのこと。それならいつもの常設展と何ら変らないのではないだろうか。

 

2008/10/12(日)曇りのち霧雨/Setubal - Lisboa – Paris


 セトゥーバルからのバスは日曜日だから少ない。いつもより一つあとの1時間遅い6時発のローカルバスで出かけたので5時起きだ。4時では夜中と言う感じだが、5時ならもう既に朝なので気分的に随分楽だ。
 昨年と同じ「イージージェット」。安いし慣れればこれが快適だ。前もってネットで搭乗手続きもできる。イージージェットのスタッフはエア・フランスに比べればひょうきんで軽い乗りだが感じが良い。

 今回もド・ゴール空港までムッシュ・Mが出迎えてくれた。
 100号を預け、そしてそのままクルマでホテルまで送ってくれたので楽に随分早く着いた。

 早速、ポンピドーセンターへ。閉館は21時なのでゆっくり時間がある。
 カルチェ・ラタンを通り抜け、セーヌを渡り、ノートルダムとサン・シャペル、花市場の前を通ってぶらぶら歩いて出かけた。

 1部屋だけの展示だと判っていたけれど、窓口では念のため「ルオー展のチケットを下さい」と言ってみた。
 切符売り場の青年は困った様子で「ルオー展は1部屋だけなので、普段の常設展の切符と同じなのですよ。それでも良いですか。」と言ったあと「ルオーの特別展はマドレーヌのピナコテカで催ってますけど…」と言ってピナコテカの住所、開館時間などをメモしてくれた。
 その特別展はここに来て初めて知ったこと。これはツイている。
 それを早速、明日のスケジュールに組み込まないといけない。

 ポンピドーでは1部屋だけの筈が、離れた部屋2部屋に分かれていて、20点どころか、3段掛け4段掛けでグワッシュなどを含め100点は展示されている。
 全てがポンピドーセンターの所蔵品だが、今までに観ていない作品が殆どで、期待をはるかに超えた随分見応えのある展示である。
 これに関するカタログは作られていないのが残念。全ての作品をデジカメに収めた。

 

01.ポンピドーセンター『ルオー展』入口。

 

02.ルオー展

 

03.3段.4段掛けのルオー作品。

 その他の常設展もゆっくりと2廻りほどは観ることが出来た。やはり前回訪れた時とは大幅に作品が入れ替わっている。

 昼食を摂っていなかったのに気が付きポンピドーセンター内の屋上テラスのレストランで軽く食事をしたがこれが大して旨くもなくばか高くて、しかも食べ終わる頃には小雨が降り始めた。
 隣の席で飲み物だけ飲んでいたジャン・ギャバン風の男がにやりとして覗き込み「旨えか~?」などと言う。まるで旨くないことを知っていたようにだ。

 

2008/10/13(月)曇り時々晴れ/Paris


 ピナコテカは10時半からなのでその前に東駅に行き、ランス行きTGVの切符購入と、ルオーの生れた界隈を見てみたかったので、早くに朝食を済ませホテルを出た。ルオーが生れたのはベルヴィル地区のヴィレット街。

 メトロから地上に上がりベルヴィル地区に1歩足を踏み入れて驚いてしまった。至るところに漢字が溢れ、歩いている半数が中国人なのだ。そんな中にアラブのカバブ屋があったりする。
 ルオーが生れた時代も職人たちが暮らす下町だったらしいが、今も猥雑な下町そのものだ。
 ベルヴィルの坂道を上りヴィレット街に入り端から端まで歩いてみたが、ルオーに関するプレートも何も見つけることが出来なかった。

 その地域の教会にも入ってみた。
 もしかするとこのステンドグラスを少年ルオーが観ていたか、或いは職人として手がけたものなのかも知れない。

 

04.ベルヴィル地区

 

05.ベルヴィル地区

 

06.マドレーヌの『ルオー展』入口。

 マドレーヌのピナコテカは狭い会場だったが、作品は100点ほどもあっただろうか。最初期から晩年まで時代順に並べられた油彩が中心で、アメリカや日本など世界中から集められていて、見応えのある展示であった。モティーフごとに説明が記され、その説明をベンチに座ってゆっくりと読むことが出来る。
 1点1点がまるで樫の木やモザイク石材で作られた工芸品のごとく重厚で、深い色調の中にちりばめられた宝石の様な鮮やかな光は全く神々しいとしか例えようがない。
 額縁も様々だったが、何れもルオーモデルそのもので、見応えがあった。この展覧会は予定外だったので随分と得をした気分だ。

