住めば公園風田舎町

「住めば都」と言われるがわたしゃ田舎の方がいい。町全体が公園のようなそんな田舎町に住みたい。

485 もしも徐福が日本に来ていなかったら」 (91)

2007-10-16 21:30:23 | もしも、徐福が日本に来ていたら
 

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485-1 日本人の特性 (1)

 日本人の特性って何だろう?
日本人は、自国が独特であるということを非常に気にしているように見える。
1.島国である。
 島国であり、ほとんど攻められたことが無い。これは第2次世界大戦で、神話は破られたが、元寇の役でも、神風が吹いて日本は中国に支配されることは無かった。
それが、自惚れと自信過剰になってしまった。
外国人から見たら、可笑しいほど独自な優れた民族だという自負を持っているようだ。
2.日本には四季がある。
 わたしたちが小学校の時に習った授業では、日本には四季があるが、外国には無いといわんばかりであった。
春には桜。秋には紅葉。
紅葉の美しさは、日本独特で、外国には無いかのごとく、自慢すべきことだと教えられた。
3.富士山は世界一美しい山で、こんな姿の山は世界中何処にも無いと教えられた。
4.俳句。お茶。生け花。日本庭園。日本料理。着物。畳。風呂。日本刀。柔道。剣道。忍術。浮世絵。
5.清潔好き。
6.お辞儀。礼儀正しい。
7.勇敢。切腹。
8.文盲率の低さ。
9.手先が器用。
10.天皇制

これらは戦前に言われていたものであった。
現在はこれらに加え、

11.汽車が時間通り来る。
12.トヨタ看板方式
13.品質管理
14.トランジスター・ラジオ。カメラ。
15.液晶。ブルー・ダイオード。
16.長寿国。
などなど。

たしかに、誇るべき点は数々ある。その上、謙虚であれば申し分ない。
しかし、日本贔屓で、過度に自慢すると、井戸の中の蛙で軽蔑される。

これらの優れた特質は、徐福集団のもたらした恩恵が大きいだろう。
しかし、それを受け継いでいるのは、天皇家だけではない。
その血は、否応無く、われわれの血の中にも、濃い、薄いの差があるかどうかは知らないが流れている筈である。
 何も、徐福集団の血のみが優れていたのではないだろう。
縄文人といわれる先住民もまた、日本語という優れた言語を持ち、感性豊かで、誠実で、素朴で、暖かい気質は、多くその中に流れていたのかもしれない。


484 悼む

2007-10-16 11:51:27 | 教会の花
483-1 教会の花

 10月14日(日)安岡教会ではこの日は敬老お祝い会の日である。お花も少し売り花を加えて充実させてある。



483-2 名残惜しい

 秋の花は、ぐずぐずしていると、すぐ霜が降りて枯れてしまう。
その運命を知っているせいか、一生懸命に咲いている姿が、哀れに思え労わりたくなる。

483-3 前夜式

 毎年10月の第一日曜日に敬老お祝い会を開くことになっていたが、今年は第一日曜日に、ハンドベルの特別礼拝を持った。
そのために敬老お祝い会を1週間遅らせ10月14日に開いた。
 昨年、お祝い会に出席された94歳のおばあちゃんが居た。
帰られるのを車まで、見送り、来年の出席を約束して分かれた。
今年はおばあちゃんの体調が悪く、出席できないと言われ、諦めていた。

しかし、おばあちゃんは、その日に約束どおり帰ってこられた。
前夜、亡くなられ、この夜、安岡教会で、前夜式(通夜に相当)が行われ、翌日告別式が行われた。

95歳でなくなられたおばあちゃん。最後は娘さんのご家族と一緒に北九州に住んでおられたが、しばらく前まで下関に住んでおられ、安岡教会に出席しておられた。安岡教会で葬儀式をしてもらうのが望みだった。
「死んでも1年前の約束を守り、敬老お祝い会の日に帰ってこられたおばあちゃん、伝説となって長く伝えられていくことでしょう。」と、弔辞の中でたguuchanは述べた。
葬儀式関係で、多くの時間を取られたが、それは何かがして上げられるという喜びだった。

484-4 思い出

 葬儀式の会場に、お花と一緒に故人が孫のために縫ったベビー布団と人形が飾られていた。
6人の子供、15人の孫、11人のひ孫に恵まれ、みんなを愛し、みんなから愛された方だった。 
95才という長い生涯の間には、戦中戦後があり、台湾から引き上げて来られて、多くの苦労があったはずだが、晩年はお幸せだったに違いない。