住めば公園風田舎町

「住めば都」と言われるがわたしゃ田舎の方がいい。町全体が公園のようなそんな田舎町に住みたい。

326 「もしも、徐福が日本に来ていたら」 (24)

2007-04-22 06:47:52 | もしも、徐福が日本に来ていたら

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326 読み解けた古事記(7)
筑紫嶋(九州)の國別け


次生筑紫嶋此嶋亦身一而有面四毎面有名故筑紫國謂白日別豐國謂豐日
別肥國謂建日向日豐久士比泥別自久至泥以音熊曾國謂建日別曾字以音
次生伊岐嶋亦名謂天比登都柱自比至都以音訓天如天次生津嶋亦名謂天之
狹(使)手依比賣次生佐度嶋次生大倭豐秋津嶋亦名謂天
御虚(區)空豐秋津根別故因此八嶋先所生謂大八嶋國然後還坐之時生吉備兒嶋亦名謂建日方別 次生小豆嶋亦名謂大野手(牛、午)上比賣
次生大嶋亦名謂大多麻上流別自多至流以音次生女嶋亦名謂天一根訓天如天
次生知訶嶋亦名謂天之忍男次生兩兒嶋亦名謂天兩屋自吉備兒嶋至天兩屋嶋并六嶋既生國竟




guuchanの読み下し。

次いで生む、筑紫嶋、此れの嶋は亦身一にして面四つ有り、故に面毎に名づけ筑紫國は云う白日別(シロヒワケ(グサ))、
豊國いう豊日別(トヨヒワケ(グサ))、肥國言う建日向日豊久至泥別(タケヒムカヒトヨクシヒジ(ネ、デ)ニワケ(グサ))
(久より泥まで音を以って)熊曾國言う建日別(タケヒワケ(グサ)
(曾字音を以って)次に生む伊岐嶋亦の名を天の比登都柱(アマノヒトツハシラ)
(比より都まで音を以って)天の訓は天の如し。
次いで生む津嶋亦の名を天の狭(使)(牛、午)依比売。次いで生む、
佐渡嶋、次いで生む、
大倭豊秋津嶋(ヤマトトヨアキツシマ)亦の名を御虚(區)空豊秋津根別(ミククウトヨアキネワケ(グサ))、
大国故え、先ず生むところの此の八嶋を言う大八嶋國。然る後、坐に還るの時、吉備児嶋亦の名を言う建干方別(タケヒカタ(ナタ)ワケグサ、
次いで生む小豆嶋亦の名を言う大野手比売、
次いで生む大嶋亦の名を言う多麻流別(タマルワケグサ)』(多より流まで音を以って)
次いで生む女嶋亦の名を言う天の一根(天の訓は天の如し)
次いで生む知訶嶋亦の名を天の忍男、
次いで生む両児嶋亦の名を言う天の両屋、吉備児嶋より天の両屋嶋に至る併せて六嶋、既にして國生み終える。






Livedoorの地図
この地図を開いて航空写真で見てください。



guuchanの解説

筑紫嶋は身一つに四面有りは、嶋は一つだが平野(平面)は四っつあるということだ。
平野を中心に開発しようと言うのだろう。当時どれくらい開けていたかは分からない。
野原、藪、森林などであったろう。

そこを開発して国を作ろうというのだ。開拓して農業も本格的に進めようと言うのだ。
大体、平野は大きな川の河口付近に発達する。
大きな河は、輸送路としても便利である。
日本全土の測量、ジオラマの作成が行われていたことが伺える。

そういうジオラマが古墳などから出土すれば最高だ。

現在まで、地名として残っている筑紫国は概ね福岡、佐賀平野であろう。これらは博多湾から有明海までつながっている。
豊國は大分県。肥國は宮崎、鹿児島。熊曾は熊本県。
あるいは違っているかもしれない。
佐賀、長崎は肥前の国。熊本が肥後。これは常識だ。

しかし、熊本の熊曾も動くまい。
すると、宮崎、鹿児島が肥国以外に当てられない。宮崎は日向の国だから先ず間違いなかろうし、
日向国、薩摩は、一つだった時代も有るのだから、先ず間違いなかろう。
また、豊國が大分付近も間違いなかろう。
すると、佐賀長崎は筑紫と一緒になるしかない。
福岡、佐賀、長崎は全部女王國に属していたのだから、筑紫で一まとめで良いのかもしれない。
一応そういう観念で居て、読み進むうちに違ってくれば訂正しよう。
肥、肥後、肥前の呼び方がどう生まれ変化していったのか興味のあるところだ。



