住めば公園風田舎町

「住めば都」と言われるがわたしゃ田舎の方がいい。町全体が公園のようなそんな田舎町に住みたい。

331 「もしも、徐福が日本に来ていたら」  (29)

2007-04-27 11:20:46 | もしも、徐福が日本に来ていたら


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もう駄目かと思いつつ、なんとか、3頁目も読み下した。
まるで初見のドイツ語のテキストでも読むように、一字一字、影印に照し、辞書を引いた。
少しでも納得の行かないものは2度、3度、繰り返すうちに、不思議に適切なる字に行き着いたように思う。
書くも苦しいが、読むもまた辛いことであろうと思う。

しかし、guuchanの辛苦を通して、安萬侶の辛苦を忍んでいただきたいと思う。
安萬侶の辛苦いかばかりか。


古事記序の3

士烟起旗耀兵凶徒瓦解未移(狭)辰氣(弥)自清乃放牛
息馬()悌歸於(萃)(強)(戟)(靡)詠停於都邑歳次
(影印になし)梁月踵(使)鍾清原大(太)宮昇(罪即天位道軼軒后徳跨周王
(軋)符而(総)六合得天統而包八(荵)乘二氣之正(暦)五行之
序設神理以奬俗敷英風以弘國重加智海浩汗潭探上
古心鏡(熄)煌明覩先代於是天皇詔
セイ之朕聞諸家之所(セイ、左の画像のような文字)
帝紀及本辭既違正實多加虚僞當今之時不改其失未(経)
幾年其旨欲滅斯乃邦家之經緯王(托、実の字は手偏でなく人偏。タク、よせる)(嶋)基焉故


guuchanの読み下し

○ 士烟起りて旗を降ろせしめ、耀兵は凶徒を瓦解せしむ。未だ狭きに移らざる、気を振るいて弥(いよいよ)自らを清くし牛を放つ。馬を息(やす)ます。悌(がいてい)して歸す。
○ 戞(ほこ)を萃(あつ)めるに於いて、強き戟戈(かんか)を卷いて靡(な)びかしめ詠みて停まる。
○ 都邑(とゆう)に於いて歳次(さいじ)梁(りょう)月踵し鐘を使う
○ 清原太宮の罪即ち天位を道し軒を軼(す)ぐ
○ 后の徳は周王を跨して軋符を握る
○ 而総べて六を合わせて天を統べるを得
○ 而八荵(はちじん)を包みて乘(おさ)める。
○ 二氣(にき)之正暦(しょうれき)五行(ごぎょうの)之序を設く
○ 神理(かみのことわり)を奨めるをもって俗(ぞく)に英風を敷く以って國に弘め重きを加う

 智海(ちかい)浩く汗は潭(ふち)す。上古を探り心鏡に熄(き)ゆ。煌明(こうみょう)を先代に覩(み)る。

是に於いて天皇(すめらみこと)詔(みことのり)す。

之れ朕(ちん)聞く諸家之所有せる 帝紀(ていき)及本辭(ほんじ)は既に違正實に多く、虚僞を加う。
當(まさ)に今之(ここ)に其の失を不改(あらため)ざれば未だ幾年を経ん。其の旨は斯乃邦家之經緯を滅せんと欲す。焉(ここ)に、王寄せるの嶋の基いせん。

guuchanの解説

 士烟は土煙かと思ったが、此れは兵士の上げる土煙であろう。
 
 士烟が起ると、敵は旗を降ろして(降伏して)、耀(かがやく)兵(つわもの)は凶徒を瓦解せしめた。未だ狭きに移らざる、気を振るいて弥(いよいよ)自らを清くし牛を放つ。
(緑の文字部はちょっと、良くわからないが、その部分を読めば割ってくるかもしれない。)

 馬を息(やす)ます。悌(がいてい、おだやかになって)して歸す。
○ 戞(ほこ)を萃(あつ)めるに於いて、強き戟戈(かんか)を卷いて靡(な)びかしめ詠みて停まる。
 (本文を読むと分かると思うので楽しみに。guuchanは見当違いだったりして、恥をかくことにも。)
○ 都邑(とゆう)に於いて歳次(さいじ、木星が宮にはいること、一年のこと。)梁(りょう)月踵し鐘を使う。
 (本文を読むと分かると思うので楽しみに。guuchanは見当違いだったりして、恥をかくことにも。)
○ 清原太宮の罪即ち天位を道し軒を軼(す)ぐ
○ 后の徳は周王を跨して(軋、車偏でなく朝の偏、カン、意味は分からないが、王の証拠となるようなものと思う。)符を握る

