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391 中国の史書に現れる倭(3) 『晋書』 下記の緑字部分は、三世紀の中国の皇帝、晋の武帝が発した詔(みことのり)だ。 読んでいて胸がすかっとした。 現代の政治家や官僚、公務員に読ませたい。 泰始四年(268年)六月丙申朔、詔して言った。「郡国の守及び相は、三年に一度、自らの属する県を巡察せよ。その時期は必ず春とせよ。 これは、古に、諸侯が天子に自分の職務について報告し、教化を広め、徳義を浸透させる手段であったものである。 官吏を査察し、風俗を視察せよ。礼律を遵守し、度量を吟味せよ。老人達を見舞い、自ら彼らに会え。 囚人を調査し、冤罪を解明せよ。政治や行刑の得失をつぶさに見、人民の憂いや苦しみを知れ。 遠近を問わず、朕自らが臨むが如くにせよ。五教(註80)を篤く諭し、農作に励むことを奨励し、学問をする者を督励し、正典に尽力することを思え。 つまらない技芸を為してはならない。遠きに尽くし近きを正せ。 身分を問わず、学問を好み道理に篤く、父兄によく仕え忠実で信義があり、清廉で行いの抜きんでた者は、推挙して位を進めよ。 父母に孝行せず、一族において目上に仕えず目下を慈しまず、礼に背き常道を逸し、法に従わぬ者は、糾弾して処罰せよ。 田畑が拓かれ、生業が修められ、礼教が整っており、禁令が行われている。 こうであるならば、それは高官の有能さ故である。人々が困窮し、農事が荒廃し、奸盗が発生し、刑罰が煩雑で、上下の序が乱れ、礼や義が盛んでない。これは高官の非である。 こうした高官で、官にあって公正廉潔で、私事を顧みず、謹厳で節義を通し、名誉を飾りたてぬ者も、考えや行いが欲深く下劣で、諂い汚職をなして登用を求め、公正なる節義が無く、己の一門が日増しに富裕になってゆく者も、謹んで視察せよ。 清廉なる者を称揚し貪汚なる者を排除し、善良なる者を推挙し邪悪なる者を弾劾する。これが朕自らは政の大綱を統ぶるに手を下さず、地方長官に業績を要求する所以である。嗚呼、戒めんかな」。 (田中愛子訳) 煩雑な法律を次々と作ることが良い政治ではない。 そういうものを作れば作るほど、天下りや役人にしか分からなくなり、民はお役所任せにする他なくなる。 するとどうであろうか?任された役所が忠実に仕事をするのでなく、乱脈の限りを尽くし私服を肥やす。 法は簡単にすること、そうすれば議員、天下り、公務員の数も減らすことが出来るだろう。 医者や、科学者、技術者が減り、公務員や天下りや弁護士ばかり増える。 この国は誰が支え、食べさせるのか? 緑字部分は 漢籍訳出プロジェクト「漢々學々」 から引用した。 |