なぜ上勝の山林は、このように不自然・不健全な「線香林」になってしまったのでしょうか?
笠松町長によれば、山林がこのように貧弱な状態に陥ったのは、なにより産業としての林業の衰退・崩壊で山に人の手が入らなくなったためであるとのことです。
もともと樹木が混み合ってきた森林では、樹木の生育を促し維持するために、枝打ちをするだけでなく、木々を適宜間引く伐採をする必要があります。(「間伐」といいます)
もちろん人為的に過密に植林された木々はなおさらでしょう。
本来はこのような人工林を生んだ国の政策である植林計画でも、定期的な間伐が予定されていたそうですが。
そのように間伐することによって、林の下層や地面にまで日光が届くようになり、全体の木々は健全に生長することができます。
しかし、すでにご説明したことの繰り返しとなりますが、一時期の需要見通しで過剰な造林をおこなったにもかかわらず、その後国は政策を変え、規制緩和・輸入自由化で優良な外国産木材が安価に輸入されるようになり、木材の市場価格は暴落してしまいました。
これでは単価と人件費が相対的に高くならざるをえない国産木材は売れなくなってしまいます。
かつては間伐のように木材を切り出すことで林業家は収入を得る事ができたわけですが、こうして生業そのものが成り立たなくなってしまったのでした。
国策に沿って多大な労力とお金をかけて造林しながら、国の政策転換によってそれが無駄になるばかりか、適切に管理することができなくなったために、山林はこのような無残な姿になってしまったわけです。
戦後、山林と山村はずっと国の政策に翻弄され続けてきたといっていいでしょう。
また、人工的に過密に植林されながら適切な間伐が行なわれなくなった山林では、日光が地面に届かなくなったことにより、下草も生えないようなきわめて貧弱な下層植生になってしまいました。
その状態は画像でも容易に見て取れるでしょう。
落ちた杉の枝だけが散乱しているこの森からは、たしかにとても荒涼とした異様な印象を受けます。
誇張ではなく、これは確かに森の異常事態だという感じがします。
「緑の砂漠」という表現が、そう言われてみるとなるほどぴったりです。
これでは森の動物たちがエサを得られず人里に下りて来ざるをえないというのもよくわかります。
そんな動物たちが傷つけたものと思われる、木の幹や若木の画像です。
あたりを見回しても、動物たちの口が届く範囲に下草など食糧になるような植物はほとんど見当たりません。
動物たちは飢えて当たりかまわず牙を立てているのでしょう。
その跡が痛々しく感じられます。
「緑の砂漠」は、じつは生き物たちの生存そのものを脅かしているようです。
一見森は緑が豊かに見えます。
しかし単調に密集して生えたもやしのような木々と、その足元の植生のあまりの貧弱さ…生物多様性を保つどころではありません。
今回御説明を受けてはじめて気づいたのですが、たしかに「緑の砂漠」とはこのようにまぎれもない事実なのだと見えます。
さらに問題は、線香のように木々が貧弱になり下草も生えなくなった状態の山林では、土壌の保水力が低下してしまうことです。
そのため、多少の風雨で表土が簡単に流出してしまいます。
そしていったん土砂流出が発生すると、その回復には何百年、さらに千年単位もの時間が必要となるのだそうなのです。
つまり少なくとも何百年もかけないと、いったん破壊された山の自然は回復しないということでしょう。
このような「不自然な」森で、いまや非常に危機的な事態が進行しているのだと知って、とても怖くなりました。
笠松町長によれば、山林がこのように貧弱な状態に陥ったのは、なにより産業としての林業の衰退・崩壊で山に人の手が入らなくなったためであるとのことです。
もともと樹木が混み合ってきた森林では、樹木の生育を促し維持するために、枝打ちをするだけでなく、木々を適宜間引く伐採をする必要があります。(「間伐」といいます)
もちろん人為的に過密に植林された木々はなおさらでしょう。
本来はこのような人工林を生んだ国の政策である植林計画でも、定期的な間伐が予定されていたそうですが。
そのように間伐することによって、林の下層や地面にまで日光が届くようになり、全体の木々は健全に生長することができます。
しかし、すでにご説明したことの繰り返しとなりますが、一時期の需要見通しで過剰な造林をおこなったにもかかわらず、その後国は政策を変え、規制緩和・輸入自由化で優良な外国産木材が安価に輸入されるようになり、木材の市場価格は暴落してしまいました。
これでは単価と人件費が相対的に高くならざるをえない国産木材は売れなくなってしまいます。
かつては間伐のように木材を切り出すことで林業家は収入を得る事ができたわけですが、こうして生業そのものが成り立たなくなってしまったのでした。
国策に沿って多大な労力とお金をかけて造林しながら、国の政策転換によってそれが無駄になるばかりか、適切に管理することができなくなったために、山林はこのような無残な姿になってしまったわけです。
戦後、山林と山村はずっと国の政策に翻弄され続けてきたといっていいでしょう。
また、人工的に過密に植林されながら適切な間伐が行なわれなくなった山林では、日光が地面に届かなくなったことにより、下草も生えないようなきわめて貧弱な下層植生になってしまいました。
その状態は画像でも容易に見て取れるでしょう。
落ちた杉の枝だけが散乱しているこの森からは、たしかにとても荒涼とした異様な印象を受けます。
誇張ではなく、これは確かに森の異常事態だという感じがします。
「緑の砂漠」という表現が、そう言われてみるとなるほどぴったりです。
これでは森の動物たちがエサを得られず人里に下りて来ざるをえないというのもよくわかります。
そんな動物たちが傷つけたものと思われる、木の幹や若木の画像です。
あたりを見回しても、動物たちの口が届く範囲に下草など食糧になるような植物はほとんど見当たりません。
動物たちは飢えて当たりかまわず牙を立てているのでしょう。
その跡が痛々しく感じられます。
「緑の砂漠」は、じつは生き物たちの生存そのものを脅かしているようです。
一見森は緑が豊かに見えます。
しかし単調に密集して生えたもやしのような木々と、その足元の植生のあまりの貧弱さ…生物多様性を保つどころではありません。
今回御説明を受けてはじめて気づいたのですが、たしかに「緑の砂漠」とはこのようにまぎれもない事実なのだと見えます。
さらに問題は、線香のように木々が貧弱になり下草も生えなくなった状態の山林では、土壌の保水力が低下してしまうことです。
そのため、多少の風雨で表土が簡単に流出してしまいます。
そしていったん土砂流出が発生すると、その回復には何百年、さらに千年単位もの時間が必要となるのだそうなのです。
つまり少なくとも何百年もかけないと、いったん破壊された山の自然は回復しないということでしょう。
このような「不自然な」森で、いまや非常に危機的な事態が進行しているのだと知って、とても怖くなりました。
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