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読み解けた古事記(4) guuchanと一緒に、古事記を紐解いてみましょう。目からウロコと思う方もいると思います。 感想をコメントにお残しください。 323 イヤナギ、イヤナミノミコト 於是天神諸命以詔伊 耶那岐命伊耶那美命二柱神修理因成是多陀用幣流之國 賜天治矛而言依賜也 故二柱神立訓立云、多多志天浮橋而指下其治矛以 畫者鹽許袁呂許袁呂邇此七字以音畫鳴訓鳴云那志而引上時自其矛末 垂落之鹽之累積成嶋是淤能碁呂嶋自淤以下四字以音於其嶋天降坐 而見立天之御柱見立八尋殿於是問其妹伊耶那美命曰汝身 者如何成答曰吾身者成成不成合處一處在爾伊耶那岐命詔我身者成成而成餘處一處在 故以此吾身成餘處刺塞汝身不成合處而爲生成國土生奈何訓生云宇牟下效此伊耶那 美命答曰然善爾伊耶那岐命詔然者吾與汝行迴逢是天之御 柱而爲美斗能麻具波比此七字以音如此云期乃詔汝者自右迴逢我 者自左迴逢約竟以迴時伊耶那美命先言阿那邇夜志愛上袁 登古袁此十字以音下效此各言竟之後告其妹曰女人先言不良雖然久美 度邇此四字以音興而生子水蛭子此子者入葦船而流去次生淡嶋是亦 不入子之例 guuchanの読み下し 是において、天の神諸々は詔(みことのり)をもって、伊耶那岐命(イヤナギノミコ)伊耶那美命(イザナミノミコト)の二柱(フタハシラ)の神に 大国(オオクニ、因)を修理して、是(コレ)多陀用幣流之國(タダヨヘルノクニ)を成せと命じて、天(アマ)の治矛(ジホコ)を賜いて言い依り賜るなり(イイヨリタマワル、お願いされた)。 故に、二柱の神は天の浮き橋に立たして、その天の治矛を指し下ろし、以って画けば、塩コオロコオロニ(この七字音を以って)画きなし(鳴の訓はなし)て、引き上ぐれば、その矛末より垂れ落ちた塩の累積が島を成す、是がオノコロ島(淤以下四字は音を以って)。 その島の天(あま)に降り住みて、天の御柱を見立て、八尋殿を見立て、是において、その妹イヤナギノ命に問うて曰く、汝の身は如何に成れるか。 答えて曰く、吾身は成りに成れるも、合わせ所一所成らず、イヤナギの命は、吾身は成りに成りて余り所一所成れり、故に吾身の成れる余り所を汝の身の成らざる合わせ所に刺し塞ぎて成れる国土の生むぐさなさん、生むぐさ奈何(いかん)とみことのりす。 イヤナギの命答えて曰く然り善しにと。イヤナギの命、然らば我と汝と是天の御柱を行き巡りてミトノマグハヒ(夫婦の交い)(この七字音を以って)為さん、かくのごとく云いて期し、口ごもりて詔す、汝は右に巡り逢い、我は左より廻り逢うを約して終わる。 以って廻ればイヤナミの命先に言うアナニヨシ メグサ ヲトコヲグサ(此の十字音を以ってグサ)、各々云い終わるの後、その妹に告げて曰く女人先に言うは良からず、然りと言えどもクミト(ド)ニ(此の4字音をもって)興して生みし子は水蛭子。此の子は葦舟に入れて流し去る。 次に生む淡嶋、これまた子の例(たぐい)に入れず。 guuchanの解説 ここにおいて、天国(天の国)の国会議員が伊耶那岐命、伊耶那美命の二人の大臣に、国全体を修理して、漂っているような国を、立派な国にせよとみことのりして、天の治矛(総理大臣の任命書みたいな象徴の矛)を渡して命じて頼んだ。 天の浮き橋は、中国式の平底船、ジャンクです。もともとジャンクは浮き橋に帆を着けるなどして発達したものです。 船の原型は、甲板が無いので、嵐になれば、水が入って船が沈みます。しかし、箱型の浮き橋をいくつも繋いで、人馬を徒歩で渡せるようにした、浮き橋型は波を被っても、甲板を波が洗うだけで中に水が入らないので沈みにくいし、構造的にも強いのです。 コオロコオロニは、心(ココロ)と密接な関係があります。 ココロとはコロコロ変わるから、それがつまったのだと教えられて来ました。 guuchanは、こころとは迷っているものが固まる。水が凍りになるように、固まって心が決まるからコオロコオロ→ココロだと思っています。 その解釈はイザナミがコオロコオロ(凍ろ、凍ろ)にかき回したところから生まれたものです。 コオロコオロがただのノイズなら、なんで丁寧に音まで書き残すでしょう。 天草には塩田はなかったでしょうかね? 冷蔵庫の無い時代、食物の保存に塩は欠かせません。 山中に暮らす人のため、塩は貴重な物々交換の種になります。 天族の中には内陸に暮らす人も居たのです。 濃い海水を海に見立てて、塩田の中に砂を盛り上げて日本地図をこしらえて行ったのです。皆に説明するのには最高では有りませんか? もともと画くと言う文字は、畑や、国の境界線を引くというところから生まれています。 二人は砂を盛り上げて嶋を生み出し、大きい嶋は、嶋の中に線を引いて区切っていきました。 名前を付けると、一つの嶋や國の完成です。 春先に豊穣を祈る儀式で、畑で若い夫婦にエッチさせるのは洋の東西を問わず縁起の良いこととされていたそうです。 國生み、神(カミ、國守り(クニモリ、カミ))生みが結婚式と同時進行の形で行われたのでしょう。 顔が赤くなるような、あまりに単刀直入の表現でギョッとします。 式のやり直しのときにはっきりしますが、 男神が女神に アナヨシ メグサ ヲトメヲグサ 女神が男神に アナニヨシ メグサ ヲトコヲグサ (クサについては306話を参照ください。) と言います。アナヨシ アナニヨシ を感嘆詞と習って来ました。 それは何が出典でしょうか? 穴ヨシ?(準備OK?) 穴にヨシ!(準備OK!) 実に豪快。