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390 中国の史書に現れる倭(2) 『晋書』 266年 - 倭の女王が晋に朝貢する(『日本書紀』の神功紀66条に引く晋起居注。 『晋書』武帝紀、西晋の泰始二年)。 日本については東夷伝と武帝紀に書かれている。 邪馬台国についての記述がある。 266年に倭人が来て、円丘・方丘を南北郊に併せ、二至の祀りを二郊に合わせたと述べられ、前方後円墳のおこりを記したものとされている。 太康10年(289年)の条には、「東夷絶遠三十餘國 西南二十餘國來獻」とあり、 絶遠の国が日本であるといわれる。 ウィキペディアに、上述のような記述があるが、ブルーの部分が晋書になかなか見つからない。 ついに、晋書を邦訳したものがネット上で見つかった。 漢籍訳出プロジェクト「漢々學々」 この武帝紀(訳出担当田中愛子)の中に、該当する訳文を見つけた。 十一月己卯、倭人が来てその産物を献上した。南北の郊外で円丘(註63)と方丘(註64)とを合し、冬至の祭祀(註65)と夏至の祭祀(註66)とを南北の郊外で合した。 これは泰始二年(266年)の項である。 註63 円い丘。南の郊外にあり、皇帝が冬至に天を祀る丘である。 註64 四角い丘。北の郊外にあり、皇帝が夏至に地を祀る丘である。 註65 南の郊外で冬至に皇帝が天を祀る祭祀。 註66 北の郊外で夏至に皇帝が地を祀る祭祀。 晋書は645年頃(唐の時代)に成立している。 266年晋を訪れた倭の使節は、円丘と方丘が合わされたのを見ている可能性がある。 そこで、皇帝が冬至と夏至に祭祀を行っているところを目撃している可能性がある。 それが日本の前方後円墳のデザインにヒントを与えているかもしれない。 |