○ 而総べて六を合わせて天を統べるを得
○ 而八荵(はちじん、荵は忍ぶ)を包みて乘(おさ)める。
○ 二氣(にき)之正暦(しょうれき)五行(ごぎょうの)之序を設く
 (人と物の、と思う)正しい暦年と五行の序を設けた。(序并は五行の序と、上表文が合わさっているのではないか?)
○ 神理(かみのことわり)を奨めるをもって俗(ぞく)に英風を敷く以って國を(に)弘め重きを加う
 この神の理(ことわり)を国民に広めて、良風を養い、国を(に)広め重みを増そう。

 知恵の海は広くて汗が滝のようです。上古(おおむかし)を探ると、心の鏡に消えて行きます。光明を先の天皇に見ます。

是に於いて天皇(すめらみこと)詔(みことのり)す。

之れ朕(ちん)聞く諸家之所有せる 帝紀(ていき)及本辭(ほんじ)は既に違正實に多く、虚僞を加う。
當(まさ)に今之(ここ)に其の失を不改(あらため)ざれば未だ幾年を経ん。其の旨は斯乃邦家之經緯を滅せんと欲す。焉に、王寄せるの嶋の基いをする。

いやいや、ここまでお付き合いいただいて、ごくろうさまでした。


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お詫びして訂正。

昨日アップした、古事記の第1ページで、「目本」を「日本」と読んだのは、重大な誤りでした。
目本には「帝王の項目」という大きな意味があったのですね。どういう風に訂正したか、ひまがあったらお確かめください。

だんだん、難しくなります。
今日のところまでは何とか読みましたが、その先が、誤解しそうです。
というのは、本文を読んでないと、何のことを比喩的に謂おうとしているか分からないからです。



序の続き(2頁目)
神倭天皇經歴于秋津嶋化熊
出爪天(釼)獲於高倉生尾遮徑大導於吉野別(儀)攘賊聞
歌伏(祝)即覺夢而敬神祇所以稱賢后望烟而撫黎元於
今傳聖帝定境開邦(掣)于近淡海正姓撰氏勒于遠飛鳥
雖歩驟各異文質不同莫不稽古以繩風猷於既頽照
今以補典教於欲絶(既旦)飛鳥清原大宮御(太)八洲
天皇御世濳龍體元(淤)雷應期(同)夢歌而相纂業(蟇葉)投夜
水而知(氷)基然天時未臻蝉蛻於南山(大)事共給歩於東國
皇輿忽駕浚渡徒度山川六師雷震三軍電逝杖矛擧威猛


guuchanの読み下し

神倭天皇經歴(かみ、やまとのすめらみことのけいれき)
秋津嶋(あきつしま)于(に)化熊(ばけぐま)爪を出だし、天の釼獲す。
高倉において尾遮徑を生み、大馬は導く。
吉野別において賊を儀攘して、伏して祝(ことほ)ぐ歌を聞く。

即ち夢覚めて神祇敬う。賢后を称える所以は烟を望みて黎元(れいげん、民のこと)を撫す。
今において、伝う聖帝の境を定め、邦を開きしを。

近くは淡海を掣し、姓を正し、氏を撰び、遠く飛鳥を勒(ろく、制御)す。

歩むと雖も驟(はやがけ)し、各々異文の同じならざるを質(ただ)し、古(いにしえ)を思わざるを莫(な)からしむ。
縄を以って猷(はかる)る風(ふう)は既に頽(たい)す。今に照らし、以って典経(てんきょう)を補う。
欲を絶つて、既に旦には、飛鳥清原大宮。