 メトロで一旦ホテルに戻り、歩いてIKUOさんの店に行ってみた。
 ノートルダムとポンヌフの中間でセーヌからサン・ジェルマン方向の横道に入り1分も歩かない好条件のところにあった。
 ルーブルにも程近いところなので今までにもすぐ近くのセーヌ沿いはしょっちゅう歩いていたのだが、いつも住所を持っていなかったのでこの横道に入ることはなく気が付かなかったのだ。
 「IKUOさんは今帰ったところ。」といってKEIKOさんという方が対応してくれた。

07.『IKUO-PARIS』

 帰りは少し遠回りしてサンジェルマン・デ・プレ教会に寄ってみた。ルオーが亡くなった時、この教会で国葬が執り行われたとのことだ。教会の前にザッキンの彫刻。庭にはピカソ作アポリネールの頭像がある。

 

08.サン・ジェルマン教会。

 サンジェルマン・デ・プレの向かいにワイン専門店があったので、IKUOさんのところに持っていくワインを調達した。
 出来たらセトゥーバルからワインを持って行ければ良いのだが、最近は空港のセキュリティーの面で難しい。
 今夜はお招ばれだ。IKUOさんがメイエ村からその為にわざわざ出てきてパリの自宅に招待してくれていた。
 ホテルに戻りシャワーを浴び、暗くなりかけてからホテルを出た。ソルボンヌあたりでは観光客や学生たち大勢の人びとが、10月としては暖かすぎる夕暮れ時を楽しんでいた。

 

09.メトロ通路の広告。

 IKUOさんの自宅はカルチェ・ラタンの少し東側、ホテルからも歩いて10分ほどのところだ。
 その手前にバルザックの「ゴリオ爺さん」の舞台、その下宿屋があったサン・ジェネヴィエヴ通りがある。昨年読んだばかりなので是非この通りも見てみたかったのだが残念ながらその面影は今は感じられない。

 IKUOさんの家にはIKUOさん以外にパリ在住の日本人の方々が既に5人集まっておられた。間接的に存じ上げているご夫婦と若い芸術家たち。IKUOさんの気の効いたご配慮だ。
 IKUOさんの家は中庭に面した1階にあり、時折、猫が窓ガラスをノックしていた。
 広い居間は木骨の高い天井で、「ゴリオ爺さん」の下宿屋はこんな雰囲気だったのかな~などと思った。
 心のこもった美味しい手料理と尽きることのない会話。瞬く間に12時近くになってしまっていた。

 

 2008/10/14(火)晴れ時々曇り/Paris-Reims


 ホテルでゆっくりと朝食を済ませムフタール通りの朝市を見ながら、そこからバスに乗り東駅に向った。
 メトロで東駅に行くには乗り換えなければならないがバスなら1本だ。途中パリ見学もできる。
 東駅の売店で、車内で食べようとPAULのサンドイッチを買ったが朝が遅かったのでそのままランスまで持参することになった。
 TGVはランス行きで途中停車もなく45分で着いてしまう。

 ホテルは予約をしていない。目指すホテルは満室。その隣も満室。地方都市でいままでこんなことはなかったが、最近は皆、ネットで予約をするのだろう。その向かいの「北ホテル」に空室があった。
 ホテルの部屋から隣に「アーネスト・へミングウェイ」という赤いネオンが見える、顔写真までが看板になっている。バーの様だ。何かゆかりがあるのだろうか。

10.アーネスト・ヘミングウエイの文字。

 今日は火曜日なのでランス美術館は休館日。
 ツーリスト・インフォメーションで明日のトロワ行きのバスの時刻表をようやく貰う。ようやくと言うのは、そのインフォメーションの女性はそのバスのことを知らないのだ。「列車の駅に行って聞いてみたら」などと言う。ランス、トロワ間に線路がないのは僕でも知っているのだが…。
 インフォメーションのもう一人の女性が「バスがあるわよ」と同僚に教えて、ようやく時刻表を探し出してくれた。

 

11.

 

12.

