教会の花 6月に入って、衣替え、そして梅雨。 冷房装置を動かしましたが、冷えてないようです。よく見たら、暖房になっていました。 | |
ガクアジサイ アジサイ科アジサイ属 中心部に両性花、周辺部に中性花を咲かせる?中性花は装飾花とも呼ばれる? 中性花って何だろう? そう言えば周辺の花にはシベがないようだ。 ガクアジサイも好いですね。 今朝は久しぶりに雨が降りました。梅雨にアジサイはよく似合います。 さて、徐福さんの話を続けましょう。 | |
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375 火遠理命(3) 前回、ホオリノミコトがその首にひも付きの小刀をかけてやった一尋和邇(ヒトヒロワニ)は、今に謂う佐比持(さひもち)のである。 とあったが、何のことか分からなかった。 左比とは刀とか農具の鋤の刃などのことらしい。 そして左比持とはシュモクザメらしいと分かった。 シュモクザメはそういえば、頭の上に刀を載せているように見える。ナルホド。 ホオリノミコトは海ののえた通りに其の鉤を返した。 そうして、この後、ホデリノミコトハ、貧しくなって更に荒き心を起こして迫(せ)め來た。 將に攻めんとする時に、鹽盈珠(シオミツダマ)を出だして溺れさせた。 助けてくれと頼むので、鹽乾珠(シオヒルタマ)を出だして救った。 このように惚(なや)み苦しめたのでホデリノミコトハ謝って、「僕(やつがれ)は今より以後(のち)は汝命の晝夜(ひるよる)の守護人(まもりびと)と爲(し)て仕え奉らん」と言った。 それで、今に至るまで其の溺れた時の色々なことが覚えられて、仕え奉っている。 ここに海のの娘、豐玉毘賣の命(トヨタマヒメのミコト)、ホオリノミコトのところに来て、「わたしはすでに妊身(はら)みぬ。 産もうと思いましたが、天つの御子を海原に生むべきではないと思い、参りました。」と言いました。 こうして海邊の波限(なぎさ)に鵜の羽(はね)を葺草(かや)と爲(し)て産殿(うぶや)を造りました。 其の産殿(うぶや)の未だ葺(ふ)き合えぬに御腹(みはら)の急(にわ)かなるに忍(た)えず、産殿(うぶや)に入られました。 まさに産まんとする時に、「他(あた)し國の人は産む時に臨みて本(もと)の國の形で産生(う)むそうです。 わたしも本の身の形で産もうと思います。わたしを見ないでください。」日子に言いました。 しかし、あやしいと思って日子はひそかに様子を伺えば、八尋和邇(やひろわに)と化りて匍匐(はらば)い委蛇(もごよ)いていました。 見驚き畏(かしこ)みて遁(に)げてしまいました。 こうして豐玉毘賣の命、見られた事を知りて恥かしと思って、御子を生み置いて、「妾は常に海の道を通って往來(かよ)おうと思っていたのに、 私の姿を見られたのがいとはずかしい」と言って、即ち海坂(うなさか)を塞(ふさ)いて帰ってしまいました。 そこで其の産める御子を名づけて、天津日高日子波限建鵜葺草不合(あまつひたかひこなぎさたけうがやふきあえず)の命という。 然しながら、見られたのをを恨みながらも戀(こ)うる心に忍(た)えずして、其の御子を治養(ひた)す縁(よし)に因りて、其の弟(おと)の玉依毘賣(たまよりびめ)に附(つ)けて歌を獻(たてまつ)った。 其の歌は 赤玉は 緒さえ光れど 白玉の 君が装いし 貴くありけり 日子の答える歌 沖つ鳥 鴨著く島に 我が率寝し 妹は忘れじ 世の悉に 故、日子穗穗手見(ひこほほでみ)の命は高千穗の宮に坐(いま)すこと伍佰捌拾歳(いほとせあまりやそとせ)。 御陵(みささぎ)は、即ち其の高千穗の山の西に在り。 是の天津日高日子波限建鵜葺草葺不合の命、其の姨(おば)の玉依毘賣の命を娶りて生みし御子の名は、五瀬(いつせ)の命。 次に稻氷(いなひ)の命。 次に御毛沼(みけぬ)の命。 次に若御毛沼(わかみけぬ)の命、またの名は豐御毛沼(とよみけぬ)の命、またの名は倭伊波禮毘古(かむやまといわれびこ)の命【四つ柱】。 