御太八嶋天皇御世。(みふとやしまのすめらみことのみよ)。
龍體(りゅうたい、天皇の体のこと)を元淤(げんお)に潜す。
雷(いかづち)に應じて同夢を期して歌い和す蟇(がま)は葉を夜(よる)水に投じて而知る基の氷れるを。
然り、天の時未だ臻(いた)らず蝉蛻(せんだつ)は南山に於いて大事を共にし席を給して歩みす。
東國に於いては皇輿(こうよ・天皇のこし)は忽(かたちなく)し、駕して山川を徒度(とど、歩いてわたる)す。六師(りくし)の雷は三軍を震わし、雷は杖矛を擧ぐるの威猛を逝(せい)す。


guuchanの解説

全体の目次の項目と、安萬侶の編集の苦労が入り乱れて書かれているようだ。
安萬侶の思いを別の色で区別してみた。

○ 神倭天皇經歴(かみ、やまとのすめらみことのけいれき)

○ 秋津嶋(あきつしま)に化熊が爪を出だし、天の釼、獲す。

○ 高倉において尾遮徑(馬にそう名づけられた。後で訂正するかもしれないが)という大馬が導いた。

○ 吉野別において賊を礼儀に適って討ち払い、賊が伏して祝(ことほ)ぐ歌を聞く。

たちまち目が覚めたように、神祇(しんぎ、どちらも神)を敬う気持ちになりました。
賢い后(おきさき)を称える理由は烟(煙)を望みて黎元(れいげん、民のこと)を撫(ぶ、いたわる)されたからであること。
今において、伝える聖帝の境を定め、邦を開きしを。

近くは淡海(近江地方)を掣(制、おさえる)し、姓を正し、氏を撰んで遠く飛鳥を勒(ろく、制御)すを。

ゆっくりのようですが驟(はやがけ)し、提出された文の同じでないところを、聞いて回り、古いものを大事にしない思いをなくすようにしました。

縄で距離を猷(はかる)る風(ふう、しゅうかん)は既に頽(たい、なくなる)す。今に照らし、以って典経(てんきょう)を補う。
guuchanの考えですが鏡を用いて測量していたことを示しています。

欲を絶つて、既に旦には、飛鳥清原大宮。(じぶんのしたいことはせずに、夜が明ければ飛鳥清原大宮におります。)
そこに、木簡、竹簡があり、古事記編集の作業場所だったと思われる。


○ 御太八嶋天皇御世。(みふとやしまのすめらみことのみよ)。

○ 龍體(りゅうたい、天皇の体のこと)を元淤(げんお)に潜す。淤はドロのこと。天皇自らドロにまみれる。

○ 雷(いかづち)に應じて同夢を期して歌い和す。蟇(がま)は葉を夜(よる)水に投じて而知る基の氷れるを。波紋ができれば、氷ってないので安心して飛び込めるということだろう。
  雷が鳴ると、蛙が此れに合わせて一斉に歌い出すように蛙が鳴き始める。蛙は夜こっそりと、葉っぱを水に落として、水がまだ凍っているかどうかを知る。

然り、天の時未だ臻(いた)らず。

○ 南山に於いて、蝉蛻(せんだつ)は大事を共にし席を給して歩みす。

天の時代に完全に至ったとはいえない(至るにわざわざ臻の字が用いられている。秦という字が入っている。
天には秦に帰属させるという思いがあったことを伺わせているのか?そうではなくて、秦に意味があるとすれば、初めて生まれた統一国という意味の方が大きいと思う。
蝉の抜け殻が南の山では、何かはこそこそ企んでいるようにある。

○ 東國に於いては皇輿(こうよ・天皇のこし)は忽(かたちなく)し、駕して山川を徒度(とど、歩いてわたる)す。六師(りくし)の雷は三軍を震わし、雷は杖矛を擧ぐるの威猛を逝かす。
東国に天皇自ら赴かれた時は、天皇の輿は壊れ、普通の駕籠に乗られたり、歩いて、山や川をわたられた。
六つ師、師は軍隊の単位で一つの師は2500人、六師は15000人になる。しかし、旅の場合には、一師は500人、六師は3000人になる。
三軍とは敵の連合軍?後段で出て来るであろう事を予感させる。
雷は、杖や矛を擧ぐるの威猛を逝かす。杖はまた杖術などというように、棍棒のことで武器でもあった。反乱、反抗か一揆か、その猛威を逝(遠ざけた。)



