ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

独りで退院前祝い

2015年04月15日 17時27分32秒 | ペタンク爺さんの一日

長期戦を耐え抜く、今年の元旦には唸って寝ていたそれから73泊74日間の長期戦が始まった、それでも今回の入院は私の不摂生によるものもあったと後になって気づかされた、しかし廃車に限りなく近づいている老体には壊れかけている部品交換は出来ない、その部分を壊さない様に労りながら使うしか手立てが無かった、気持ちだけ若くてももう老体は元気よく後に着いて行けなくなっていた、それを今回の失敗で徹底的に教えられたと思っている。

今回の再入院を含めると84日間にもなり、もう心も折れかけていた、今朝の回診でひとまず危険状態を脱した、ただ少し心配な所もあり引き続き様子を診るか、直ぐにでも退院し数週間後に診察してからにするかと問われ、咄嗟に入院疲れが出ているので明日にでも退院しさせて下さいと申し出ていた、兎に角病室の空間は休まれる処ではない、少し体調が回復して来ると居心地が悪く落ち着かない空間だ。

それも今晩一晩で幕が降りる、我が家ほど居心地の良い処は他にない、妹には世話を掛けるが前世からの約束事と思う事にして自分を納得させている。

食べることが楽しみで、自分でも料理を作る事も多くなっていた、今回で懲りて考えて考えて作る楽しみも続けて行けたらと思っている。

明日からは気分を一新し、遠藤農園モードに切り替えようと考えている。

前例に習って院内の売店喫茶コーナーで本格的なコーヒーを楽しむ、兎に角美味しいコンビンの100円コーヒとは別物だ、一杯づつ落としてくれて400円だが宮越屋のコーヒーに匹敵すると思っている。

 


雪秩父とチセヌプリスキー場

2015年04月14日 18時26分40秒 | ペタンク爺さんの一日

チセヌプリスキー場に最後に行ったのは17~18年も前の事にもなっている、当時もリフトもコースも1本ある切りだった、このゲレンデを滑った事はない、そもそもこのスキ堝に行ったのは四月の春山に近くになってからチセヌプリ大回転道ス公認大会が あった、コースはチセヌプリスキー場のコースを使う訳でなくチセヌプリ山頂近かくをスタート地点にしてゲレンドとは関係ない林間コースにフラグをセツトしたダイナミックな大会会場だった、息子達も中学生と高校生時代で、私も若かった、コースサイドにはリフトはなくゴール付近からスキーを担ぎコースの下見をしながらスタート地点へ、各組のスタート時間に合わせて選手はそれぞれコンデションを整えていた。

札幌から持ち込んだスノ-モービルを使いチセの第一リフト降り場からコースサイドまでスタッフや選手を引っ張って往復した、大会が始まる頃にはゴール付近に穴を掘り雪でカウンターを作りお湯を沸かしカップ麺を関係者に振る舞って喜んでもらっていた。

5月には、チセのスキー場ゲレンデ広場をスタートとゴールにして歩くスキー大会があった、後にも先にもこの一回で終わっているが孫が一年生位の時に、この大会に参加した帰りのゴール付近でゲレンデを滑り降りるとき孫が転んで足が痛いと云う事になり、救急車で蘭越の病院まで運ばれた、レントゲンを撮ったら異常がない事が分かりほっとしたことを覚えている。

遠い遠い昔の懐かしい出来事にお思える。  

チセヌプリスキー場が今五千万で売りに出されている、雪秩父も閉鎖されていて今年の9月に日帰り温泉としてリニアルオープン予定となっている、


マスターズハイナルラウンド

2015年04月13日 14時37分02秒 | ペタンク爺さんの一日

昨夜は午後9時の消灯と共に、眠剤を飲んで寝てしまった、日本からただ1人参戦しているテレビ観戦だが松山君の活躍をこの目で確認たい一心で、午後2畤項には目を覚ましていた、あれほど活躍していたタイガーウッヅがもがき苦しんでいる姿を見て、ゴルフの奥の深さを感じされた、彼にはもう爆発的な力が残つていないのだろうか、もう過去に戻れないのだろうかと考えてしまう。

今のレベルでは松山の方が少し上だと、松山君自身が実証していると思っている、矢張予選ラウンドで爆発スコアを出さないと、決勝ラウンドに入ってからの優勝のチヤンスは生まれて来ないと思う、矢張優勝するときは通常の精神状態でないと思う、それが常時出て来るとはないと思う、そのサイクルが短い人は人びとの記憶にが残る、滅多に現れる人ではない、松山君がその候補者と思っているのは、私ばかりとは思えない。