 

13.ランスのカテドラル。

 カテドラル前のベンチに座って、列車内で食べなかったPAULのサンドイッチを食べる。他の店のものより少し高めだが、どっしりとしたパンにたっぷりの中身。若い人が行列する筈で、美味しく腹持ちも良さそうだ。

 

14.15.カテドラルのステンドグラス。

 食べ終わってカテドラル内へ。ステンドグラスがシャルトルのカテドラルに匹敵するほど素晴らしい。
 そして1番奥にはシャガールのステンドグラスがある。

 これがまた素晴らしい。天気も良いのでシャガールブルーの合間にある赤や緑がことのほか輝いている。まるでルビーとエメラルドをちりばめたごとくだ。

 

16.シャガールのステンドグラス。

 シャガールはパリのオペラ座の天井画やここのステンドグラスなど公共の大きな仕事を数多く残しているのに改めて感銘を受ける。
 一角に風変わりな、まるでヴィエイラ・ダ・シルヴァの作品の様なステンドグラスがある。
 MUZは「絶対ヴィエイラ・ダ・シルヴァの仕事やで!」という。
 僕はまさか偶然だろうと思ったが、あとで買い求めた美術館のカタログに「ヴィエイラ・ダ・シルヴァ」の仕事と記されていて、その下絵が掲載されている。
 シャガールに限らず多くの外国からの芸術家がフランスの公共施設に作品を残している。

 

17. ヴィエイラ・ダ・シルヴァのステンドグラス。

 カテドラルの隣のトー宮殿博物館は開いていたので観ることにした。中世からの発明展が催されていて、小学生などの課外授業とかちあってしまった。ダ・ヴィンチなどの設計図を元に模型が作られて展示されている。子供たちが床に座り込んで説明を聞いている。展示物で常設のタペストリーなどが隠れて観にくかったのが残念であった。

 

18.

 「藤田嗣治のチャペル」は午後2時から開場。
 このランスの町も、藤田のチャペルも1972年に一度訪れている。実に36年ぶりだ。
 きょうあとの予定は藤田のチャペルを観るだけなのでのんびりと歩いて行った。街路樹や壁の蔦の紅葉が美しい。

 

19.

 以前にはなかった建物が隣に出来ていたが、1972年に訪れた時と全く同じ佇まいで懐かしく感じた。

 藤田嗣治は1966年、80歳の時、このノートルダム・ド・ラペ礼拝堂を完成させた。

 

20.

 その壁、そして天井いっぱいに描かれたフレスコ画をじっくり観ていると藤田の息使いまでが聞こえてくる。
 その前年、マティスはコート・ダジュールのヴァンスにロザリオ礼拝堂を完成させている。おそらくマティスにしろ、藤田にしろ持てる力の限りを出し切った、まさに総決算の仕事だ。
 77歳でリュウマチに苦しんでいたマティスが、80歳の藤田が、そのどこに、この様なエネルギーが隠されていたのだろうかと改めて感動を覚えずにはいられなかった。

 

21.藤田のチャペルから帰り、住宅の窓から猫が挨拶。

 今回の旅では中華は食べない。牡蠣もノロウイルスが怖いので食べない。もちろん牛肉も食べない。と言うことにしていたので食事が限られる。
 ホテルの向かいのピザ屋にたくさんのお客が吸い込まれていくので今夜はピザにした。フランス料理に比べると安上がりで手軽、たまにはピザも良い。

 夜、トロワ行きのバスの時刻表を検討してみたが、本数が少ない。朝と夕方に幾つかあるが、昼間は11時15分発の1本だけ。その後は17時40分発でトロワ到着が20時。それでは遅すぎる。11時15分に乗るには美術館の開館が10時だからぎりぎり45分しか観ることが出来ない。
 美術館からバス停まで歩いて確かめてみたが、わざわざ来たランスの美術館を45分の駆け足では勿体ない。
 せめてあと1時間遅いバスがあれば良かったのだが…。
 トロワの美術館も観たかったし、トロワのサン・ピエール・エ・サン・ポール大聖堂の珍しいという黄色いステンドグラスも観てみたかったが、今回はトロワは諦めざるを得ない。北ホテルを1泊延長することにした。

VIT

ルオー讃歌 -パリ・ランス旅日記-(下) -Hommage Georges Rouault-へつづく。

 

(この文は2008年11月号『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに転載しました。)

 

 

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