一時はどうなることかと思った。神倭の天皇が熊と化しけて爪を本州にだしたのかと思った。
弁慶のギナタ読みの所為だ。切る所を間違えるととんでもない事になる。
尾遮徑という馬の名にしたが心配だ。
従来大烏と読まれてて来たと思う。字は、guuchanには馬に見えたし、その方が自然だ。
儀攘の儀が影印からなかなか読めなかった。
「於いて何々」というのが、項目ではないかと気付いてからは割りにスムースに読めた。
「皇輿忽駕浚渡徒度山川」
が分からなかった。どこできるのか、徒の字がなかなか判読できなかった。
山川までで切ったとき、度が川を渡るなら、徒のところの字は、山を登るか往くかする意味ではないかと色々探した。
影印はサンズイにみえる。サンズイではないと判断した時、徒の字が浮かんだ。

嬉しかったですねえ。徒に間違いないような気が致します。

さて、明日は如何しましょう。



329 「もしも、徐福が日本に来ていたら」  (27)

2007-04-25 06:15:40 | もしも、徐福が日本に来ていたら
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今日は、古事記の第1ページです。
いままで、これを完全に読んだ人は居なかったと思います。
太安萬侶は、資料が混沌として凝り固まってしまって、形も見えないと、形容しているのを、誰が最初に取り間違えたか、これを、天地開闢の混沌とした状態を表現しているものと取ってしまった。

guuchanが快刀乱麻を断ちました。

5月2日に「国宝真福寺本古事記」、桜風社を入手しました。送料、送金手数料共5,400円也。
その影印を見ると、やはり多く違っていたのでそれを訂正し読み直しました。



古事記序
古事記上卷 序并

臣安萬侶言夫混元既凝氣象未(敷、注a)無名無爲誰知其(形、注b


(乾の旁を乳の旁に換えたもの、注c)坤初分參神作造化之首陰陽斯開二靈爲君羊品之祖

所以出入幽顯日月彰於洗目浮沈海水神祇呈於滌身(言偏に「枚」の旁、コウ、注d)太

■杳■(索杳寞、注e)目夲教而識孕土産嶋之時元始綿(注f)頼先聖

而察生神立人之世寔懸鏡吐(昧、注g)而百王相續喫(釼、注h)切(蛇の旁が也、陀に同じ、注i)


以万神蕃息(巽、注j)議安河而平天下論小濱而清国土是以番

仁岐命初降于高千嶺神倭天皇經歴于秋津嶋化熊出

※敦・・・本居宣長『古訓古事記』では「効」。
※君羊・・・同上では「君」。

赤字は関根聡さんが読んだもの。は読めなかったもの
( )はguuchanが読んだもの。


注a.敷
注b.形
注c.(乾の旁を乳の旁に換えたもの、注c)
注d.(言偏に「枚」の旁、コウ、)
注e.索杳寞
注f.
注g.昧
注h.釼
注i.(蛇の旁が也、陀に同じ)
注j.巽





guuchanの読み下し

古事記上巻 序并

臣安萬侶(しん、やすまろ)、言う。夫(そ)れ混(まじる)の元(はじめ)は既に凝氣(こりぎみ)にして象(かたち)未(いまだ)敷(のべ)るなく名づく無く為す無し。
誰ぞ知らん其の形、然り乾(乾の旁を乳の旁に換えたもの、注c)坤、初めて分つ造化之首を作(な)せる參神を。

陰陽(おんみょう)斯く開く。
二靈君を羊品の祖と為す。

幽顕に出入する所以は海水に浮沈して目を洗うに於いて日月は彰らかにし、身を滌ぎ杳冥(ようめい)を太索するに於いて神祇(しんぎ)は呈(あらわ)す。

目夲を教わりて而(しこ)うして識る、土を孕(はら)み嶋を産む之時。

元始は綿にして先聖(せんせい)を頼る。
而うして察す、神を生み、人を立つるの世の寔(まこと)を鏡に懸かり、昧(まい)に吐(あらわ)れるごとくに。
而うして百王、相い續いて釼(けん)を喫(きっ)して蛇(じゃ)を切る。
以て万(よろず)の神は安河(やすかわ)息を蕃(にぎわ)し、巽(へりくだ)って議(ぎ)す。
而うして、天下を平(たいら)けく、小濱(しょうひん)を論じ、而うして国土を清くする。