今日は朝から眠い、昨日から便通がなく少し心配になっている、今日で人院一週間になる、あと何日になるか一番気になる所だ。  

ベツトの中の友達は、常設テレビと持ち込んだタブレツトそれに小さな携帯ラジオで、テレビは20時間で千円の有料なので選局して見ている、タブレツトはブログ更新の為の物で何れの入院中に活躍しています、寝ている時も放送を続けてくれているラジオは、一番の友達で昼間はレシーバーでFM放送の音楽番組を楽しんでいて、歌謡曲は聴くことはない、それゆえどんな音楽を聴いても新鮮です。

 

 


審判が下る日

2015年04月12日 14時48分23秒 | ペタンク爺さんの一日

今年一番の好天候に、願わくば投票率が上がってくれる事を期待したい。

誰に投票するか各自自由だ、たった一票だがされどその一票で生活が変わって来る、そう思って各選挙には棄権したことは無かった、選挙結果期待していたようになったかと云うと殆んどは選挙公約だけで終る事が多いのも自分が選んだ人の力量にもよるので、事が難しい、そこでその人バツク人脈も大事な要素に、選ばれた人も独りでは何も出来ないと思っている、自分の選んだ人が沢山の能力が備わっていることを信じます。

数年前二代政党で戦い政権を得た民主党は、ドングリの背比べで強力なリーダーシップを発揮する人は現れ無かった、烏合の集のように足の引っ張りあい、国民の期待を裏切った、それでも全く無駄だつたとは思いたくない、雨が降って地固まる、いい勉強になったと思っている、次回の来るチヤンまで力を付けていて欲しいと願っている。

今回は、知事、市長は保守系が勝つと想像している、前回は上田さんに投票している。

お昼頃、屋上の温室にゆく一番気温が上がっているのか温室のドアーは開けっ放しだった、夕べ遅くまで選挙カーが煩いほど走っていたが、今日は静かな日曜日です。

もうひとつ気になった事は、松山君がもうちょっとスコアが伸びなかった事が残念に思つている、明日の爆発的活躍を大いに期待している。

 

 

 


マスターズゴルフ二日目

2015年04月11日 14時23分12秒 | ペタンク爺さんの一日

昨夜睡眠時間近くになって4日間続いた点滴の針が抜けた、犬が鎖を外された感じだベツトの上にも5日目になる、あらいる身体機能が退化 しているようだ、今日辺りから階段トレーシングを始めようかと思っている、体を動かしていないので食事が出るようになっても食欲がわかない一人前は完食出来なかった、何せ病院味なので特別美味しい料理はないが、何んでも食べれると云う所までは来ていないので仕方がない。来週の14日が当病院の開院記念日で赤飯が出る、思い出すと昨年の4月も入院中で特別食を食べた事を覚えていた。

昨日の朝から朝起きが始まった、マスターズゴルフのテレビ中継が原因たがスポーツの中ではどちらかと云うと苦手な種目で、スキーに打ち込んでいたのでゴルフをする経済的な余裕が無かった、50歳代になり始めたがゴルフはそんなに甘いものでは無いことも判った、それからゴルフは見るスポーツになる、若い世代の石川や松山が出て来て活躍しているのを見て楽しみにしてる、今回も1人活躍している松山君を応援しながらテレビ観戦している。

病院入院中は温泉には入れないので院内のお風呂で我慢しているが、我が家の内風呂より広く明るく立派な施設だ、ただ時間割が決まっているのでそれに従っている、今日はこの棟は女湯になっているので、隣の棟迄もらい湯になる。

今日妹に運動靴を持って來てもらう、一日でも早く自主トレを始めようと思っている、益々体は生っている、兎に角動きが緩慢で体力が衰えているのが判って来る、明日からは階段トレーシングを始めようと気力を振り絞っている。

 

 


昼から食事、来週は退院

2015年04月10日 18時29分33秒 | ペタンク爺さんの一日

然の入院で選挙はベットの中で済ませてしまった、次の日曜日は自治会の定期総会が入っていた、会の総務をやっていたので今回は迷惑を掛けてしまった、この辺が潮時と来期は役員から外してもらう事にしていた、それでも今期の定期総会は私もー役入っていた、総会迄には退院しますと云って来たが、どうやら週明けには退院が出来そうなのでほっとしている。

