住めば公園風田舎町

「住めば都」と言われるがわたしゃ田舎の方がいい。町全体が公園のようなそんな田舎町に住みたい。

375 「もしも、徐福が日本に来ていたら」 (58)

2007-06-05 22:19:59 | もしも、徐福が日本に来ていたら
教会の花
教会の花

 6月に入って、衣替え、そして梅雨。
冷房装置を動かしましたが、冷えてないようです。よく見たら、暖房になっていました。

教会の花
ガクアジサイ アジサイ科アジサイ属

 中心部に両性花、周辺部に中性花を咲かせる?中性花は装飾花とも呼ばれる?
中性花って何だろう? そう言えば周辺の花にはシベがないようだ。

ガクアジサイも好いですね。
今朝は久しぶりに雨が降りました。梅雨にアジサイはよく似合います。


さて、徐福さんの話を続けましょう。


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375 火遠理命(3)


前回、ホオリノミコトがその首にひも付きの小刀をかけてやった一尋和邇(ヒトヒロワニ)は、今に謂う佐比持(さひもち)のである。
とあったが、何のことか分からなかった。
左比とは刀とか農具の鋤の刃などのことらしい。
そして左比持とはシュモクザメらしいと分かった。
シュモクザメはそういえば、頭の上に刀を載せているように見える。ナルホド。



ホオリノミコトは海ののえた通りに其の鉤を返した。 
そうして、この後、ホデリノミコトハ、貧しくなって更に荒き心を起こして迫(せ)め來た。 
將に攻めんとする時に、鹽盈珠(シオミツダマ)を出だして溺れさせた。 
助けてくれと頼むので、鹽乾珠(シオヒルタマ)を出だして救った。
このように惚(なや)み苦しめたのでホデリノミコトハ謝って、「僕(やつがれ)は今より以後(のち)は汝命の晝夜(ひるよる)の守護人(まもりびと)と爲(し)て仕え奉らん」と言った。 
それで、今に至るまで其の溺れた時の色々なことが覚えられて、仕え奉っている。

 ここに海のの娘、豐玉毘賣の命(トヨタマヒメのミコト)、ホオリノミコトのところに来て、「わたしはすでに妊身(はら)みぬ。 
産もうと思いましたが、天つの御子を海原に生むべきではないと思い、参りました。」と言いました。 
こうして海邊の波限(なぎさ)に鵜の羽(はね)を葺草(かや)と爲(し)て産殿(うぶや)を造りました。 
其の産殿(うぶや)の未だ葺(ふ)き合えぬに御腹(みはら)の急(にわ)かなるに忍(た)えず、産殿(うぶや)に入られました。 
まさに産まんとする時に、「他(あた)し國の人は産む時に臨みて本(もと)の國の形で産生(う)むそうです。 
わたしも本の身の形で産もうと思います。わたしを見ないでください。」日子に言いました。 
しかし、あやしいと思って日子はひそかに様子を伺えば、八尋和邇(やひろわに)と化りて匍匐(はらば)い委蛇(もごよ)いていました。 
見驚き畏(かしこ)みて遁(に)げてしまいました。 
こうして豐玉毘賣の命、見られた事を知りて恥かしと思って、御子を生み置いて、「妾は常に海の道を通って往來(かよ)おうと思っていたのに、 私の姿を見られたのがいとはずかしい」と言って、即ち海坂(うなさか)を塞(ふさ)いて帰ってしまいました。 
そこで其の産める御子を名づけて、天津日高日子波限建鵜葺草不合(あまつひたかひこなぎさたけうがやふきあえず)の命という。

 然しながら、見られたのをを恨みながらも戀(こ)うる心に忍(た)えずして、其の御子を治養(ひた)す縁(よし)に因りて、其の弟(おと)の玉依毘賣(たまよりびめ)に附(つ)けて歌を獻(たてまつ)った。
 
其の歌は

 赤玉は
 緒さえ光れど
 白玉の
 君が装いし
 貴くありけり 

日子の答える歌

 沖つ鳥
 鴨著く島に
 我が率寝し
 妹は忘れじ
 世の悉に 

故、日子穗穗手見(ひこほほでみ)の命は高千穗の宮に坐(いま)すこと伍佰捌拾歳(いほとせあまりやそとせ)。 
御陵(みささぎ)は、即ち其の高千穗の山の西に在り。

是の天津日高日子波限建鵜葺草葺不合の命、其の姨(おば)の玉依毘賣の命を娶りて生みし御子の名は、五瀬(いつせ)の命。 
次に稻氷(いなひ)の命。 
次に御毛沼(みけぬ)の命。 
次に若御毛沼(わかみけぬ)の命、またの名は豐御毛沼(とよみけぬ)の命、またの名は倭伊波禮毘古(かむやまといわれびこ)の命【四つ柱】。 
故、御毛沼の命は浪の穗を跳(ふ)みて常世(とこよ)の國に渡り坐し、稻氷の命は妣(はは)の國と爲(し)て海原に入り坐しき。

古事記上卷終


 豊玉比賣という名からすると豊日別の国のお姫さまのように思うのですが。豊日別は福岡県の豊前市辺りから別府大分辺り。
別府という名前からすると、そこに豊日別の首都が置かれていたのではないか?
徐福さんたちは温泉が好きだったと見える。
中国には温泉はなかったし、冬は温泉があると、暖かく過ごせます。
最高の贅沢でしょうね。

豊玉比賣は、実家に帰ってしまいますが、代わりに玉依比賣を、赤ちゃんの天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(アマツヒダカヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト)の養育のために遣わします。
 この天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命は成長してからの話しでしょうが、この叔母さんの玉依比賣と出来て、4人の子どもが出来ます。

