住めば公園風田舎町

「住めば都」と言われるがわたしゃ田舎の方がいい。町全体が公園のようなそんな田舎町に住みたい。

521  「もしも、徐福が日本に来ていたら」 (106)

2007-11-22 11:45:46 | もしも、徐福が日本に来ていたら
 

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520-1 帯方郡(2)



ウィキペディアには



帯方郡(たいほうぐん)とは、204~313年の109年間、古代中国によって朝鮮半島の中西部に置かれた軍事・政治・経済の地方拠点。



とあった。


それに相違ないが、204年は、楽浪郡を支配していた公孫氏の2代目公孫康が楽浪郡の南半分を分割して帯方郡を作った年である。

従がって、中国(魏)の支配は、それ以前から同様に続いていた。

中国の支配といっても、どの程度影響力を持っていたかは興味あるところだ。

人事、制度、軍事、租税、経済などに関してである。



楽浪郡、帯方郡は漢ついで魏の皇帝の支配を受けたというよりも、楽浪郡や帯方郡の太守の公孫氏の国のようなもので、皇帝は其れを追認する形であったと思われる。


228年に公孫康の子の公孫淵が、帯方郡太守になって後は、魏に従がわず独立したため、238年に滅ぼされてしまった。

そして、楽浪郡、帯方郡は、魏の郡制の中に組みれられた帯方郡となった。


卑弥呼は景初2年(238)に使いを帯方郡に遣わして、皇帝への朝貢を申し入れている。

公孫氏が滅んだ年である。

恐らくは中央から派遣された新任の帯方太守の就任式に列席していて、その機会に朝貢を申し入れたのではないだろうか。



漢の時には百余国が使訳が通じていたと書かれていることから推測すると、漢末に公孫氏が楽浪太守になって以来、魏の時代には中国本土の方には通じていなかったと思われる。

それは、形の上では帯方郡も楽浪郡も魏の郡ではあったが、遠隔であり独立しようとしていたくらいだから、わざわざ、倭の朝貢を取り次ぐようなことはしなかったからであろう。

自国すなわち帯方郡、楽浪郡(公孫国)との交易に留めていたと考えられる。

邪馬壹國は公孫氏が滅び、使節が直接皇帝に目通りできるようになったことを喜んだに違いない。

一方、大陸に対する恐れと警戒でもあったであろう。

悪い方に転べば、楽浪郡、帯方郡の太守の公孫氏をさへ滅ぼしたのであるから、次は倭まで伸びてくるかもしれないと警戒するのは当然である。



帯方郡が、名実共に魏の郡制になった機を捉えて皇帝への朝貢を申し入れていることは、外交的に極めて優れた感覚であり、大陸の動向に極めて鋭敏な感覚を持っていたことを証明している。

倭国内には、色々な国があったであろうが其れを束ねていた邪馬壹國は、外を睨んで、確りとその役割を果たしていたと考えられる。


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6 コメント

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お気楽さんーこんにちは (guuchan)
2007-11-23 19:52:58
 中国鉄道大紀行、面白いですね。
 見ててますよ~。
 帯方郡まで中国領土、中華主義ですね~。
 
 朝鮮民族が戦ってくれるから、日本の独立は保たれたという面もまりますね。
 だから、日本は朝鮮半島に出兵しても、百済などを支援しなければならなかったのですね。

 みんな、仲良く暮らしたいものです。
 戦争は怒り、憎しみから生まれ悲惨で、悲しい結末を迎えます。
 
 
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guuchanさん......こんにちは. (お気楽で--す.)
2007-11-23 17:44:34
イャイャ たいほうぐん...古代中国の一部 土地...
 中国の 土地の広さに いまさらなガラ 驚いてます
 
 TVで 放映中の 中国鉄道大紀行に 嵌まってす
 見れば..見るほど 不可思議で--す....
 そして guuchanさんも 嵌まり具合お見事
 で--す.頑張ってください.
又 遊びに 来ます.
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かのこさん~こんにちは (guuchan)
2007-11-23 11:07:12
 陸続きの緊張感は、日本人には想像つかないかもしれません。
 よくソウルの人たちはどういう風に考えているだろうかと思います。

 世界史は侵略の歴史。
 確かにそうですね。
 しかし、それは世界史がそういうものを書き記す書だからですよ。

 地図が国境や県境を明らかに記そうとするように、時代の中の境目を記そうとするから、戦争中心の記述になるのだと思います。
 戦争と戦争の間には、平和な期間もあったと思われますが、絶えず互いに脅威を感じていたでしょうね。
 だから、礼法などが中国で発達したのではないかなどと、guuchanは考えています。
 
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陸続き (かのこ)
2007-11-23 10:11:23
guuchanさん今日は。
難しい事は理解出来ないですが
陸続きと言う事は
今も昔もその脅威に曝されているでしょうね。
世界史は侵略の歴史みたいにも思えます。

科学が進み海を隔てていても
その脅威はどんどん身近になっていってようですが・・。
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るなさんーこんにちは (guuchan)
2007-11-22 20:14:23
 卑弥呼たちの先祖である、徐福集団は大陸から来ています。彼ら自身は、大陸がそれほど遠くないということを知っています。
 中国本土から、帯方郡に来るのとそう変わらないのです。

 大陸から何時討手がかかるか、徐福以来常に動向を伺っていたと思います。

 アメリカの独立戦争と通じるところがあります。

 討手がかかったとき、此れとどう戦うか常に頭にあったでしょう。
 海を越え来なければならないので、本国の軍勢には数に限りがありますから、戦いようはあったと思います。

 しかし、出来れば戦争せずに、友好国として認められていけたら良いと考えていたと思います。
 
 大王、或いは天皇は、そのことが常に頭に在りますが、豪族達は国内の権力闘争にしか関心がありません。
 統一国家を作って、対中国、対朝鮮半島の権益を守るのに、いろいろと悩まれただろうと思います。 
 

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統治者 (るな)
2007-11-22 18:58:41
今、誰かさんたちがアメリカばかりを気にしていますが、
倭の国も、大陸の威力を計っていたのですね。
なるほどと思いました。
昔の人のほうが、その辺り、ものを見る目があったのかも。
元寇の時代ばかりでなく、古くから大陸の威力は統治者にとって
たいへんなものであったということが理解できつつあります。
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