是を以って番仁岐命(ににぎのみことのこと)初めて高千(たかち)の嶺(みね)于(に)降(くだ)る。

(続く)

guuchanの解説

意味の方は、読み下し文で、ほとんどわかると思う。
古いものでは、当時からしてなお900年前の記録である。
木簡や竹簡がどういう風に保存されていたか。何百年に一度位、新たに書写されたかもしれない。天皇が、公家や豪族(徐福集団の各地に散らばった家)たちから集めたそれらも、黴や汚れで黒ずみ、あるいは紐が切れて順序もばらばらになってしまっている部分もあったかもしれない。

膨大な量の木簡、竹簡ではなかったろうか。
稗田阿礼は片っ端から読んで頭の中にいれ整理しようとした。
どこが、はじめやら、どこが終わりやら。どこから、どこに続くのか、混沌としていたのではなかったか。
作業は何十年に及び、その間に天皇も三代も変わった。
若い安萬侶(稗田阿礼が名を与えられたのではないか)は先(何代にも渡って)の天皇に聞いたりしながら、糸口をみつけて行った。

混沌としていて、形がなく、名前もなく、為しようがなく文にしようがありませんでした。だれがその形をを知りましょうか。

ようやく、大本を作っ三柱の神が分かりました。陰陽がこうして開き、少し見えてきました。二霊(陰陽とも、伊耶那岐命、伊耶那美命ともとれる)、が君を公家(羊には良いという意味がある。品には諸々の官位の意味がある。正一品から従九品までの18階がある。)の祖と為す。

幽顕(竹簡、木簡の山を集めた部屋は正倉院の様な倉庫であったろうか?暗くて、暑いところであったに違いない。顕には暑いという意味がある)に出入する理由。
海水に浮沈して目を洗うに於いて、日月が彰かになりました。身を滌ぎ杳冥(杳として行方知れずというよに、分からないさま。次の字は冥と同義としておく)を太索(大捜索)するに於いて神祇(しんぎ、神々)は(姿を)呈(あらわ)しました。

目本(「目」に題目、表題の意味がある。また科よりも大きい分類項目でもある。「本紀」といえば歴史書の「帝王の事跡を記した部分」のことである。そうすると目本とは、帝王の事跡を記した項目ということになる。)を教わりてそして知りました。国土、や嶋を生み出して行った時のことを。

前後のつながりから、「教える」というのが「教わる」でないと落ち着かない。そこで、調べたら、なんと教わるというのが有るではないか。
guuchanたちは教育という観念から、100%教えるという意味にしか日常とらない。
勉強というのは、勉めて教えるのではない。勉めて教わるのだ。(2007/4/26訂正)

元始は綿(綿のようにこんがらがっている様であろう)にして先聖(せんせい、先の天皇のことであろう、持統天皇、文武天皇)に頼る。

そうして、神を生み人を立てた世の寔(まこと)を銅の鏡に映るように暗くぼんやりとですが察しました。

そうして、百王が相い続いて、剣で切り付けられ、蛇を切りました。
以って、よろずの神が、天の安河に息を蕃(にぎわ)し、、国を平和にすることを、一方では小さな浜のことまで論じ、たがいにへりくだって議し、そうして国土を清くされました。

ここに、ニニギノ命が初めて高千(たかち、高千穂のこと)の峰に下られました。

(続く)

多くの言を費やして、如何に読解が困難であったかを述べています。
それは、作業に着手して25年間、ほとんど何も文書として表していません。
古事記を編集したとしても、そのページ数からは25年間の作業の集大成と言うには、普通なら少なすぎると思われるでしょう。

そういう言い訳のようにも聞こえますが、そうではなく、この古事記が、短くても偽作や捏造でなく、読むのが極めて困難だった膨大の資料を丹念に調べて出来たものであることを述べています。
第一級の資料であることを主張しています。
太安萬侶が官位を与えられ、勲五等を貰っているのもそういった苦労を評価されてのことでしょう。


賀茂真淵も本居宣長も水戸光圀も、guuchanの読み下しと、解説を聞いたら、きっと言うに違いない。
「生きているうちに、聞きたかった。」と。

 ちょっと、大げさかな。

 いやいや、これらの先達が、あの世で全能の神に願い、許されて、あの世からguuchanに働きかけて、これを作らせているのかもしれない。
 
 全能の父なる神、主の聖名は褒むべきかな。
 今宵は、ここまでにいたしとうござりまする。


328 「もしも、徐福が日本に来ていたら」 (26)

