庭の花もアップしました。 そちらも見て行ってください。 この下に続きます。 まとめて読みたい方は、上の「もしも、徐福が、、、(カテゴリー)」↑ をクリックしてください。 目次は、ここをクリックしてください。 | |
325 淡路島、四国、隠岐を生む 於是二柱神議云今吾所生之子不良猶宜白天神之 御所即共參上請天神之命爾天神之命以布斗麻邇爾上此五字以音 ト相而詔之因女先言而不良亦還降改言故爾反降更往迴其 天之御柱如先於是伊耶那岐命先言阿那夜志愛袁登賣 袁後妹伊耶那美命言阿那邇夜志愛袁登古袁如此言竟 而御合生子淡道之穗之狹別嶋訓別云和氣下效此次生伊豫之二名嶋此 嶋者身一而有面四毎面有名故伊豫國謂愛上比賣此三字以音下效此讚岐 國謂飯依比古 粟國謂大宜都比賣此四字以音土左國謂建依別次 生隱伎之三子嶋亦名天之忍許呂別許呂二字以音 guuchanの読み下し 是に於いて二柱の神議(ギ)して云う、今、吾が産む所の子は不良、 天の神の御所に宣(ヨロ)しく白(ハク)せん。猶、即ち、参上して天の神の命(ミコト)に請う。 天の神の命はフトマニニ(此の5字音を以って)を以って相(ソウ)を卜(うらな)い、因(オオクニ)のみことのりす。 女先に言いて不良、亦帰り降りて改めて言え。故に反えり降りて更にその天の御柱を先の如く往きめぐりて、 是に、イヤナギの命先ず言う、アナヨシメグサエヲトメヲグサ、妹、イヤナミの命言うアナニヨシメグサエヲコヲグサ。 此(かく)の如く言い終わりて、御合(まぐあい)して生みし子は、淡道之穂之狭別嶋(別の訓はワケグサ)、 次いで生む伊予之二名嶋。此の嶋は身一つにして面四つ有り、面毎に名あり、 故に伊予國言う愛比売(エヒメグサ)(此三字音を以って、此れにグサ)、 讃岐國言う飯依比古(ヒエヒコ)、粟國言う大宜都比賣(オオギトヒメ)(此れの四字音を以って)、 土佐國言う建依別(タケヨリワケ(キ)グサ、guuchan読み)次いで生む隠岐の三子嶋、 亦の名天之忍許呂別(アマノオシコロワケグサ)(許呂二次音を以って)。 guuchanの解説 さきに産んだ国は、よく固まらず子の内に入れられなかったので 、天の神の御所(もう御所と言う字が使われていたのですね。)に宜ろしく白(の)べようと議した。 参上して天の神の命(みこと)に請う。 フトマニニって何でしょう?占いの道具でしょうか?相を占い、因のみことのりす。 原因の因ですから原因をみことのりした。でもすっと通るように思います。 しかし、因をオオクニと読んできました。ここだけ原因の意味で使うだろうかと言う疑問が残ります。 それで、オオクニと読んでもおかしくないと示します。 つまり、天の神々のみことのりは、国会の決定と同じでオオクニのみことのりだということです。 アナヨシメグサエヲトメヲグサ アナニヨシメグサエヲコヲグサ。 これは323話でのべました。 最初の子が、淡道之穂之狭別嶋(アワジノホノサワケグサシマ)。われわれは淡路島という観念が先にある。 しかし、そうではない。アワジシマにはまだ名前が無かったと考えよう。 阿波地方の方が先に名があった。阿波は鳴門の渦塩から来た中国流の表現かもしれない。 淡道も今の淡路もどちらも道の意味がある。 これはアワ(阿波、粟)の国への通り道を意味している。 穂は秀(ほ)と同じで先を意味する。 「別」は、 区別などと区分けした国の地方自治体の呼び方でその行政府のある場所が別府ではなかったか? 次いで生む。伊予の二名島(フタナシマ)。倭人の呼び方と天人の呼び方と有ったから二名島だろうか? そう言えば、全部亦の名がある。 山で区切られて、平らな面が4っある。 面ごとに名があって、伊予國、亦(マタ)の名はエヒメ(愛比売)グサ。文字はあとから当てたものでエヒメグサという音が先であろう。 そして当てた漢字の意味を持っていると思われる。 讃岐國(サヌキノクニ)、亦の名はヒエヒコ(飯依比古)。 粟国(アワノクニ)、亦の名はオオギトヒメ(大宜都比賣)。 土佐國(トサノクニ)、亦の名はタケヨリワケ(キ)グサ(建依別) 次いで生む隠岐(オキ)の三子嶋(ミツコシマ)、亦の名は天之忍許呂別(アマノオシコロワケグサ)。 隠岐は地図で見ると前島と後島の二つに見えたが、よく見ると、三つ、四つ、あるいは五つに分かれて居るようだ。 オシコロというのは、あちこちに出てくるようだ。どういう意味だろう? 忍び許すと言う意味は、罪人を処刑するのでなく、島流しにして活かし置くということではないだろうか? 押し込めるという倭語と通じているようでもある。 呂には長いという意味がある。 終身遠島を申し渡されたものが行くところ? そして、前島に別府と言う港がる。 隠岐島の役所が会ったところに違いない。 別府は各地にある。これらは、もっとも古い時代の役所があった町の名残と思って間違いなかろう。 まさに、名の残りである。 全国の別府と言う町、手を上げて見てください。 今日はここまでにいたしとうござりまする。 |
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何処が最初に出来たのでしょう・・?。
謎解きですね。
先ず淡路島を生んだと言うのにそれより先に阿波地方があってはおかしいと?