壱岐には天照宮という古い宮があり、出雲に神が集まる時、最後に来るのがこの壱岐の神様と言う言い伝えがある。
ヒトツハシラと言うのは神の数を数える時の数え方だ。

ついで津嶋(は今日の対馬であろう)、天の狭手依比売と書いてあったが、印影を見ると天の使午依比売に見える。
大倭(古事記ではじめて大倭と登場。一応ヤマトと呼んでおく。倭もヤマトだ。)

御虚空は読めないし、一も分からないので印影を見た。すると、虚の字が區に近い。區の上に点がある。區は意味がある。
多くのものを隠していると言う意味だ。そして区分けすると言う意味がある。本州はまだ、多くの未知の部分があって、
全部を国別けできなかったのだと思われる。

吉備の児島は岡山県玉野市の辺りの児島半島を指すのだろう。

大嶋、女嶋、知訶嶋、両児嶋は分からない。

今宵はここまでに致しとうござりまする。

325 「もしも、徐福が日本に来ていたら」 (23)

2007-04-21 10:20:11 | もしも、徐福が日本に来ていたら

庭の花もアップしました。
そちらも見て行ってください。
この下に続きます。


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325 淡路島、四国、隠岐を生む

於是二柱神議云今吾所生之子不良猶宜白天神之
御所即共參上請天神之命爾天神之命以布斗麻邇爾上此五字以音
ト相而詔之因女先言而不良亦還降改言故爾反降更往迴其
天之御柱如先於是伊耶那岐命先言阿那夜志愛袁登賣
袁後妹伊耶那美命言阿那邇夜志愛袁登古袁如此言竟

而御合生子淡道之穗之狹別嶋訓別云和氣下效此次生伊豫之二名嶋此
嶋者身一而有面四毎面有名故伊豫國謂愛上比賣此三字以音下效此讚岐
國謂飯依比古 粟國謂大宜都比賣此四字以音土左國謂建依別次
生隱伎之三子嶋亦名天之忍許呂別許呂二字以音



guuchanの読み下し

是に於いて二柱の神議(ギ)して云う、今、吾が産む所の子は不良、
天の神の御所に宣(ヨロ)しく白(ハク)せん。猶、即ち、参上して天の神の命(ミコト)に請う。
天の神の命はフトマニニ(此の5字音を以って)を以って相(ソウ)を卜(うらな)い、因(オオクニ)のみことのりす。

女先に言いて不良、亦帰り降りて改めて言え。故に反えり降りて更にその天の御柱を先の如く往きめぐりて、
是に、イヤナギの命先ず言う、アナヨシメグサエヲトメヲグサ、妹、イヤナミの命言うアナニヨシメグサエヲコヲグサ。

此(かく)の如く言い終わりて、御合(まぐあい)して生みし子は、淡道之穂之狭別嶋(別の訓はワケグサ)、
次いで生む伊予之二名嶋。此の嶋は身一つにして面四つ有り、面毎に名あり、
故に伊予國言う愛比売(エヒメグサ)(此三字音を以って、此れにグサ)、
讃岐國言う飯依比古(ヒエヒコ)、粟國言う大宜都比賣(オオギトヒメ)(此れの四字音を以って)、
土佐國言う建依別(タケヨリワケ(キ)グサ、guuchan読み)次いで生む隠岐の三子嶋、
亦の名天之忍許呂別(アマノオシコロワケグサ)(許呂二次音を以って)。



guuchanの解説

さきに産んだ国は、よく固まらず子の内に入れられなかったので
、天の神の御所(もう御所と言う字が使われていたのですね。)に宜ろしく白(の)べようと議した。
参上して天の神の命(みこと)に請う。

フトマニニって何でしょう?占いの道具でしょうか?相を占い、因のみことのりす。
原因の因ですから原因をみことのりした。でもすっと通るように思います。
しかし、因をオオクニと読んできました。ここだけ原因の意味で使うだろうかと言う疑問が残ります。
それで、オオクニと読んでもおかしくないと示します。
つまり、天の神々のみことのりは、国会の決定と同じでオオクニのみことのりだということです。

アナヨシメグサエヲトメヲグサ
アナニヨシメグサエヲコヲグサ。

これは323話でのべました。

最初の子が、淡道之穂之狭別嶋(アワジノホノサワケグサシマ)。われわれは淡路島という観念が先にある。
しかし、そうではない。アワジシマにはまだ名前が無かったと考えよう。
阿波地方の方が先に名があった。阿波は鳴門の渦塩から来た中国流の表現かもしれない。

淡道も今の淡路もどちらも道の意味がある。
これはアワ(阿波、粟)の国への通り道を意味している。

穂は秀(ほ)と同じで先を意味する。

「別」は、
区別などと区分けした国の地方自治体の呼び方でその行政府のある場所が別府ではなかったか?

