住めば公園風田舎町

「住めば都」と言われるがわたしゃ田舎の方がいい。町全体が公園のようなそんな田舎町に住みたい。

492 「もしも、徐福が日本に来ていなかったら」 (96)

2007-10-23 16:53:45 | もしも、徐福が日本に来ていたら
 

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492-1 日本人の特性 (6)

 温故知新
一般には「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る」と読まれているようだ。
 「故きを温(あたた)めて新しきを知る」と読むべきだと言う人もいるらしい。

guuchanだけでなく世間はこの言葉を、少し消極的に捕らえすぎているような気がする。
始皇帝は焚書坑儒をしたくらいだから、温故知新など軽蔑したかもしれない。

古い時代の政治にばかり目を向けて、それに見習おうとするように解釈すると、進歩の妨げになると思われるのも当然である。
日本も、明治になるまで、漢学が中心である。
漢学と言えば、まず論語。孔子の教えである。
学問の頂点は、孔子であり、2500年前に頂点が極められていることになる。
何千年前であれ、真理なら古くなることはない。永遠に新しい。
それはそれで良いのだが、温故知新にはもっと別の意味があるように思う。

自然科学なら、実験と言うものを行うことが出来る。
試作してテストして駄目なら改良すればよい。

しかし、政治の世界はそうは行かない。政治にしろ、戦争にしろやり直すことが出来ない。
安全を期するためにはどうすればよいか?
小規模な実験区域を作ってテストすることは可能だろうが、いつも出来るとは限らない。

そこで、温故知新だ。
過去に類似の例がないか?と言うことになる。
成功した例に限らない。失敗した例でも良い。
過去の類似の例を集めて分析する。実験と同じである。
古い例、他国の例などを集めて、データを整理しておいて、いざと言う時に活用する。
故を温(あたた)めて、新しきを知る。

病気でもそうだ。いろんな病人、症例を大事にして、これらを集め分析すれば、沢山の実験をしたことになる。
理想的な条件の実験と言うわけには行かないが、その代わりデータの数は集まるだろう。
孔子はこのことを言っていたのではないだろうか。
「データを大事にせよ」と。

 漢方薬の発達はこういう経験、データの積み重ねが根底にあろう。
 徐福は方士である。博学である。
 全国から、植物や、鉱物や、色々なものを、集めて研究したであろう。

 天照大神が、ニニギノ尊に与えた、「斎庭(ゆにわ)の穂(稲のこと)」の斎庭は、徐福らが身近に開いた植物研究所のことではないだろうか?

 正倉院なども、伝統を受け継いできた博物館で、単なる宝蔵庫ではない。
 焼けないで、全部の倉庫が残っていたら、と思うと残念だ。

 もしも、徐福が日本に来ていなかったら、正倉院も無かったかもしれない。


491 アサギマダラ、ホシホウジャク、キンモクセイ

2007-10-23 08:00:27 | 風景
491-1 アサギマダラ

 フジバカマによく来る。
この花畑のフジバカマによく来ると言う話を聞いたので、もう一箇所数百メートル離れた場所のフジバカマの一叢を見に行った。
そこでも、2匹が来ていた。


491-2 横顔

 アサギマダラの横顔を一枚。

491-3 アサギマダラ

 残念ながら、番号は入っていませんね。

491-4 アサギマダラ

 うんと接写で。

491-5 ホシホウジャク

 
翅が透明ではない。スズメガの一種、ホシホウジャクだろう。

491-6 キンモクセイ

 いい香り遠くまで放っています。

491-7 キンモクセイ

 細かい花の一つ一つにもシベはあるようです。
芳香を放つ腺はどれなのだろう?

491-8 キンモクセイ

“樹をゆすり黄金の雨よと身に浴びし少年いづこ金木犀咲く”

 この歌は、今は亡き母が詠んだものだ。
ここに登場する少年はguuchanのこと。
キンモクセイが咲くと、黄金の雨に歓声を上げた懐かしい日がよみがえる。

 一枝貰って玄関に差してある。いい匂いが広がっている。