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492-1 日本人の特性 (6) 温故知新 一般には「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る」と読まれているようだ。 「故きを温(あたた)めて新しきを知る」と読むべきだと言う人もいるらしい。 guuchanだけでなく世間はこの言葉を、少し消極的に捕らえすぎているような気がする。 始皇帝は焚書坑儒をしたくらいだから、温故知新など軽蔑したかもしれない。 古い時代の政治にばかり目を向けて、それに見習おうとするように解釈すると、進歩の妨げになると思われるのも当然である。 日本も、明治になるまで、漢学が中心である。 漢学と言えば、まず論語。孔子の教えである。 学問の頂点は、孔子であり、2500年前に頂点が極められていることになる。 何千年前であれ、真理なら古くなることはない。永遠に新しい。 それはそれで良いのだが、温故知新にはもっと別の意味があるように思う。 自然科学なら、実験と言うものを行うことが出来る。 試作してテストして駄目なら改良すればよい。 しかし、政治の世界はそうは行かない。政治にしろ、戦争にしろやり直すことが出来ない。 安全を期するためにはどうすればよいか? 小規模な実験区域を作ってテストすることは可能だろうが、いつも出来るとは限らない。 そこで、温故知新だ。 過去に類似の例がないか?と言うことになる。 成功した例に限らない。失敗した例でも良い。 過去の類似の例を集めて分析する。実験と同じである。 古い例、他国の例などを集めて、データを整理しておいて、いざと言う時に活用する。 故を温(あたた)めて、新しきを知る。 病気でもそうだ。いろんな病人、症例を大事にして、これらを集め分析すれば、沢山の実験をしたことになる。 理想的な条件の実験と言うわけには行かないが、その代わりデータの数は集まるだろう。 孔子はこのことを言っていたのではないだろうか。 「データを大事にせよ」と。 漢方薬の発達はこういう経験、データの積み重ねが根底にあろう。 徐福は方士である。博学である。 全国から、植物や、鉱物や、色々なものを、集めて研究したであろう。 天照大神が、ニニギノ尊に与えた、「斎庭(ゆにわ)の穂(稲のこと)」の斎庭は、徐福らが身近に開いた植物研究所のことではないだろうか? 正倉院なども、伝統を受け継いできた博物館で、単なる宝蔵庫ではない。 焼けないで、全部の倉庫が残っていたら、と思うと残念だ。 もしも、徐福が日本に来ていなかったら、正倉院も無かったかもしれない。 |
491-1 アサギマダラ フジバカマによく来る。 この花畑のフジバカマによく来ると言う話を聞いたので、もう一箇所数百メートル離れた場所のフジバカマの一叢を見に行った。 そこでも、2匹が来ていた。 | |
491-2 横顔 アサギマダラの横顔を一枚。 | |
491-3 アサギマダラ 残念ながら、番号は入っていませんね。 | |
491-4 アサギマダラ うんと接写で。 | |
491-5 ホシホウジャク 翅が透明ではない。スズメガの一種、ホシホウジャクだろう。 | |
491-6 キンモクセイ いい香り遠くまで放っています。 | |
491-7 キンモクセイ 細かい花の一つ一つにもシベはあるようです。 芳香を放つ腺はどれなのだろう? | |
491-8 キンモクセイ “樹をゆすり黄金の雨よと身に浴びし少年いづこ金木犀咲く” この歌は、今は亡き母が詠んだものだ。 ここに登場する少年はguuchanのこと。 キンモクセイが咲くと、黄金の雨に歓声を上げた懐かしい日がよみがえる。 一枝貰って玄関に差してある。いい匂いが広がっている。 |