昼近くに回診があった、今回のトラブルは手術腸中の腸の癒着が原因との事だった、それにしても軽症で手当も早かつたので楽な入院生活になっいる、明日からは点滴も終わり食事も三分粥から始まり全粥に成ったら退院と告げられる、順調に推移したと思っている。

少し遅くなったが昼食が出る4日ぶりの食事で三分粥だったが、おかずもあり少し食べ残す、点滴は今日いっぱい、間もなく並みの生活に戻れそうだ。

食事の再開前から、梅干しや鯛みそを売店で仕入れて置いたが手を付けず仕舞いだった。

週明けの火曜日にCT検診がありその結果で退院曰が決定すると思っている。

 


本日閉塞箇所開通する。

2015年04月09日 13時40分27秒 | ペタンク爺さんの一日

 ー点滴生活のせいでトイレ通いが多く夜中を含め15回ほどに、忙しい仕事になってる、点滴の合間をぬってお風呂にも入る、真昼の風呂は貸し切りだった。

何もやることがないので一日が長く感じる、点滴を付けたまま院内のレントゲン室や売店に買い物をしに行くくらい、今曰は久し振りに屋上の温室に顔を出す、周りの雪景色がすっかり変わり真冬日が遠く去ったと告げていた、ガラス屋根を通して夏の様な曰射しが差し込み、此処だけは初夏の季節に変わっていた。

 入院三日目でお腹の中のトソネルが落盤したその箇所が本曰開通した、拗らす酷い結果なっていたと思う運良定期検診見っか手当も早かったの余り辛い思いもせ今は回復を待つだけだ、担当医の住谷先生には三度ならず今回で5回にもなっている、本当にご縁がある先生です。

便通があれば食事が始まると云われていたので、明日からはお粥が出て来ると期待している。


再入院二日目

2015年04月08日 19時34分08秒 | ペタンク爺さんの一日

環境が変われば体調も変わるのも仕方がないこと、前回も入院中も眠剤をずう~と飲み続けていた、退院後も心配で残った眠剤を持ち帰り飲み続けなければならないかと思っていたら、帰った晩から眠剤に頼らなくても、いくらでも眠りに付けていた、そんなこともあり昨夜は大丈夫とベツトに横になったが一向に寝付けず、結局深夜12時過ぎに眠剤を貰って寝る事に成ってしまった、環境と精神的にリズムが狂うのが良く分かった、入院中は仕方がないと思う事にしている。

昨日から何処に移動するにも点滴を引っ張って歩く生活、生き延びる為避けられないと思っている、この病院も三年ぼど前から3回入退院を繰り返している、出来れば縁が切れるのを心から願っている。

西暦2000は大きな転機があった、創設したペタンク協会の運営面から外されいたので新しく発足した全国組織のペタンクリーグに創設と同時に参加し、北海道ペタンクリーグを立ち上げ理事長に就任し、前年の京都での設立記念大会を含め毎年日本選手権に参加するようになった、この年は伊予松山で日本選手権が開催され、北海道から2チーム6名で参加した、私も未だ65歳の働き盛りだった、小樽からフエリーで舞鶴迄、其処からレンタカーで四国松山にむかって走った、宿は道後温泉の近くのユースホステルで朝には太鼓の合図で温泉にも浸かった、帰り道は倉敷に出た、ここで生まれて始めて路上で開いていた手相、人相判断を見てもらう、その時の判断は比較的良い事が判り喜んでいた記憶はあるが、詳しい内容は全く覚えていない、微かに人生の後半に何かしらあると言われた気がする、遠い遠い昔のこと記憶は定かではない、自分の手相を見て思い出して今がその時かとも思っている、試練を乗り越えると穏やかな翁の世界が広がって来ると信じている。

本日不在者投票をベツトの中で済ませる。


短期再入院

2015年04月07日 19時21分00秒 | ペタンク爺さんの一日

定期検診で腸閉塞が判り一週間程再入院することになる。

残念だが仕方がない、何日か絶食し点滴生活になる、兎に角80歳にもなり老衰と真剣に向き合い生きる最善を尽くすだけ、人間欲を云えば切りがないが私の掲げた90歳まで健康で生きる事が夢だ、これほど欲張りもないと思うけど、気力だけは持ち続けてる。

