巨人ファンだが、内閣御用新聞読売と原は大嫌いだ。デタラメ補強で2軍は不良債権がうじゃうじゃ。若者の未来が淋しい。

読売の知恵ってこんなもの。お札が空を舞って、胴上げできず。躍動の若き巨人はどうも見られそうにない。せめて高校野球の上を。

観たくもない阪神のゲームを甲子園で見てしまった巨人一筋の男の物語。

2015-06-30 | プロ野球
小学校の4年生ぐらいから古希を迎えるまで、一貫して巨人党で、他の球団のゲームなど一度も観たことがなかった。観たいと思ったことも一度もなかった。

それが、どうした訳か、よりによって甲子園の1塁側アルプスに阪神ー横浜戦を観戦することになったのだから「世も末」って感じだ。

これは、トラキチの甥の誘いだったためで、前回は理由をつけて断っていたので今回は断りきれなかった。「ビール片手に野球観ませんか」のビールに釣られての甲子園1塁側初体験となった次第。

トラキチの、何か怪しげな宗教儀式のような応援風景と騒音を間近に感じて5時間。驚きよりもいままでの野球観戦のあり方は何だったのかと深く考えさせられてしまった。

まずは「お祭り」なのだ。お祭りなのだから、大きな声で騒がなければ面白くない。好きな選手のユニホームは「法被」なのだし、バット型の「打子」は太鼓だし、風船は紙吹雪なのだ。

その風景をよくよく見れば、我が巨人軍のオレンジのタオルを振り回す姿よりも好感度は高いと感じた。テレビに映る「タオルを首にかけたオッサン」の姿はやっぱりスマートさに欠ける。

というより、巨人は野球もその応援もスマートで「紳士的」との先入観で50年も60年も過ごしてきたからだが、遠くから眺めるトラの応援風景とど真ん中での感じ方には大きな違いがあった。

トラファンの応援は、ただ一つ、目の前の試合に勝つことに対して熱狂的に応援する。それ以外は何も考えない。ただひたすら各選手の応援歌を歌い、かっとばせを連呼する。応援席一体なのだ。

野球観戦感が変わった。誰が何番で、打てたの打てなかったの、ベンチの作戦がどうのこうのと、このところの不調のチームに難癖をつけ放題のこのブログでしたが、考えが変わりました。

野球観戦って、またファンって、ただただ今日の試合を応援すれば良いのだと。目の前の試合だけを観ていればよいのだ。結果として負けたとしても、それは「ただの野球」なのだ。

騒ぐことで発散できれば良いのだ。テレビ観戦でも、騒げば良いのだ。勝っても負けても、騒げば良いのだ。将来のチームがどうであろうとそれは関係ない。目の前の試合を観戦すればよい。

そう考えると、巨人戦の中継を楽しむことができそうに思えてきた。あのバカ騒ぎが、野球観戦のコツかも知れない。しかし、オレンジタオルを首に掛けた姿より、虎の応援風景が自然だったことで見る目が変わった。

トラキチさんありがとう。

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