故、御毛沼の命は浪の穗を跳(ふ)みて常世(とこよ)の國に渡り坐し、稻氷の命は妣(はは)の國と爲(し)て海原に入り坐しき。 古事記上卷終 豊玉比賣という名からすると豊日別の国のお姫さまのように思うのですが。豊日別は福岡県の豊前市辺りから別府大分辺り。 別府という名前からすると、そこに豊日別の首都が置かれていたのではないか? 徐福さんたちは温泉が好きだったと見える。 中国には温泉はなかったし、冬は温泉があると、暖かく過ごせます。 最高の贅沢でしょうね。 豊玉比賣は、実家に帰ってしまいますが、代わりに玉依比賣を、赤ちゃんの天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(アマツヒダカヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト)の養育のために遣わします。 この天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命は成長してからの話しでしょうが、この叔母さんの玉依比賣と出来て、4人の子どもが出来ます。 五瀬(いつせ)の命。 次に稻氷(いなひ)の命。 次に御毛沼(みけぬ)の命。 次に若御毛沼(わかみけぬ)の命、またの名は豐御毛沼(とよみけぬ)の命、またの名は倭伊波禮毘古(かむやまといわれびこ)の命 最後の倭伊波禮毘古が神武天皇です。 |
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教会のお花長い葉の効果が絶妙ですね。
ステキデス。
ホデリノミコトはそのことによって改心したようで
結果的には良かったですね。
これで国も良く成ることでしょう。
あらら 約束を破って出産ポーズを覗いたりして・・
それで姫は実家に帰ってしまっって。
鶴の恩返しでもそうでしたが
なかなか約束を守れないものですね・・・。
物語は海になっていますが 外国とも取れますね。
そうすると何となく理解できる気がします。
ケサランパサランにご執着のご様子ですね~。
写真撮るのに、苦労しました。
それに、あまりかしこまらずに、洗い髪の自由さのようなものを感じさせていますね。
そうですね、覗きのDNAはご先祖様から伝わっているのですね。
甍(いらか)がウロコから来ているとは知りませんでした。
そして トヨタマヒメの命...の里は....お気楽的発想
だすが...豊浦郡豊北町.神玉では なかろうかと
思っています...ハィ...お気楽の生まれた村です.
**神玉とは...本州を大蛇に例えると 神玉(大蛇の)
目玉に あたります....ココに神の子が いてもと
考えています....ハィ...
以前 お気楽の 古事記にも 書いた記憶が有ります.
九州と山陰 船で渡れば 近いです....
あくまでも お気楽のロマンで--す.
又 遊びに 来ます.
豊玉比賣のお里が神玉?
ということで、神玉を調べていましたら、下関市の竜王山(614m)に、底津神、中津神、上津神の綿津見三神を祀ると出てきました。
祭神は底津、中津、上津の綿津見神、玉依姫命、住吉荒魂神、天津児屋根神などである。
紀元1世紀頃云々と言う話もあるようで、いささか古過ぎるようだが、これはちょっとguuchanの注意を引きました。
豊玉比賣はまつられていません。どこに行ったのだろう?
やっぱり神玉?
話は戻り時間の余裕が出来ましたので前に遡ってみました。
不思議ホタルがアップしてある日は見ていないのです。
ホタルのお楽しみまで見せていただきました。
今年は、数回しかホタル見に行っていませんし、周囲のライトが明るかったり、風があったりで、写真を撮るには適していませんでした。
接近写真のいいのを撮りたいですが、ホタルが動き回るので、思うようなものは取れません。
自然さんのところのを楽しみにしています。