今朝ベランダの仮設温室で育てていた野菜のポツトに変化が現れた、良く見ないと分からない様な小さな芽が出ているのを発見する、種まき蒔から一週間ほど経っての出来事だった、一番乗りはキヤベツだった来週から平年並みの気温になると云っているので退院頃には全部芽を出していると、想像を逞しくにいる。

5月の遠藤農園のオープンが楽しみだ。

 

 

 


つきさっぷの地産地費

2015年04月06日 18時20分56秒 | ペタンク爺さんの一日

八紘学園・北海道農業専門学校の誕生は遡ること1934年の昭和9年栗林元二郎氏が創設者で、奇しくも私の生れた年と重なっている、それ故80年もの歴史が刻まれている、初代学院長は北大の佐藤昌介氏で、現在使われている八紘学園・北海道農業専門学校に変ったのは、1976年の年になる。

現在の科目は、畜産科、耕作機械科、園芸科、果実科、野菜科があり全て実践授業を貫いている、それ故学生達は男女を問わず逞しい、ペタンク爺さんに関係深い北海道学生ペタンク選手権大会は数年前から八紘学園のグランドを利用させてもらっている、ここに大会場を移してから八紘学園チームを参加させているが、どう見ても練習量が足りないのではないかと思っていても、逞しさは其れをも飲み込み優勝を含め毎年好成績を収めて来ている、頼もしい存在です。

今年の八紘学園の農産物直売所は、全面開業は4月18日になっているが、一部営業で土日月の三日間はドアを半開きにして営業していた、宣伝はしていないが八紘学園党のお客さんが結構訪れている、売りは学園牛乳とヨーグルトが目玉で市販の脂肪分を抜いた牛乳の倍はするが、美味しさは別格だ。

今日はその牛乳1本を買いに直売所を訪ねる、全面オープンまで10日余り、その頃には春の温かさも期待できる兎に角待ち遠しい。

地産地費は、月寒では古くからおこなわれている。

4月18日オープンします


今日は竹山温泉へ

2015年04月05日 17時31分41秒 | ペタンク爺さんの一日

自宅を出て、36号線を千歳方向に、すると直ぐ札幌ドームの大きな銀色のドーム屋根が迫ってくる、札幌ドームだ、其の交差点を右折し暫く行くと羊ヶ丘通にりぶつかる、其れを左折すると片側三車線の高速道路並みの街道にでる国道36号線に添って千歳方面に繋がる、市民農園の遠藤農園もこのルート沿いにあり、昨年は良く利用している、トームの裏側は広大な国有地が広がり羊ヶ丘展望台もあり観光地のひとつになっている、其処を道路は横断している暫くは信号機も無くなる、突然人家が現われると清田区に入っている、其処からはほぼ家並みが続くが途中の道路沿いには大型の園芸店が点在している、手前から「花の季節館が」ありかなり古くから店を出していた、それを過ぎると比較的新しく出店した「ビバホーム羊ヶ丘」が近づく、そして滝野方面に向かう交差点に、その右角は「ホーマック真栄」店でライバル店同士が接近している、其の交差点を通過して行くと里塚霊園の交差点に、その右側に小規模の「マイ・フラワー」店が古くから営業していた、其処を過ぎると札幌市を出て北広島の大曲地区になる、比較的新しい開発地で三井アウトレット店と幾つかの大型店が街道の両側を賑わしている、その中にも「カインズホーム大曲店」が可也の品揃いをして待ち構えている、其処を過ぎて間もなく「ジョイフルエーケー」の建物が見えてくる、兎に角自分に有った店を見つけるまで何回か通っている、清田にはJA清田店もあり選択肢が多く迷うこともしばしば、エーケーを過ぎで其の街道を直進して行くと家並みは消え畑や牧草が広がる街道は其処で終わっている、輪厚のゴルフ場にぶっかってしまう其処を左折すると国道36号線に出る、右折し少し行くと北広島団地に行く交差点に、其れを左折するともう畑や原野が北広島峠にさしかかる、途中に突然竹山温泉の看板が見え道路から右に曲がると竹山温泉に到着する。

10時のオープンに合わせて行ったが、日曜日で先客も結構行っていた、温泉に浸かりお昼は自分で握って行ったオニギリをほうばる、今夜の夕食は久しぶりにとんかつ、美味しかった。

お昼は自分で握っていったオニギリ

夕食はとんかつでした

 