2007-04-24 06:38:12 | もしも、徐福が日本に来ていたら

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古事記の難解

テキストの信頼性

テキストを提供していただいている、関根聡さんには深甚なる感謝の意を捧げる。
氏も誤りに気付いたら、一報請うとあるので、そうしなければならないと思ってる。
今まで、先を急いで厳密な印影との比較を怠って来た。

それは、研究と言うより、小説のつもりで、思考の過程で思いつくものを、メモに残そうと始めたせいもある。
しかし、真実が追求できるところで追求しないのは、よほど手間がかかる場合を除いてはしていかなければならない。

 他人が思いつかないことを発表することも意義のあることだが、
千年以上、正されなかったことを正すことができるとすれば、考古学的な発見にも劣らぬ貢献ではないだろうか。

それでも、すでに、気付いたものはguuchanなりに大胆に直してきた。

昨夜、新たにいくつか気付いた。そのうちの一つは


昨日、天之吹男神を紹介したが印影と比較してみると、上の字が小さい。
この上は、竹簡、木簡から紙に写すとき、木簡の始まり部分を示すために残したのではないかと想像している。

それを大きくしたのはguuchanのミスだ。
しかし、印影と比較した時、吹と言う字がどこにも無い。
吹くという字の部分はどうみても、サンズイ+頁だ(左端の上端)。カイという読みは何とか分かったが、

guuchanの漢和辞典(小さいものではあるが)にも載っていないので意味が分からない。
yahooではヒットしなかったがgoogleで検索してやっと一つあった。
出雲のスサノオのミコトに関係した地名であった。

神須佐能袁命の須がサンズイ辺になっていた。出雲風土記によるもらしい。

しかし、これは重大だ。吹男神にguuchanは砂浜に松を植えてもらったのだが、
ぜんぜん違うことになって来る。

思い込みや一字の違いで雲泥の差になってくるから恐い。
吹男神は須男神に訂正すべきではないか質さねばならない。


327 「もしも、徐福が日本に来ていたら」 (25)

2007-04-23 07:38:12 | もしも、徐福が日本に来ていたら

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読み解けた古事記(8)

神々の名(6)

国や地方の知事などを決めた次は色々国家の仕事をする大臣を決めなくてはならない。


更生神故生神名大事忍男神次生石土毘古神訓石云伊波亦毘古二字以音下效此也
次生石巣比賣神次生大戸日別神次生天之吹上男神次生大屋毘古神次生風木津別之忍男神訓風云加耶訓木以音次生
海神名大綿津見神次生水戸神名速秋津日子神次妹速秋
津比賣神自津比賣神并十神大事忍男神至秋此速秋津日
子速秋津比賣二神因河海持別而生神名沫那藝神那藝二字
以音下效此次沫那美神那美二字以音下效此次頬那藝神次頬那美神





guuchanの読み下し

更に神を生む。故に生める神の名は大事忍男の神、次いで石土毘古(石の訓はイハ亦毘古二字は音をもって下效(シタナラヘ)此)、
次いで生む石巣日売神、次いで産む大戸日別の神、次いで生む天の吹き上げ男神、次いで生む大屋毘古の神、
次いで生む風木津別の忍男神(カヤキツワキノオシヲノ神)(風の訓は言う加耶、木の訓は音を以って)、
次に生む海の神、名づけてオオワタツミのカミ次いで生む水戸の神名づけて速秋津日古ノ神次いで妹速秋津比売ノ神、
津比売神より併せて十神大事忍男の神に至る。秋の此れ速秋津日子、
速秋津比売二神は大国の河海持ち別けて生む神の名は沫那藝神(那藝二字音を以って)、次いで頬那美神




guuchan の解説。

忍男、男、毘古、日古、日子、日売、日別などの名がある。官位のような気がする。
また、「天の」、「國の」、を頭につけて区別している。
これは「天」は天の直轄領(天領という言葉もその名残と思われる)を意味し、
「國」が出雲辺りの一國を指す天同様の固有名詞の可能性もある。あるいはその他の國々を意味するのか良く分からぬ。
もう一つ「因」がある。Guuchanはもはやためらいなく「大国」(オオクニ)と読んでいるが、
これは天も國も含む大倭全体のことである。
この辺に注意して更に紐解いて行こう。
 