エデンの園に居たアダムとイブのように汚れを知らず、隠すことを知らず、隠す必要の無い上代だったように思えます。 しかし、中国人が倭言葉で言って居るのです。上品も下品もない、 中国語禁止令の中で、倭言葉で求婚していると思えば、素晴らしい表現力です。 成りに成るという意味は、成りが大きいとかいうあの成りです、成人に成りましたが、ということです。 また、普通、成り余れる所と成り足らざるところと、読ませてきたようですが、足らずという字は見つかりません。 guuchanは合せ所と読みました。身成りは大きくなりましたが、そこがまだ十分に大人に成っていませんと言っている方が自然です。 そして二人の長所と短所を合わせて協力して国を生み、国や、他の色々な責任を持つ知事や大臣を作り出して行きましょうというのです。 八尋殿で、こういうプロポーズをするのを大勢見ていたのでしょうかね? 倭言葉で若い者がどのように求婚するか、固唾を飲んで見守っていたかもしれません。機知とユーモアに富んだこのやり取りに、やんやの大喝采だったでしょう。 イザナギがしどろもどろ(乃にはそういう意味があります)に詔(みことのり)するのも素直に拍手してやりたいです。 これが、イザナギ、イザナミが亡くなった後に書かれたと言うことは、それだけ印象深く、みんなの記憶に鮮烈に、また好ましいこととして残っていたということでしょう。 地図の上で国を画いて、例えば四国は四つに別けて、九州も四つに別けて、国を作ったのです。 そのとき、もう伊予や愛媛という名前が登場してきます。 それは徐福らが来て、3000人の童男女を全国に婿入り、嫁入りさせて、出来てきた国々だと思うのです。 それを、ふわふわした状態、どこの国も、国境があやふやで、権力者もあちらが強かったり、こちらが強かったりで、これも不安定だたのです。 これをしっかりさせよというのですから大変です。 地図の上だけでなく実際に船で、出かけていって次々に話し合い、新しい国を定め、そこの管理者を任命して歩きました。 それがこの國生み、神生みです。 そういうことを念頭に読んでいただくと成るほどと頷けることが多々あると思います。 クミト(ド)ニはよくわかりません。ミトは夫婦(メオト)だろうと思うのですが、、、。 と書いたが、クミト(ド)ニ「興して」を「與えて」と読んでいた。汗顔の至りだ。 それに、ミトノマグハヒのミトは美斗と書いてある。 美度だ。久美度邇(クミト(ド)ニ)だ。 興してだとどうなる? 興してというのは興す、元気付ける、勢いづける、となる。 そうなると、クミドニは男性性器のことを言うのではないかと思える。 女性側から先に声を掛けられても、男性がその気に成っていなければ、クミドニが興っておらず出来ない。男性側から、その気になったときに声を掛けるべきだと言うことか。 このときは女性側から声を掛けられたのだが、然りながら、何とかクミドニ興して夫婦の交わいをしたのだろう。 見当違いだと、とんだ大恥を書くことになる。 クミ(ト)ドニという言葉か、それに似た言葉が、長崎、佐賀の方言に残っていないだろうか? 全く聞いたことが無いのが不安だ。 2007/4/21訂正 今宵は此処までに致しとうござりまする。 |
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神主様が祝詞で賜る言葉にはそうゆう意味もあったんですね。
深い話は別にして男とおんなの話題を御神霊にされている神社は多いです。私も最近載せましたもの。
大学の教授のお誘いが来るまでこの線でいきましょう。
ありがとうございます。
性のシンボルをご神体にしている神社は、天の神とは関係ないだろうと思います。
徐福らの来日以前からあったかもしれません。
それが、陰陽道などによって根拠を与えられていったものと思っています。
まだまだ、追求すべきことが多々あります。
それに迫るために、丁寧に読んでいかないと行けないので、コレをつけて行きたいと思っております。
また、来てください。
やっと知っている神様の名前がが出てきてホッとしましたが・・・
儀式のお話に・・・
その言葉はかのこには韓国語に聞こえましたが・・・?。
その頃からもう伊予や愛媛が・・
ビックリしました。
の 古事記だったと 思います...
ペ-ジの下に 分中に 難しい熟語に 1.2.3.
が ふってあり 下に解決が 乗ってました....
上下を読み ブログ 掲載しましたよ....
今その本は 長男の嫁の 家に有ります...
guuchanさんの 解説 お見事で--す.
お気楽が 掲載当事は 自分だれの メモの様な物でした
コメント 0 でしたが 日記のつもりで 書いてましたよ....其れが 答えです....
又 遊びに 行きます.
おまけ編
よくわからず 読んだ お気楽ですが
今になって思うと 解説は予習の感じです.
2000年前の八尋殿と言う舞台で演じられ、そのとき巻き起こった笑いが空間を越え、時代を超えて広がっていったのです。
わたしたちも笑うことで、その笑いの波を次の時代に伝えていかなければなりません。
すがすがしく笑いたいものです。
韓国の人に聞いてみます。
guuchanも多分岩波だったと思います。
しかし、上下あったかどうかも覚えません。
全部読んだのか、初めの方だけだったのかも記憶にありません。
でも、今はインターネットで読めますから便利ですね。
しかも、国宝の最古のものが写真版で見れるのです。
それがあったればこそ、こうして書くことが出来るのだと思います。
また、続けてみてください。