今日はレトルトカレーデー

2015年04月04日 18時35分01秒 | ペタンク爺さんの一日

子育て時代は、男の子の育ち盛りには驚くほどの食糧が必要だった、滅多には行かないが洋食レストランに出かけて行くが一般的な一人前は一人では平らげられない、よく妹も同伴するが二人で一人前取って二人で食べて丁度いいのではないかと話している、此の方式でまだ実践してはいないが、近頃は真剣に考えることも有る。

カレーライスを作ってもお代わりお代わりで、大なべに作ったカレーもあっと云う間だった、作り方は玉ねぎを微塵切りにしてバーターで炒めるから始まり小麦粉リンゴ摺りおろし其れにとまとを炒めカレー粉を入れて煮込む、兎に角カレー作りには一から始めるので時には前日から作業が始まっていた、それでも女房は美味しそうに食べてくれる息子達を見ると労は厭わなかった。

私も壮年期なので、よく子供達につられて食べていたがカレーは我が家の常食となっていた、肉は殆んど羊肉のジンギスカンが肉で、特製の垂を作り一晩馴染ませて食べていた、子供達はK単位で食べていた、時たま握りずしを作ることも有ったが、まず魚類を寿しネタに切りそろえ、酢飯が出来あがると握りだけ作り大皿に並べてゆき、その握りの上にネタを載せていくと云う方法で、一気に大量に作り出していた。

一人で2.30個も食べると、大量のお寿司も綺麗に食べ尽くされていた、食べっぷりに惚れ惚れするくらいだった。

老人世帯になってから、カレーを作ることも無くなっていた、それでも時たま無性にカレーが食べたくなって既成のレトルトカレーを買って食べるようになった、良く行く店に大槻商店キャロットが出来てからこの店に通うようになり今でも時たま食材を買いに行っている。

今は、一人前をと自家製のとまとピューレーとかとまとソースで倍くらいに増やし二人前を作り食べている、今日も簡単にとまとソースを足して作り出す、あっという間に出来てしまうカレーライスです。

今日の記録に、10点満点の5点を付けて記録した、次回は何にするか楽しみでもある。

カレーABC

 

 


黒ニンニクの効用

2015年04月03日 17時19分00秒 | ペタンク爺さんの一日

只今、病後の体力回復に一日も欠かさず温泉か風呂を続けている、並行してマッサージと鍼灸の月寒中央鍼灸院に月曜から金曜日まで通院を続けている、退院から三週間が経ち身体も可也自由に動かせるようになっている、ただ今まで続けていた自主ストレッチ体操まで到達していない、体は動くようになったが耐久力が付いてこない、それらしいことはまだ本格的に出来ていない、出来ないと云う所が本当なのだが、何か少し真剣にやると疲れがどっと出てしまう、回復力が遅い、筋力やパワーが蓄積されていない身体だと云うことは否めない。

気力だけで、動いているが其れだけではなかなか続けられない、思い出した様に黒ニンニクを食べたら楽になっていたことを思いだし、本場青森より取り寄せも良いが、地元のJA清田で作って売っている、簡単な気持ちで買って食べてみたら、効果てきめん何日か続けていたが、其のうち食べなくても体力がついていて、其のうち忘れてしまっていた。

今日は、10時に自宅を出て三越に出かけて行く、用件を済ませ何時ものように4丁目のえび天支店に行ったが暖簾が下がっていなかった、やむなく行ったことがあるCOFFEE&CAKEのZAZIに変更する、此処の店の売りはシチューとパンセットなのだが今日はランチ&コーヒーに変った。

帰り道生鮮市場に立ち寄ると、バナナが安かったので干しバナナ作りの材料として仕入れてくる、妹と買い物材料を置いてその足で里塚温泉に向う、岩盤湯も含め1時間ほどで切り上げる、帰宅途中JA清田に立ち寄り気になっていた黒ニンニクを買ってくる、1個400円ほどで一日ひと片を続けて見ようと思っている。

二、三日すると効果も表れて来ると思っている、良いと思うことは実践するしかない。

 お昼はZAZIのランチで

里塚温泉で

 


ライラックの芽吹き

2015年04月02日 18時48分36秒 | ペタンク爺さんの一日

今日も朝からベランダに太陽が差し込む穏やかな日になった、天候とは相反して今日も身体の動きは緩慢で瞬発的な動きは出来なかった、気力も昨日と同様に萎えていて矢張り午前中2時間ほどベットに横になった。