ここで言う神は官と見たほうが良いように思う。これが代々受け継がれていくものではないかと思われる。
これは徐福が連れてきた100工と密接に関係している技術者集団と思われる。
大事忍男(オオキゴトオシオトコカミ):
 国の大事を忍耐強く遂行する役
石土毘古(石の訓はイハ亦毘古二字は音をもって下效(シタナラヘ)此也)(イハツチヒコ):
 建設大臣ではないか?
石巣日売神(イワスヒメ):
 建設大臣夫人
大戸日別神、地方の有力な豪族の管理、接待、外交交渉
 地元に命令して、仕事をさせるため。
吹上男神??:
 吹上げ浜など風波が吹上げる、浜の砂が吹上げる。塩害防止大臣。この大臣のおかげで、海辺には松が植林された。
松が自然に浜に生えたわけではないのだ。潮風に強い品種を選定し、苗を育て、植えさせていったのだ。そのおかげで、
日本の浜辺はあんなに美しかったのだ。
大屋毘古神:国家のプロジェクトとして大型の建築物を作るための建築大臣
風木津別之忍男神(加耶木、カヤキツワケノオシヲノカミ):
 風木が何でカヤキになるのでしょう?guuchanはカヤキというと、日向の榧の大木を思い起こします。

日向の榧の木で作った碁盤は最上とされています。
 しかし、榧は樹脂を多く含み腐りにくい。加工しやすく木造船舶の材質に適する。大きな船を多数保有する天族にとって、
榧は重要な資源であったと思います。全国の山で、造船に適する大きさで、
切り出しやすい(切って河に落とし丸木や筏で、造船所まで運ぶ必要があった。)
高千穂などと言うところは、古代において、こういう材木を切り出して五ヶ瀬川に落とし、
雨が降って水量が増したときに下流に運んだのではないかと思う。
高千穂で、船の埴輪が出たりするのは、その船ようの材木の発注書かも知れない。
海神:大綿津見神(オオワダツミノカミ):
水でも海に関することに責任を持たされた神だ。何をするのだろう? 当時海上輸送が主だ。
その安全を確保するため、海図作成、航路、海賊の防止、避難港の確保、潮流の速度、海路の日和見の知識普及。
いやいや忙しい神様だったにちがいない。
水戸神(ミトノカミ):速秋津日古およびその夫人、速秋津比売
これは港(ミノト→ミナト、)の建設、整備、管理だろう。現在の港もほとんどがこの頃、その基礎が置かれているようだ。
高速道路のサービスエリヤと思えばいい。港内の安全な水路の確保。係留岸壁の整備。
重量物の積み下ろし設備。水、食糧の補給。船の修理。積荷の行く先別積替え。手紙の受け渡し。
この二神は大国の海と河を持ち別けてと神を生んだ(役を作った)とある。

名を沫那芸神(わたナギノカミ)および次沫那美神(わたナミノカミ)。
次いで次頬那藝神(ほほナギノカミ)および頬那美神(頬ナミノカミ)。
 沫那芸神および沫那美神は防波堤を気付いて泡立つ海から守る役目。
次頬那藝神および頬那美神は何だろう?河では、渡し船の発着場などは、地元でやるとして、大型船舶の上流への水路の出来るだけの確保。
渇水期対策。洪水などの荒れたときの安全確保。


「訓高下天云阿麻下效此」の下效をグサと呼んで、新発見と思ったのだが、これはやはり、下倣(シタナラヘ)だろう。
読めたらグサと読みたいところだが、そこまでして読むことは無い。高天原=天草の考えは変わらない。
ただ、これをグサと読んだ為に、ほんとうかどうか、もっと確かめようと、ハッスルして古事記を読むことになった。
負け惜しみだが、怪我の功名だ。
下效をグサと読むのは、どうもクサいと一抹の不安を持っていたが、昔の人が、シタナラへと読んでいたのを知り、降参することにした。

お詫びして訂正します。