次いで生む。伊予の二名島(フタナシマ)。倭人の呼び方と天人の呼び方と有ったから二名島だろうか?
そう言えば、全部亦の名がある。

山で区切られて、平らな面が4っある。
面ごとに名があって、伊予國、亦(マタ)の名はエヒメ(愛比売)グサ。文字はあとから当てたものでエヒメグサという音が先であろう。
そして当てた漢字の意味を持っていると思われる。

讃岐國(サヌキノクニ)、亦の名はヒエヒコ(飯依比古)。

粟国(アワノクニ)、亦の名はオオギトヒメ(大宜都比賣)。

土佐國(トサノクニ)、亦の名はタケヨリワケ(キ)グサ(建依別)

次いで生む隠岐(オキ)の三子嶋(ミツコシマ)、亦の名は天之忍許呂別(アマノオシコロワケグサ)。

隠岐は地図で見ると前島と後島の二つに見えたが、よく見ると、三つ、四つ、あるいは五つに分かれて居るようだ。

オシコロというのは、あちこちに出てくるようだ。どういう意味だろう?
忍び許すと言う意味は、罪人を処刑するのでなく、島流しにして活かし置くということではないだろうか?
押し込めるという倭語と通じているようでもある。
呂には長いという意味がある。
終身遠島を申し渡されたものが行くところ?

そして、前島に別府と言う港がる。
隠岐島の役所が会ったところに違いない。

別府は各地にある。これらは、もっとも古い時代の役所があった町の名残と思って間違いなかろう。
まさに、名の残りである。

全国の別府と言う町、手を上げて見てください。

今日はここまでにいたしとうござりまする。


324 ヒメウツギ、ハゴロモジャスミン、オダマキ、サギゴケ

2007-04-21 06:14:05 | 風景
325 古事記もアップしています。
そちらも見てください。

三日見ぬ間の何とやらです。
折角咲いているものをアップしないのは可哀想。

324-1 モッコウバラ バラ科バラ属

先日もアップしたが今一層賑やかに咲き誇っている。
香りの字が入っているのでさぞやいい匂いがと思われるかもしれないが、残念ながら匂いはしない。
そして、トゲもなし。


324-2 モッコウバラ

真子さまのお印の花と聞く。

324-3 ヒメウツギ アジサイ科ウツギ属

バイカウツギの蕾も見えてきましたが、こちらが一足早く咲き始めました。これは鉢植えです。

324-4 ハゴロモジャスミン モクセイ科ソケイ属

赤い蕾が沢山ついていますが、今開いているのはこの一房のみです。
花を上向かせるため、手で支えました。
手にいい香りが移りました。

324-5 オダマキ(苧環) キンポウゲ科オダマキ属
中のラッパが糸巻きにみえるのでしょうかねえ?


324-6 サギゴケ(鷺苔)  ゴマノハグサ科サギゴケ属

ゴマノハ○やら、サギ○○など、あまりありがたくない名前ですが、可愛いですね。
今わが家の西側北側の日当たりの悪い地面は、サギゴケが覆って綺麗です。
これはいいカバリングプラントだと思いますね。

324-6 サギゴケ(鷺苔)  ゴマノハグサ科サギゴケ属

この色が好きです。



323 「もしも、徐福が日本に来ていたら」 (22)