かのこさんが、HANAHANAHAHAのブログを生んだと言っても少しもおかしくないですね。
生みの親と言う言葉も使います。
単に作るよりももっと愛情のもこもったものを作り出したときに、使われるとピッタリしますね。
国を生むということは、白地図の上に、色分けして、この範囲を淡道の秀の狭別嶋とする。と決めていくことです。
全国、をそれぞれ、明確に別けて、そこを管理していく知事(神、国守)を決めていく。
これが国生みです。
出来た順番はあまり重要ではないと思います。
画をどこから書いていくかと言うことです。
もっとも、縁起を担ぎたがる人はその順番を大変気にしたがるものです。
それに、そういう風に別けた不満を抑えるためにも、縁起の良いことを言って喜ばせたでしょう。
国生みとはそういうものだと思います。
天の神が イザナギ♂とイサナミ♀の神様を 下界に
使わされ 油の様などろどろ 海の上に 本州 九州
四国を 作られ(お生みになり)まだ良く乾かぬ土地を
今から 国作り...に!!!
その前に guuchanさん...水の神 火の神
風の神 山の神を お産みになりませんでとたか....
薄らぼんやりと 記憶が有ります.
いゃイャ ややこしいです....
又 遊びに 来ます.
そぅソゥ つぎの バラの写真見て にっこり出した
それでは
徐福の頃には、変な陰陽道などなかったでしょう。
もっと科学的でした。
古事記も、きちんと史実が書かれて居たはずです。
史記のようにですね。
しかし、書かれているのは木簡、竹間ですから、長く経つ内に、黒ずんで見えなくなったり、水害に遭ったり火災に遭ったりして、失われたり、誤写したりが起こるはずです。
印刷技術は有りませんから筆写しなければなりません。
天の国の子孫たちは各地に国を定められて散っていっていますから、大本は天の国のを写すでしょう。
その後は自分の国の出来事を書いていきます。
日本書紀が編集される時、歴史をわけも分からぬ変な神話的解釈で編纂されつつあるのを見て、此れは飛んでも無いことだと、天武天皇が心配されて、出来るだけ原典を残すようにされたものだと思います。
徐福の来日以来、900年ぐらい経っていますから、それを、途中で筆者が何回くらい行われたでしょう?
人間が嶋、火、海などの天然現象を生める筈が無いでしょう。
海のことはお気楽さんが責任者ですと決めることが、海の神を生んだと言うことです。
海の神には別に個人の名前はあったでしょうよ。
続けて読んでください。
従来の解釈が如何に迷信化してしまっているかが分かってくると思います。
島原から近い天草とはとても面白いですね。クマはクメールからきた南方人だ久留米や熊野等は同じ人種の土地だとか、赤田黒田は、海女族の住んだところだとか、隼人は・・・とかの話などもありましたね。
徐福物語本日一挙に拝読させていただきました。
古事記についても驚くことばかりです。
稗田から出た「かさ」のレプリカについては、安岡にお住まいの先生から伺いました。戦争後石炭を掘ろうとして見つかったって言ってたような・・
考古博物館のある場所が開発で壊されようとしたとき
川中中学校教員で生徒達と共に阻止した方です。
現在もお元気ですよ。
一挙に読むのは大変でしたでしょう。
書く方はもっと大変かもしれませんが。(笑い)
宮崎康平さんですね。
島原説ということは知っていますが、実は本を読んだことはありません。
熊曾も倭人種だと思います。
熊曾にとっては、自国領土の天草に進駐してきて、大きな船で海を我が物顔にされたのでは、必死で反撃したく成るのは当然でしょうね。
安岡にお住まいのなんと言う方でしょう?
メールででも教えていただければ有りがたいです。
邪馬台国すなわちヤマトコク、天草、どこかに論理の齟齬があるでしょうか?
ほとんど無理なく進めて来たように思います。
また、続けて呼んでください。