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古代を訪ねる旅(10) 2時間に及ぶ見学だからまだまだ有るが、 魚網、製塩、についてのみ取り上げよう。 | |
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570-1 錘石 このような石も多数出土した。 | |
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570-2 錘石説明 | |
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570-3 魚網 魚網は現代のもの、しかし古代にも使われていたと思われる。 ヴォランティアさんによれば現在も石器時代は続いている。 石の錘は錆びないし現在も一部では使われている。 | |
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570-4 不思議な土器片 一体この土器は何なのか? | |
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570-5 製塩土器 製塩土器と思われる。 | |
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570-6 製塩土器の使用方法 弥生人はもっと能率の良い使い方をしていただろうとguuchanは思う。 | |
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570-7 製塩の説明 天草は塩の一大生産地だったようだ。 拡大できます。 | |
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570-8 製塩の遺跡 土器製塩の歴史。 古墳時代ということで、guuchanはいささか不満だ。 弥生時代は塩はどうしていたのだろう。 イザナギ、イザナミは塩田に国の地図を描いたと書いたのだが、、、。 拡大できます。 | |
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570-9 塩の生産地 地名に釜がつくのは昔製塩を行っていたところではないかと思うとヴォラティアさんは語る。 | |
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570-10 沖の原古墳の時代 沖の原古墳の出土物の年代鑑定興味がある。 客観的な年代測定の方法は無いものか。 出土物の相対的年代推定は危ういところもある。 | |
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570-11 ヴォランティアさんと 10時から12時まで、天皇皇后に説明するみたいに熱心に説明していただいた。 天草のイメージが一層確かなものとなった。 ヴォランティアさん、ありがとうございました。 |
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ホテル...南風荘のホテルしか 思いつきません..
そして 今回の お話し 塩の作り方...海での
ふわびの 採取方...
古代の昔も 現代も 塩つくりと 云う事はちゃんと
受け継がれて そうなんだと 再認識しましたよ..
楽しく 画面観光 致しました....
又 遊びに 来ます.
むか~し、ゴルフを始めた頃に島原でゴルフをした記憶がありますが、そのときはどこかに泊まったのかな~?
記憶がありません。
製塩、面白いですね、物々交換の重要な産品だったのでしょうね。
塩作りは随分古代から始まっているのですね。
塩を作る小さな土器は面白いです。
最初は少しの生産から。
そう言えば最近子供達に同じような体験学習しているTVを見ました。
割れ土器の破片は塩作りの土器の破片では・・。
そのぐらい壊れやすいものだったにではと思うのですが・・・?。
釜に字がつく所は塩作りの名残り・・・。成る程。
赤穂の塩の博物館を見学しましたが・・
塩作りはその後も大変だったようですね。
割れ土器は、塩つくりの土器の足を外したものなのです。
説明板に書いてありました。
ヴォランティアさんは足は取って棄てた、それがこんなに溜まったのだと仰いました。
guuchanは足は再利用しただろうと思いました。
皿を作ってそれに足を再利用してくっつける。
まあ、ろくろで作るとき、どちらが楽かでしょうね。
塩はお金の代わりの役をしたと聞きますし、長いこと統制販売でした。
塩の売買に税金を課していたのですね。
弥生時代と今とどれ位変わっているでしょう。
ひょいと手を伸ばせば弥生時代に届きそうな気がしまうす。
塩が出来ればアシを折って、そのまま器にしたんですね。
な~るほど。
藻塩、藻の成分までしみ出て、さぞかしおいしい塩だったでしょうね。
製塩の器が地方によって違うのもおもしろかったです。
地名と塩との関係も興味深かったです。
「塩釜」が真っ先に浮かびました。
たくさん古代のお友だちをつくられた旅ですね。
お話してくださった方も、guuchanさん相手なら
さぞかし楽しかったのではないだろうかと思います。
古代人が見たら笑うような気がしてしようがありません。
「そうやって、お前達塩を作ってみろ」と言われそうです。
柴を燃やそうとして、直ぐに器をひっくりかえすのではにでしょうか?
guuchanは、塩をたっぷり含んだ藻を燃やす時、その余熱を利用するために煙道に並べたのではないかと思うのです。
しかも何層にも重ねて並べたかもしれません。
余熱を利用したと思います。
図のような方法では不安定だし、熱効率が悪いです。guuchanの祖先ならもっと合理的だったと思います。
たしかに、何処の博物館も来客が少なく、われわれは飛んで灯に入る夏の虫だったかもしれません。
でも、感謝しています。