2007-04-20 08:00:21 | もしも、徐福が日本に来ていたら


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読み解けた古事記(4)

guuchanと一緒に、古事記を紐解いてみましょう。目からウロコと思う方もいると思います。
感想をコメントにお残しください。

323 イヤナギ、イヤナミノミコト

於是天神諸命以詔伊
耶那岐命伊耶那美命二柱神修理因成是多陀用幣流之國
賜天治矛而言依賜也
故二柱神立訓立云、多多志天浮橋而指下其治矛以
畫者鹽許袁呂許袁呂邇此七字以音畫鳴訓鳴云那志而引上時自其矛末
垂落之鹽之累積成嶋是淤能碁呂嶋自淤以下四字以音於其嶋天降坐
而見立天之御柱見立八尋殿於是問其妹伊耶那美命曰汝身
者如何成答曰吾身者成成不成合處一處在爾伊耶那岐命詔我身者成成而成餘處一處在
故以此吾身成餘處刺塞汝身不成合處而爲生成國土生奈何訓生云宇牟下效此伊耶那
美命答曰然善爾伊耶那岐命詔然者吾與汝行迴逢是天之御
柱而爲美斗能麻具波比此七字以音如此云期乃詔汝者自右迴逢我
者自左迴逢約竟以迴時伊耶那美命先言阿那邇夜志愛上袁
登古袁此十字以音下效此各言竟之後告其妹曰女人先言不良雖然久美
度邇此四字以音興而生子水蛭子此子者入葦船而流去次生淡嶋是亦
不入子之例




guuchanの読み下し

是において、天の神諸々は詔(みことのり)をもって、伊耶那岐命(イヤナギノミコ)伊耶那美命(イザナミノミコト)の二柱(フタハシラ)の神に
大国(オオクニ、因)を修理して、是(コレ)多陀用幣流之國(タダヨヘルノクニ)を成せと命じて、天(アマ)の治矛(ジホコ)を賜いて言い依り賜るなり(イイヨリタマワル、お願いされた)。

故に、二柱の神は天の浮き橋に立たして、その天の治矛を指し下ろし、以って画けば、塩コオロコオロニ(この七字音を以って)画きなし(鳴の訓はなし)て、引き上ぐれば、その矛末より垂れ落ちた塩の累積が島を成す、是がオノコロ島(淤以下四字は音を以って)

その島の天(あま)に降り住みて、天の御柱を見立て、八尋殿を見立て、是において、その妹イヤナギノ命に問うて曰く、汝の身は如何に成れるか。

答えて曰く、吾身は成りに成れるも、合わせ所一所成らず、イヤナギの命は、吾身は成りに成りて余り所一所成れり、故に吾身の成れる余り所を汝の身の成らざる合わせ所に刺し塞ぎて成れる国土の生むぐさなさん、生むぐさ奈何(いかん)とみことのりす。

イヤナギの命答えて曰く然り善しにと。イヤナギの命、然らば我と汝と是天の御柱を行き巡りてミトノマグハヒ(夫婦の交い)(この七字音を以って)為さん、かくのごとく云いて期し、口ごもりて詔す、汝は右に巡り逢い、我は左より廻り逢うを約して終わる。

以って廻ればイヤナミの命先に言うアナニヨシ メグサ ヲトコヲグサ(此の十字音を以ってグサ)、各々云い終わるの後、その妹に告げて曰く女人先に言うは良からず、然りと言えどもクミト(ド)ニ(此の4字音をもって)興して生みし子は水蛭子。此の子は葦舟に入れて流し去る。

次に生む淡嶋、これまた子の例(たぐい)に入れず。



guuchanの解説
ここにおいて、天国(天の国)の国会議員が伊耶那岐命、伊耶那美命の二人の大臣に、国全体を修理して、漂っているような国を、立派な国にせよとみことのりして、天の治矛(総理大臣の任命書みたいな象徴の矛)を渡して命じて頼んだ。

天の浮き橋は、中国式の平底船、ジャンクです。もともとジャンクは浮き橋に帆を着けるなどして発達したものです。

船の原型は、甲板が無いので、嵐になれば、水が入って船が沈みます。しかし、箱型の浮き橋をいくつも繋いで、人馬を徒歩で渡せるようにした、浮き橋型は波を被っても、甲板を波が洗うだけで中に水が入らないので沈みにくいし、構造的にも強いのです。

コオロコオロニは、心(ココロ)と密接な関係があります。
ココロとはコロコロ変わるから、それがつまったのだと教えられて来ました。

guuchanは、こころとは迷っているものが固まる。水が凍りになるように、固まって心が決まるからコオロコオロ→ココロだと思っています。

その解釈はイザナミがコオロコオロ(凍ろ、凍ろ)にかき回したところから生まれたものです。
コオロコオロがただのノイズなら、なんで丁寧に音まで書き残すでしょう。

天草には塩田はなかったでしょうかね?
冷蔵庫の無い時代、食物の保存に塩は欠かせません。
山中に暮らす人のため、塩は貴重な物々交換の種になります。
天族の中には内陸に暮らす人も居たのです。

濃い海水を海に見立てて、塩田の中に砂を盛り上げて日本地図をこしらえて行ったのです。皆に説明するのには最高では有りませんか?

