住めば公園風田舎町

「住めば都」と言われるがわたしゃ田舎の方がいい。町全体が公園のようなそんな田舎町に住みたい。

495 「もしも、徐福が日本に来ていなかったら」 (97)

2007-10-27 12:10:07 | もしも、徐福が日本に来ていたら
 

まとめて読みたい方は、上の「もしも、徐福が、、、(カテゴリー)」↑
をクリックしてください。

目次は、ここをクリックしてください。 

495-1 日本人の特性 (7)

 如石投水(石を水に投げるが如し)

五曰

絶餮棄欲 明辨訴訟
 
五に曰く

餮(むさぼる)を絶ち欲を棄て、訴訟(うったえ)を明らけく弁(わきまえ)よ

其百姓之訟 一日千事
其れ百姓の訴は、一日に千事(せんじ)あり。

一日尚爾 況乎累歳
一日にして尚爾(かくのごとし)。況(いわ)んや歳を累(かさね)るにおいてをや。

頃治訟者得利爲常見賄聽理 
頃(このごろ)訟を治むべき者、
利を得るを常と為し、賄(まひなひ)を見て理(ことわり)を聴(き)く。

便有財之訟如石投水

便(すなは)ち財有るものの訟は、石を水に投(な)ぐるが如く、

乏者之訟似水投石 

貧(まず)しき者の訴は、水を石に投(な)ぐるに似たり。

是以貧民 則不知所由 

是を以て貧しき民は、則ち由所(よりどころ)を知らず。

臣道亦於焉闕

臣(しん)の道(みち)亦た焉(ここ)に於て闕(やぶ)る。


 防衛省守屋次官の業者とのゴルフ付け、厚生労働省の年金問題、厚生労働省のC型肝炎の薬害問題などを聞くと、本当に嘆かわしい思いだ。
今までに、何度「今後二度とこのようなことの無いように致します。」などという弁明を聞いてきたことだろう。

そこで、思い出すのが聖徳太子の17条の憲法だ。

五に曰く

強欲な者を根絶して欲を棄て、訴えを明らけく処理せよ。
民衆の訴えは一日に千件ある。
一日でこれであれば、毎年どれほどになるか。
この頃は、訴えを治めるべき者が、賄賂を見て話を聴いている。
すなわち、財有るものの訴えは石を水に投ずるが如く、(全て沈む、聴かれる)
貧しきものの訴えは水を石に投げる如し(少しも吸い込まれない、聴かれない)
これをもって貧しき民は、誰に頼るのか、何に頼るのか、由るところが分からない
家臣の道ここに破る

全く、17条の憲法は、政治家や官僚をいましめるために書かれている。
国会や役所に掲げて常に自戒させるべきである。

絶餮、
餮(てつ)は餐(さん)とよく混同されているが字が違う。
餐は晩餐、午餐などというように食事のことである。
餮(てつ)は中国語のインターネットで調べると、英語のgreedy person(強欲な人)とあった。
「欲張り」と言う日本語が「欲張ること」という意味よりも「欲張る人」を意味するように
餮には「強欲者」と言う意味が強いようだ。
欲張り者を辞めさせて、官僚に餮がいなくなるようにするという強い意思があるように思われる。
官僚は、自分たちは法律の施行者であり、被施行者では無いという意識があるようだ。
官僚のこの特権意識を払拭し、民間人と同じく、背任横領の責任を問い、賠償責任を負わせる事が絶対必要だ。