ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

一年一度のお洒落

2015年04月17日 18時33分34秒 | ペタンク爺さんの一日

床屋の思いで

もの心が付いた頃から、我家は商売を始めてた学校が冬休みに入り大晦日が近づいてくると私を筆頭に子供達が家の中で遊んでいられると商売の邪魔なるので、男の子の私には特に表て遊んでいてもらった方が親としては助かる、古里の輪西は雪が少ない方で其れでも雪が有れば手作りそりを持って大沢小学校の坂道まで滑りに行っていた、道路に沿って沢もあり遊ぶ所に事欠かさなかった、専ら手作りそりと竹スキーだったが、一度だけ本物の単板スキーを買ってもらったことが有ったが、ジャンプ遊びをしてあっという間に折ってしまった、親父は器用に折れた所をブリキで補強してくれていた、良く遊びこけていた少年時代だった、同じ場所で夏にはザルガニ獲りに興じる楽しい遊び場だった事を思い出している、今はどうなっているか知る由もない。

多分12月31日の日は決まって輪西町3条仲通りの角の金子散髪店に行かされていた、大晦日で床屋も混んでいたと思うが待ち時間は関係ない、床屋に行っている間は商売には邪魔にならないので遊び方々の床屋さんだったことを覚えている、待合室には漫画本が沢山置いてありこの頃の漫画ののらくろ、少年ダン吉、など懐かしい本の思い出も蘇えってくる、無論坊主刈りでバリカンだったが何時の頃から電動バリカンが主流になっていた、それでも上手にハサミを使う技には感心して見ていた。

二十歳頃になっていた頃は、同じ床屋さんに行っていたが今と違って髪の毛が濃過ぎ削いでパーマネントをかけ始めていた、其のうちにパンチパーマに変って行った。

現在の髪型は60歳頃からで、床屋さんに行かなくなっていた合理的に考えてのここと、経済的な事を考えてと思っているが、それからポニーテールは私の看板にもなってしまっていた、其れでも寄る年には逆らえず年々髪の毛が薄くなっていったが坊主になる様子はなかった、だだ黒髪に白髪が増え出し床屋さんで毛染めをする様になったのも数年前からで、老化が目立つようになると染めるようになった、今回も一年ぶりと思う、病後で目っきり老けている自分を鏡で見て、今日近くの床屋さんに行ってくる。

 今日の昼飯は自ら作った焼うどんでした