もともと画くと言う文字は、畑や、国の境界線を引くというところから生まれています。

二人は砂を盛り上げて嶋を生み出し、大きい嶋は、嶋の中に線を引いて区切っていきました。
名前を付けると、一つの嶋や國の完成です。

春先に豊穣を祈る儀式で、畑で若い夫婦にエッチさせるのは洋の東西を問わず縁起の良いこととされていたそうです。
國生み、神(カミ、國守り(クニモリ、カミ))生みが結婚式と同時進行の形で行われたのでしょう。

 顔が赤くなるような、あまりに単刀直入の表現でギョッとします。
 式のやり直しのときにはっきりしますが、
 男神が女神に アナヨシ メグサ ヲトメヲグサ
 女神が男神に アナニヨシ メグサ ヲトコヲグサ
 (クサについては306話を参照ください。)

 と言います。アナヨシ アナニヨシ を感嘆詞と習って来ました。
それは何が出典でしょうか?
 穴ヨシ?(準備OK?)
 穴にヨシ!(準備OK!)

 実に豪快。エデンの園に居たアダムとイブのように汚れを知らず、隠すことを知らず、隠す必要の無い上代だったように思えます。

 しかし、中国人が倭言葉で言って居るのです。上品も下品もない、
中国語禁止令の中で、倭言葉で求婚していると思えば、素晴らしい表現力です。
 成りに成るという意味は、成りが大きいとかいうあの成りです、成人に成りましたが、ということです。

 また、普通、成り余れる所と成り足らざるところと、読ませてきたようですが、足らずという字は見つかりません。

 guuchanは合せ所と読みました。身成りは大きくなりましたが、そこがまだ十分に大人に成っていませんと言っている方が自然です。
 そして二人の長所と短所を合わせて協力して国を生み、国や、他の色々な責任を持つ知事や大臣を作り出して行きましょうというのです。

 八尋殿で、こういうプロポーズをするのを大勢見ていたのでしょうかね?
 倭言葉で若い者がどのように求婚するか、固唾を飲んで見守っていたかもしれません。機知とユーモアに富んだこのやり取りに、やんやの大喝采だったでしょう。

 イザナギがしどろもどろ(乃にはそういう意味があります)に詔(みことのり)するのも素直に拍手してやりたいです。

 これが、イザナギ、イザナミが亡くなった後に書かれたと言うことは、それだけ印象深く、みんなの記憶に鮮烈に、また好ましいこととして残っていたということでしょう。


 地図の上で国を画いて、例えば四国は四つに別けて、九州も四つに別けて、国を作ったのです。

 そのとき、もう伊予や愛媛という名前が登場してきます。
 それは徐福らが来て、3000人の童男女を全国に婿入り、嫁入りさせて、出来てきた国々だと思うのです。

 それを、ふわふわした状態、どこの国も、国境があやふやで、権力者もあちらが強かったり、こちらが強かったりで、これも不安定だたのです。

 これをしっかりさせよというのですから大変です。
 地図の上だけでなく実際に船で、出かけていって次々に話し合い、新しい国を定め、そこの管理者を任命して歩きました。
 それがこの國生み、神生みです。

 そういうことを念頭に読んでいただくと成るほどと頷けることが多々あると思います。

 クミト(ド)ニはよくわかりません。ミトは夫婦(メオト)だろうと思うのですが、、、。

 と書いたが、クミト(ド)ニ「興して」を「與えて」と読んでいた。汗顔の至りだ。
 それに、ミトノマグハヒのミトは美斗と書いてある。
 美度だ。久美度邇(クミト(ド)ニ)だ。 
 
 興してだとどうなる?