五瀬(いつせ)の命。 
次に稻氷(いなひ)の命。 
次に御毛沼(みけぬ)の命。 
次に若御毛沼(わかみけぬ)の命、またの名は豐御毛沼(とよみけぬ)の命、またの名は倭伊波禮毘古(かむやまといわれびこ)の命

最後の倭伊波禮毘古が神武天皇です。

374 「もしも、徐福が日本に来ていたら」 (57)

2007-06-05 08:47:54 | もしも、徐福が日本に来ていたら

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374 火遠理命(2)




えられた通り少し行くと、言葉通りだったので香木(かつら)の木に登られた。 
すると海のの娘の豐玉毘賣(とよたまびめ)の從婢(まかだち)、玉器(たまもい)を持ちて水を酌(く)みに来た。
井戸に影があるので、仰ぎ見ると麗しき壯夫(おとこ)が居た。 
火遠理の命は、其の婢(まかだち)を見て、水を飲みたいと言った。
婢(まかだち)は水を酌んで、玉器(たまもい)に入れて捧げた。 
ホオリノミッコトは水を飮まず、御頚(みくび)の(たま)を解いて口に含み、其の玉器(たまもい)に唾(は)き入れき。 
緒は、器(もい)に著(つ)いて離すことができなかったのでつけたままに豐玉毘賣の命に進(たてまつ)った。 
その緒を見て、婢(まかだち)に聞いた、「若(も)しかして誰か、門の外に居るの?」。 
「井戸の上の香木(かつら)の木の上に、いと麗しきおとこがいます。 我が王(きみ)に益して甚(いと)貴(とうと)し。 
其の人、水がほしいと言うのであげましたが、水は飮まず此の緒を唾き入れました。 是れを離すことが出来ないので、入れたままに持って来ました。」。 
豐玉毘賣の命、あやしと思って出で見ると、なるほどいい男だったので、その父に、「門の外に麗しき人有り」といった。 
海の、自ら出で見て、「此の人は天津日高(あまつひたか)の御子、虚空津日高(そらつひたか)ぞ」と云った。 
そして家に案内し美(み)知(ち)皮の疊を八重に敷き、また(き)の疊を其の上に八重に敷き、其の上に座らせて、百取(ももとり)の机代物(つくえしろもの)を具(そな)えて御饗(みあえ)爲(し)て、即ち其の女(むすめ)豐玉毘賣を婚(あ)わしき。 
故に、三年(みとせ)に至るまで其の國に住みき。

 ある日、火袁理の命、其の初めの事を思いて大きな溜息をついた。 
豐玉毘賣はその溜息を聞いて、父に、「三年間、一緒に住んで一度もそんな溜息を聞いたことはなかった、今夜が初めです。 
若しかして何か有るのではないだろうか」と言いました。 
父の大、其の婿に聞きました、「むすめの話しでは、『三年一緒に住んで一度も歎いたことがなかったのに、今夜、大きな溜息をつかれたそうですね。何かわけがあるのではありませんか?。」
そこでホオリノミコトは失くした兄の鉤(はり)とその罰のことを話した。 
そこで海の、悉く海の大き小さき魚を召し集めて聞いた。「若し此の鉤を取った魚は居ないか?」。 
もろもろの魚、「このごろは赤海魚(たい)、『喉に(のぎた)ちて、物食うことを得ず』と言っている、きっとその鉤を取ったのでしょう」と言った。
そこで、赤海魚(たい)の喉を探れば、鉤がありました。 
これを取り出して洗って火遠理の命に差し出して、綿津見の大が教えて言った。「此の鉤を兄に返す時に。『此の鉤は、淤煩鉤(おぼち)、須須鉤(すすち)、貧鉤(まずち)、宇流鉤(うるち)』と、云って、後手(しりえで)に上げなさい。
 そうして、お兄さんが、高田(たかた)を作れば、汝命(なむぢみこと)は下田(ひきた)を營(つく)りなさい。
お兄さんが、下田を作れば、汝命は高田を營りなさい。 
そうすれば、自分は水を掌(つかさど)る神であるから、三年の間にお兄さんを、必ず貧窮(まず)しくしよう。 
若し、そうなることを恨怨(うら)んで攻め戰かえば、鹽盈珠(しおみつたま)を出だして溺(おぼ)れさせよ。 
若し、悲しんで頼めば、鹽乾珠(しおひるたま)を出だして活(い)かしてあげなさい。 
と言って、鹽盈珠・鹽乾珠、并せて兩箇(ふたつ)授けて、全ての和邇魚(わに)を召し集めて言った、「今、天津日高の御子、虚空津日高(そらつひだか)、上(うわ)つ國に出ようとされる。誰か、何日で送ってこれるか?」。 
おのおの、自分の身長に従って、日を限りて申す中に、一尋和邇(ひとひろわに)、「僕(やつがれ)は一日(ひとひ)に送りて即ち還り來ん」と言った。 
それで其の一尋和邇に、「然らば、汝送り奉れ。 若し海中(うみなか)を渡らん時に惶(おそ)れ畏(かしこま)らしむること無かれ」と言って、其の和邇の頚(くび)に載せて送り出だした。  
そして約束の通り一日の内に送り届けた。 
其の和邇が、引返そうとしたとき、持ち物の紐小刀(ひもかたな)を解いて其の頚に著(つ)けて返した。 
それ故、其の一尋和邇は、今に謂う佐比持(さひもち)のである。


 長いので今日はここまで致します。

この物語は聖書の創世記のヤコブとラバンの物語にどこか似ています。