それでも昼飯前には元気を取り戻し、園芸士に早変わり花壇の手入れを始める、所によけ秋の花壇が終わった後其の侭にしてある所もあり、かなり前から気になっていた、取りあえず枯れ木や枯草を切断し其れを花壇に戻すベランダ下の花壇には先日石灰と米ぬかを撒き花壇に馴染ませていた、ベランダ下の他に玄関側の駐車場の隅に道路に面して細長い花壇があり、此方は宿根の花を中心に植えている、もう一か所は団地裏の石垣上に矢張り細長い花壇がありほぼ30Mほど、毎年実を付けて楽しませてくれる木苺の木もこの花壇で、此方も宿根が多い花壇で数年前からハーブを毎年増やしている、今年も今まで栽培していないハーブを増やして行こうと思っている。

ベランダの目の前にライラックの木が2本植えているが、梢が色つき出したのを見て剪定作業をする、可也芽も膨らんで見えていたが矢張り開花は5月になると想像している。

昼からの鍼灸院帰り、南郷市場に向かうネットレシピで乾燥バナナ作りを見てしまい、直ぐ実践と材料調達に向かっていた、残念ながらこの安売りスパーでは置いていなく代わりにトマト大箱650円で売っていたので、咄嗟に在庫が少なくなっているとまとピューレを作るとバナナの代わりにトマトを買ってくる、アイヌネギも一束150円で売っていたので卵とじにと買ってくる。

帰宅後、早速とまとを煮込みかご網でこす、玉ねぎを微塵切りにしてきつね色になるまで炒める、其れにトマトを入れ火を通す最後に塩を入れて味を調える。

此れでトマトのソースが完成、色々な料理に使える自家製とまとソースの出来上がりです。

 今夜のおかずは?

 

 アイヌネギの卵とじ

干しバナナ作り

 自家製とまとソース完成

 


4月1日大和芋(つくね芋)を植える

2015年04月01日 16時57分38秒 | ペタンク爺さんの一日

我家の仮設温室も威力を発揮した、お昼頃だったが寒暖計を覗くと30度まで到達していた、野菜のタネも撒いてからも2.3日は過ぎた、まだ芽が出る気配は無いが、今日、今年初めて挑戦しようとしている大和芋(つくね芋)、さっま芋を植えた、種やさんには品切れになっていた大和芋を地元のホーマックで確保できた、芋にして4個だが初めての挑戦としては適当な個数と思っている、矢張り1年は勉強をしながら脳波を身につける1年間と思っている、直植えなら5月になってしまう、考えた末に米袋を利用し苗作りから始めれば収獲も10月末で間に合うと計算しての今日の種イモ植えだった、まるまるひと月温室での育成になる芽が出てくるのを楽しみに待つことにする、畑への定置植えは5月初めと計算している。

もい一品、初めて挑戦するさつま芋、5月頃には札幌でも苗が出てくると思っているが、ネットで調べると苗も簡単に作れることが判り、失敗しても元々と千葉県産の紅はるか1本150円を種イモに、二つに切って草木灰を付けて大型のプランタンに植える、計算通り事が進めば5月中頃には芽が出て苗も大きくなっていると想像している、苗を適当に切って何本も収穫できると計算している、苗は全部で16本で間に合う、計算通り事が運ぶか全く確信はない、初めて挑戦する喜びも遠藤農園ならではと思っている。

どちらにせよ、5月には結果もはっきりしてくる失敗していたらさつま芋の苗を買っても間に合うと思っている。

今日で退院後18日目になる、退院時にはまだ傷口が完全に塞がっていなかったが毎日風呂や温泉に入り自分で手当てをして来ていた、この後二週間もすれば完全に傷口も塞がつて完治していると思っている。

今日は、朝から体調が落ちていた、疲れが溜まったのかと朝ご飯を食べてからベットに横になる、11時頃から起きだしトイレで出すものを出すと、体調が戻っていた、準備を整えていた芋の苗づくりの作業を開始する、妹にも手伝ってもらいベランダの荷物の入れ替えをして苗床のスペースを作り出す、作業が終わったのは東海四校の敗戦が決まった頃になっていた、途中鍼灸院の2時間も含まれている。

可也の作業の労働だったが、終わってもまだまだ余裕が残っていた。

大和芋を米袋で苗づくり

さつま芋はプランタンで苗づくり

 

最後の傷口も間もなく塞がる