 興してというのは興す、元気付ける、勢いづける、となる。
 そうなると、クミドニは男性性器のことを言うのではないかと思える。

 女性側から先に声を掛けられても、男性がその気に成っていなければ、クミドニが興っておらず出来ない。男性側から、その気になったときに声を掛けるべきだと言うことか。
 このときは女性側から声を掛けられたのだが、然りながら、何とかクミドニ興して夫婦の交わいをしたのだろう。 
 見当違いだと、とんだ大恥を書くことになる。
 クミ(ト)ドニという言葉か、それに似た言葉が、長崎、佐賀の方言に残っていないだろうか?
 全く聞いたことが無いのが不安だ。
2007/4/21訂正

 


 今宵は此処までに致しとうござりまする。
 


322 「もしも、徐福が日本に来ていたら」 (21)

2007-04-19 06:36:55 | もしも、徐福が日本に来ていたら

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読み解けた古事記(3)

guuchanと一緒に、古事記を紐解いてみましょう。目からウロコと思う方もいると思います。
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322-1 神代七代


guuchanの読み下し。

次成神名國之常立神訓常立亦如上次豐雲上野神此二柱神亦獨神成坐而隱身也
ついで成りたる神の名は、國之常立神(クニノトコタチノカミ)常立の訓はまた上の如し、次いで豊雲上野神、
(トヨクモノウエノカミ)、この二柱また独り神で坐となりて身を隠す。

次成神名宇比地邇神次妹須比智邇去神此二神名以旁
次いで成れる神の名は宇比地邇上神(ウヒヂニウエノカミ)、次いで妹須比智邇去神(イモスヒチニコノカミ)この二柱の神は寄り添うを以って名づく。

次角杙神次妹活杙神二柱
次いで角杙神(カククイノカミ)次いで妹活杙神(イモイキクイノカミ)二柱。

次意富斗能地神次妹大斗乃辨神此二神名以音
次いで意富斗能地神(オフトノチノカミ)、妹大斗乃辨神(オオトノヘノカミ)、此の二神の名は音を以って

次淤母陀流神次妹阿夜訶志古泥神此二神名皆以音
次いで淤母陀流神(オモダルノカミ)、妹阿夜上訶志古泥神(アヨカシコニノカミ)、此の二神の名は皆音を以って

次伊那岐神次妹伊耶那美神此二神名亦以音如上
次いで伊那岐神(イナキ、耶が写本の過程で脱落したとすれば、イヤナギノカミ)妹伊耶那美(イモイヤナミノカミ)、此の二神の名は亦(また)音を以って上の如し


■上件自國之常立神以下伊耶那美神以前并稱神世七代
上の件ノ國之常立神より以下伊耶那美神以前ヲ并稱して神世七代

上二柱獨神各云一代次雙十神各合二神云一代也
上二柱の獨神は各云う一代。次いで隻(かたわれ)十の神、各二神合わせて一代と云う。




guuchanの解説

成神は二通りの意味がある。一つは単純に「神に成った」という意味である。もう一つは「成功した神」という意味である。
財を成す、功を成す、名を成すなど、大功のあったものが、顕彰されて神とされたという意味である。
guuchanは後者を取る。

次に成功した神の名は國之常立神(クニノトコタチノカミ)でこれは天ノ国ではなく大国でもなく或る国の寝食を忘れるほどに働いた方ではないか。
或る国というのは囲いのに或という字が入っている。a countryを意味する。
そしてその国が常しえに立つ基を築いたとされたであろう。

次いで、豊雲上野神(トヨクモウエノカミ)、上野は日本国中あちこちにある。
しかし、宮崎県の高千穂付近にもあるそうだ。
上野は、盆地や高原を意味しているのではいかと思う。
豊雲にどういう意味があるかで決まる。
後にも国の名に関係して出てきそうだから、ここでは深く追求住まい。

この二人は独り神で、国の基礎を築いて亡くなられた。

この頃の国の名は、今日でも郡などに残ってるはずです。ついで成功したのは宇比地邇(ウヒヂニウエノカミ)、有明海の広い(宇は広いを意味し)(比地は泥のこと)の上で、
色々な収穫が出来るよう研究工夫して立派だったのではないでしょうか?
奥さんの須比智爾去神(スヒチニコ)は(ウヒヂニウエノカミ)に殉死して一緒に死んだので神とされたのでしょう。
智の字が使われています。干潟のことは良く知って居られたということを思わせます。

海での事故だったかもしれません。干満の差の大きい有明海で、干潟で収穫していて、泥に足を取られ、逃げ遅れ二人抱き合って亡くなられたかも知れません。
この二柱の神は寄り添って死んだので名を残したという記述が、悲しくも美しく胸を打ちます。

