716 出エジプト 先を急ぎすぎて、ソロモン王の時代に行ってしまったが、その前にモーセに率いられたイスラエル人の出エジプト(エクソダス)に触れておかねばならない。 出エジプトは、ラムセス2世のときと言われている。 一部に、ラムセス2世の次のファラオのメルエンブタハのときという説もあるらしい。 ラムセス2世(在位BC1290~1224)は非常に強い王で、24才で即位して、4年後にはヒッタイトとの戦いを始めている。 戦争は18年続き、その間カデシュの戦があった。カデシュはシリアのダマスカスより少し北にある。1274年ヒッタイトが支配しているカデシュを取り戻そうとエジプトは戦争をしたが、実際には引き分けて、1269年頃講和を結んだ。 世界初の講和条約とされる。 カデシュはヒッタイトの領土のままで、エジプトはヒッタイトの前王の王女(当時の王の妹)を王妃に迎えている。 講和を結んだのは、両国が戦っている間にアッシリアが勢力を伸ばし、両国の領土を脅かすようになったためである。 国際結婚が、すでに始まっていることが知れる。 ちなみに、トロイのパリス王子がスパルタ王メネラーオスの妃ヘレンを奪ってトロイに連れ帰ったために起こったトロイ戦争は、BC1250年頃とされている。 丁度、カデシュの闘いと同じ頃になる。 ラムセス2世は90歳まで生きている。その間、パレスチナやシリアもカデシュの手前までエジプトの勢力下であった。 イスラエルの民は、エジプトから脱出したが、彼等は逃げてきたのではない。 神の力によってモーセが多くの奇跡を起こして王と戦って、脱出を認めさせて出てきている。 エジプト人から、早く出て行ってくれと財宝を貰って出てきている。 イスラエル人はこの後、エジプト、ヒッタイト、アッシリア、ペリシテ(パレスチナ)などと戦うことになる。 ヒッタイトは聖書の中ではヘト人と書かれている。 トロイを攻めた時のギリシャ軍は総勢10万、1168隻の大艦隊であった。 船の大きさは約100人乗りと分かる。 カデシュノ戦では、エジプト軍は歩兵20000人のエジプト軍のほかに、異民族からなる傭兵と親衛隊であった。 傭兵は船で行かせている。 親衛隊は1000両の戦車隊である。 此れに対しヒッタイト軍は歩兵37000、戦車3500両である。 エジプト軍の遠征距離は焼く800kmである。 |
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モ-ゼとトロイでした...ョ
後は ちんぷん..かんぷん...でした..
****ハッ..ハッ..ハ...
でも ちょっとだれ 知識が広がりました...
又 遊びに 来ます.
素晴らしい叙事詩や、記録が残っています。
日本では、4~5世紀のことも伝説であって事実ではないと言われています。
この違いは何なのかと考えています。
どこでどのような知識を得て執筆されているのかはわかりませんがその努力には驚かされています。
ほたると遊ぶわが身もこんな勉強をしてみたいです。
しかし最近色恋に目覚めていますから無理でしょう(笑い)