次いで角杙神(カククイノカミ)次いで妹活杙神(イモカククイノカミ)二柱。この二柱の神は、音を以って読まれていない。
杙(クイ)とは何だろう?杭だろうか?
国が境界線を定める時の立会い。境界を定めたり、土地争いなどの紛争を解決する役割を果たしたのだろうか?
それは裁判官の役目をも意味する重要なポストである。
「杭を打つ」、そのころから、こういう言葉が出来ていたのかもしれない。

意富斗能地神次妹大斗乃辨神此二神名以音
次いで意富斗能地神(オフトノチノカミ)、妹大斗乃辨神(タトノヘノカミ)此の二神の名は音を以って
これは何を意味するのか、ちょっと想像がつきません。


次淤母陀流神次妹阿夜訶志古泥神此二神名皆以音
次いで淤母陀流神(オモダルノカミ)、妹阿夜訶志古泥神(アヨカシコニノカミ)此の二神の名は皆音を以って
オモダルというと「おもーい、だるーい」などと病気のような光景が浮かんできます。あるいは、顔のほっぺたが垂れるほど太っている。
ブルドックでは有るまいし、亡くなった方の諡(贈り名)に、そんなことはない筈。まともな意味がある筈だと思うのです。

徐福は100工(色々な職人)を連れてきています。
重ーい樽(たる)はどうでしょう。
味噌、醤油、酒、など発酵食品を作るには、樽が必要だったと思います。
船もそうです、有明海の干潟の近くで安全に仕事をするには、タライ舟やタライは必要不可欠ではなかったでしょうか?
鉄の道具が少ない時代です。1斗樽、4斗樽、1石樽。お偉いさんのお風呂など。
桶屋は儲かったと思いますよ。壷や瓶は重たくて、水に沈みます。割れやすいですね。水を汲むのも、手桶。
地味ですが、当時としては、現代における自動車の発明くらいの意義を持ったと思います。

ネットで調べると、「人糞を畑にまくのは日本独自の文化で鎌倉時代から、、」という記述がありましたが、そんなことはないと思います。
多分春秋左氏伝<B300頃?>だったと思いますが、神農さんが色々実験して人糞を使って良い収穫を上げた。
しかし、しばらくすると、そこで働く人たちの顔が黄色くなった。
調べてみると回虫だということがわかった。そこで薬草を色々ためし駆虫剤を飲ませたら、みな顔色が良くなった。というような記述があったと思います。

徐福の時代には既にあったと思います。
とにかく樽や桶は生活必需品で、特に大きい樽は製作も難しく貴重だったと思います。

重ーい樽(タル)は、生活の向上に大きな役割をはたしたと思いますので、
表彰されて神とされたということにしておきましょう。
重樽が一つの意味として掛けられたとしておきましょう。

訶志古泥神(アヨカシコニノカミ)、普通アヤカシコニノカミなどとアナカシコに近い読みをするのではないかと思う。
そして何だか意味が分かったようなわからぬようなことになってします。
万葉仮名としては、アヨでもアヤでも読める。この奥さんは人が良くて鷹揚だったから、何かあると口癖は「ヨカシコ」だったともう。
天の標準語である西九州の方言では、ヨカシコという意味は「いいだけ」である。「あなたのよかしこたい」「ヨカシコヨカヨ」
「好きなだけいいよ。」だ。こんな太っ腹で、人のいいお嫁さんを持ったオモダルさんは幸せでしたでしょうね。
「あ、よかしこに」は弁慶のギナタ読みであろうか?

次伊那岐神次妹伊耶那美神此二神名亦以音如上
次いで伊那岐神(イナキノカミ、耶が写本の過程で脱落したと思う、イヤナギノカミ)妹伊耶那美(イモイヤナミノカミ)、此の二神の名は亦(また)音を以って上の如し
イヤナギは弥凪(イヤナギ)いよいよ平らかに、イヤナミは弥滑み(いよいよなめらかに)の意味で、争いのない平和な国を理想とした御夫婦。

■上件自國之常立神以下伊耶那美神以前并稱神世七代
上の件ノ國之常立神より以下伊耶那美神以前ヲ并稱して神世七代

上二柱獨神各云一代次雙十神各合二神云一代也
上二柱の獨神は各云う一代。次いで隻(かたわれ)十の神、各二神合わせて一代と云う。